FILE.115は、中野区の紅葉山です。
第115座目「紅葉山」
今回の登山口は、JR東中野駅です
今回の登山口=最寄り駅は、JR東中野駅西口。目的地まで中央線の線路沿いを歩ていきます。桜山通りを通るとお店も多そうかなと思って進んでいくと、多くの学生さんが歩いています。この桜山通り沿いには、明治大学付属中野中学校・高等学校があるようで、下校時間と重なったようです。下校中の中高生に混ざり、動画撮影用カメラを持って歩くとヤバイ人扱いされかねません。桜川橋を渡り、反対側の道路からアプローチすることにしました。
あれ?…桜川橋といいつつ、川など見当たりません。不思議に思ったのですが、桜川橋は1944(昭和19)年に山手通りがつくられたときに、崖のあるこの場所に架けられたそうです。で、桜山町と氷川町の間にかけられた橋だったので一字ずつ取って、この名になったといいます。そもそも川はなかったのでした。
見どころ豊富な東中野駅〜中野駅エリア
桜川橋を渡り、路地に入るとすぐにお洒落な建物が見えてきました。何屋さんかなと思ってのぞき込むと「澤田珈琲」という文字が見えました。喫茶店のような雰囲気ですが、どうやらパンなども販売しているようです。あとから調べてみると、パンはおいしそうだし、アイスコーヒーも水出しですし、今度は営業時間中に来てみたいと思います。
路地をさらに進み、中央線の線路沿いの道を進んでいきます。結構な頻度で電車が通ります。しかし、ここからは完璧な住宅街です。何か書けそうなネタはないかとキョロキョロして歩くのですが、特に見当たりません。仕方なく、そのまま道沿いに進んでいきます。
と、山行当日はスルーしてしまったのですが、後でGoogleマップなどをチェックしていて気づいたことがあります。この日通った中央線の線路沿いの道と桜山通りをつなぐ歩道橋のたもとに「蔽之館(へいしかん)跡地」があったそうです。現地には看板もなかったので全く気づきませんでした。
蔽之館
真珠湾攻撃の前、日系アメリカ人2世が外務省によって日本に呼び寄せられ、VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)や中波など対日ラジオ放送などを傍受して、諜報活動をしていたそうです。その少年達の訓練所兼寮だったそうです。
裏路地を抜け、城山本通りに入ると商店が点在しています。ちょっと気になるお店が2店ありました。
おばんざい八郎
お惣菜をつまみにお酒を飲める和食料理屋さんだそうです。店主さんが手作りするおかずやお惣菜は、常時15、6種類以上あるそうです。季節や仕入れ状況によって内容が変わるそうですよ。※京都の家庭料理ではなさそうです
豚野郎
お店が閉まってたので分からなかったのですが、豚野郎という本場博多の豚骨ラーメンのお店です。お店のホームページでは、スープに自信のない日はお店をお休みするとか。そしてなんと、〆は豚骨雑炊がオススメだそうです。「替え玉の時代は終わった」というフレーズに惹かれます。あぁ次回は絶対行きたい。
城山本通りを歩いていくと、中野区もみじ山文化センターがありました。その同じ敷地に、紅葉山公園があります。そうです、今回の目的地に到着しました。
目的地は、季節もバッチリな「もみじ」の公園
公園へ歩を進めると、ちょうどもみじが紅葉していました。公園の中心部分までは日本庭園のような紅葉のもみじの中を歩いていきます。公園の中心部には大きな広場があり、ここに蒸気機関車C11が展示してありました。
肝心の山頂はどこだろうとキョロキョロと探すのですが見当たりません。ないのか…と諦めかけたとき、公園広場の一隅に「それ」はありました。なぜか、あの「考える人」です。
その「考える人」台座に「紅葉山公園あんない」と記されたプレートがあり、その銘文を読むとここが「山」であると納得できました。
ここはかつて私有地で、大正時代にはもみじの大樹が多く植えられていました。そこから、紅葉山と呼ばれるようになったそうです。その後、第二次世界大戦から戦後にかけてもみじなどはなくなり、地名だけが残りました。そして、中野区が土地を取得し、東京開都100年記念事業で公園や図書館などをこの地につくったそうです。
たまたまですが、紅葉の季節に紅葉山に来られて良かったとしみじみ実感しつつ、公園のベンチで一休み。今回も思いがけずいい山行でした。
次回は、中野区の塔の山を紹介予定です。