カナダ西部からアラスカにかけて流れる3200kmの大河・ユーコン川。
広大で美しい原野を流れ、クマやビーバーなど野生動物の宝庫であるこの川は、世界各国からカヌー・カヤック愛好家の聖地となっています。日本ではカヌーイストの野田知佑さんが紀行文を発表したことにより、広く知られるようになりました。
2018年夏、私はこのユーコン川を下ってドキュメンタリー番組を制作するプロジェクト”YukonJourney; Bennett to the Bering”(http://yukonjourney.org)に参加しました。源流から中流域までの1600kmをアメリカ人やイギリス人の仲間と1ヶ月半かけてカヌーで下り、川の自然や近年増加する林野火災の現状を撮影。その中で、様々な自然の姿や人々と出会うことができました。
ユーコン川の魅力の1つに、世界各国から集まるパドラーとの出会いがあります。
私はこれまでに3回ユーコンを訪れ、アメリカ、スイス、フランス、オーストリア、台湾など、10カ国を優に超えるパドラーと友達になりました。
パドラー同士、自己紹介するだけで仲良くなれる。そんな雰囲気がユーコンにはあります。
この記事では、今年の旅で出会った4人、それもユーコンを舞台に大きな挑戦をしたパドラーを紹介します。
ジョン・バン・バリガー(フリーライター・カメラマン)。~ユーコン川のドキュメンタリー番組を製作!~
僕が参加した今回のプロジェクトのリーダーがジョン・バン・バリガー。教師を経てフリーのカメラマンになった50代の男性です。
2016年、僕は初めて訪れたユーコン川で彼に出会いました。カナディアンカヌーに乗っていた先住民のような見た目の僕を「地元の人に違いない」と思って、川の情報を尋ねてきたのでした。
彼はその時、ユーコン川のカヌーツーリングを描いたDVDを作ろうとしていると話しました。2013年にユーコン川で大規模な山火事に遭遇してショックを受けたので、DVDの売り上げで消防士や救助隊らファースト・レスポンダー(First Responder)の支援したいとのことでした。
彼の計画は、アメリカ人映像作家の一行がジョン・ミューア・トレイルを歩く姿を描いたドミュメンタリー映画”Mile Mile and a half”にインスパイアされたそうです。
「DVDを見ていたらカメラもレンズも僕が持っているのと同じだと気づいたんだ。ならば同じような番組が、僕にも作れるかもしれないと思ったんだ」と彼は話します。
その後、彼から僕にプロジェクトへの参加を誘うメールがあり、僕は参加を決めました。
彼はプロジェクト周知のためのTシャツの会社、番組の制作と販売のための会社を立ち上げ、準備を進めてきました。映像撮影や編集の経験は少ししかありませんでしたが、諦めることはありませんでした。
僕は良いアイデアが浮かんでも、「自分には才能がないのではないか」と思ってやめてしまいがちなので、彼の行動力を本当に尊敬します。
彼はこれから2年ほどかけて、映像を編集するそうです。作品には僕が撮影した映像も多く含まれます。どのような作品になるか、とても楽しみです。
ピーター・コーツ(カヌーイスト) ~世界で一番長いカヌーレースを創設~
僕らの旅をサポートしてくれたのがピーター・コーツ。荷物の運搬を手伝い、半日間は一緒に漕ぐ
ことができました。
彼はユーコンのカヌー界では、名の知れた人物です。
ユーコン川には”ユーコン・リバークエスト”というカヌーレースがあります。コースはホワイトホースからカーマックスまでの715キロ。
優勝者は3日ほどで漕ぎきります。舟の種類はカヤックでもカナディアンでもスタンドアップパドルボードでも、何
でもOKです。
2000年代、リバークエストではカヤックが圧倒的な強さを見せていました。そこでピーターは友人に賭けを持ちかけます。
「もし1000マイル(1600km)のレースが存在すれば、カヌーが勝つはずだ。それほどの長い距離を連日、長時間、狭いコクピットの中で過ごすのは過酷なはずだからな」
こうして始まったのが、世界で最も長いカヌーレース「Yukon1000」です。
ホワイトホースを出発し、国境を超えてアラスカまで至る約8日間、パドラーは毎日18時間近くを漕ぎ続けます。極限状態のパドラーは、存在しないはずの荒瀬が幻覚として見えると言います。
「それで、賭けはどうなったの?」
カヌーを漕ぎながら尋ねてみると、彼は笑って答えました。
「レースが始まって以来、ほぼ全てのレースでカヤックが勝ち続けているよ」
ジョンもそうですが、ユーコンで出会う人には、こんなアウトドアに関するちょっとした思いつ
きから大きなことを成し遂げた人物が多いような気がします。
別の記事で紹介する地元ビール会社「ユーコン・ブリューイング」の創業者も、カヌーツーリング中に起業のアイデアを思いついたそうです。
