中山道の旅と同じく、1日に使えるガソリンは1ℓのみ。1ℓのガソリンを使い切ってエンジンが止まったら、その近くで寝床を探す。夜が明けたら装備している携行缶から1ℓのガソリンを補給して先へ進む、というスローな旅だ。
どんなに燃費のいいエコカーでも1日30kmも進めないが、スーパーカブは平均80kmも進んだ。制限時速の30kmを守ってアクセルをあまり開かない走行のおかげでもあるが、さすがは世界に誇る究極のマシンだとあらためて感心した。
最初は日光街道を走り、中禅寺湖にも立ち寄ったため、日本橋から三厩まで13日間を要したが、のべ1000km以上走ったのに消費したガソリンは13ℓに満たないエコな旅だった。
旅の詳細は雑誌BE-PALにて『シェルパ斉藤の旅の自由型』で5回にわたって連載した。2025年3月号ではドラマチックな完結編を掲載したので、そちらをぜひ読んでもらいたい。WEBでは旅先で印象に残った場面や個人的おすすめスポットなどを写真中心に紹介しよう。
奥州街道の始まり、宇都宮でレトロな喫茶店に入る
日本橋から宇都宮までの奥州街道は日光街道と重なっている。宇都宮から先が本格的な奥州街道のはじまりだ。お昼に名物の宇都宮餃子を食べたあと、市内のレトロな喫茶店に立ち寄った。
名前が示すとおり、店内の棚には往年の名画のパンフレットがぎっしり並んでいる。自分のお気に入りの映画のパンフレットを発見して、胸がキュンとなった。コーヒーも店内の雰囲気にふさわしい深みを感じた。
道中に観光案内所があると必ず立ち寄って、パンフレットなどをもらって情報収集した。喜連川の観光協会は大正2年に喜連川興業銀行本店として建築された、鉄筋コンクリートの建物を利用している。洋風のモダン建築を思わせる外観が美しい。
奥州街道沿いの集落にオープンした那須塩原のCafe Key Tail Nasu。もともとは酒屋で、その後はヤマザキショップになり、2年前に建物をリノベーションして(ほとんどがオーナーたちの手作業らしい)、手作りのスイーツを提供するカフェになった。
建物の外観や内部に以前の面影が見られるところが微笑ましい。女将さんが話好きで、ひとり客も明るく迎えてくれる。
1ℓのガソリンを使い切ってエンジンが止まった地点のすぐ近くに宿があるラッキーな展開が続いた。4日目に泊まった宿はガイドブックにも出ていないマイナーな旅館。
予約なしの飛び込みでも泊めてもらえたし、同じ建物に宿主の家族も暮らしている家庭的な旅館だから心が和んだ。
福島県の旧街道にもユニークなスポットが
旧街道の古い商店街には昭和を感じさせるレトロな店も残っている。福島県の某商店街にあった味わい深いおもちゃ屋は、等身大のヒーロー像が店頭だけでなく、建物の2階に並んでいた。色褪せたヒーロー像に哀愁を感じる。
福島県の矢吹駅はユニークな建築物。双眼鏡のようにも見えるし、トンボにも似ている。1996年にグッドデザイン賞を受賞した建物だそうだ。駅舎の1階は観光案内所。
おすすめの飲み屋をたずねたら、女性スタッフは駅の東口にオープンしたばかりの居酒屋を紹介してくれた。サービスが良くて、大満足の店だった。
福島県の須賀川は特撮の神様と称される円谷英二の出身地。駅前にはウルトラマンのモニュメントがあり、商店街にはウルトラマンシリーズのキャラクター像が13体も立っている。
ウルトラQやウルトラマンで育った世代にはたまらない商店街だ。
キャンプ場を併設するトレイルの文化発信基地
奥州街道からちょっと外れるが、みちのく潮風トレイルの名取トレイルセンターはロングトレイルに興味のあるハイカーなら立ち寄らずにいられなくなるスポットだ。館内には巨大なマップが展示されていて、マップだけでなく、通過する自治体のパンフレットもそろっている。
トレイル関係の書籍(僕の本もあります)も充実