どんな挑戦しても受け入れてくれる懐の深さが、ユーコンの自然と人々にはあるような気がします。
エマ・バーガソン(大学院生) ~Yukon1000の女性記録保持者~
僕はこの旅で、2人乗りカナディアンカヌーを使いました。このカヌーでペアを組んだのが、ピーターが始めた世界で最も長いレースYukon1000で、女性チームのレコードを作ったエマ・バーガソンです。
彼女はレースのことを色々と話してくれましたが、その世界は衝撃的でした。
8日間、一日最大18時間のパドリング中、上陸して休憩することはありません。昼食はナッツやチョコレートを口に放り込み、トイレだってカヌーの上で済ませます。「3日目くらいで最初に心が折れる」とエマは言います。
彼女は2014年に初めてレースに参加しましたが、その時はパートナーの負傷により半分の地点でリタイヤ。しかし、「途中で物事を終わらせるのが大嫌い!」という彼女は2年後に再挑戦します。
パートナーの友人はボート選手で、カヌーの経験はありませんでしたが、エマのリードもよかったのでしょう。2人は8日と2時間45分でゴールし、見事レコードを作りました。
このレース、勝利に必要なのは技術よりも底なしの体力と根性のようです。
僕にとって、エマと漕ぐのはいい経験でした。ただ、朝から晩までほぼ休憩なし、フルスロットルのパドリングは大変でした。
ある日の午後は強い向かい風。すでにへとへとだった僕は辟易しましたが、彼女はにっこり笑って言いました。
「向かい風って大好き!生きてるって感じがするわ!」
ジャン・フィリップ・パティ(経営者) ~自転車冒険家の新たな挑戦はユーコン川~
アラスカのユーコン川のほとりにある食堂で出会ったパドラーがジャン・フィリップ・パティ。3度の心臓手術を乗り越えて冒険を続ける鉄人です。
パン職人だった彼が手術をしたのは50代前半。その後、回復を機に自分の体の可能性を試してみようと考えます。そこで挑戦したのは、アラスカからアルゼンチンまでを自転車で走ること。彼はそれを達成しただけでなく、119日と22時間15分という当時の北南米縦断の世界記録を打ち立てました。
彼の挑戦はそれだけで終わらず、次は心臓病を持つ子どもへの支援を企画。世界的自転車レース「ツール・ド・フランス」のコースを走り、子どもたちへの寄付を呼びかけるました。
彼はツール・ド・フランスのスタート翌日に漕ぎ始め、途中で休養中の選手を抜き去り、なんとレースが終わる1日前にゴールしました。彼の挑戦は注目を浴び、50000スイスフラン(約550万円)もの支援を集めたと言います。
その彼の新しい挑戦が、ユーコン川を海まで下ることでした。カヤックは未経験だったために、約1年前から練習したと言います。
フランス語のホームページをインターネットの翻訳で読んでみると、8月14日に無事ゴールしたようです。ジャン、おめでとう!
彼に出会った日、持参のテントが小さすぎて困っていた彼に、僕はテントをプレゼントしました。
彼が使っていたのはビバーク用のシェルターで、横になることしかできず、長期間の旅では疲労が蓄積するものでした。僕のマックパックのテントを見せると、「ベストサイズだ!」と気に入った様子でした。
彼には、お金を払うと何度もオファーされましたが、あまりにも素敵な人物だったので、それを固辞してプレゼントしました。僕もいつか、あのような偉大な旅人になりたい、という思いも込めて。
ユーコン川の魅力とは
僕はこれまで3度、ユーコン川を下りましたが、この川の旅にはいつも試練がありました。
雷雨にあったり、熊に出くわしたり、時には死の危険も感じます。
ですが、雨に打たれて凍えながら焚き火を起こしている時などに「生きなければ」という気持ちが湧き上がってきます。それは普段、生活している時には味わえない感覚です。
長い長いパドリング。その中で自分と対峙しながら、自分がありたい姿と向き合わせてくれます。
そして下り終えた時には、いつも次の挑戦が頭の中に浮かんでいます。
ユーコン川のツーリングは難しそうに思うかもしれませんが、少しの勇気があれば、誰でも挑戦できます。実際、世界各国から老若男女が集まっています。
ぜひいつかユーコン川を訪れてみてください。人生を変えるような旅が経験できるはずです。
【プロフィール】
新居拓也(にい・たくや)
カヌーイスト・野田知佑さんが校長の「川の学校 吉野川川ガキ養成講座」の1期生。18歳からス
タッフとなり計8年間、ディレクターなどを務める。
地方紙の記者を経て、現在は曽祖父が開業した徳島の山小屋「剣山頂上ヒュッテ」で働く。環境
教育事業の講師やキャンプイベントの企画も行なっている。
ブログ: http://korutak.com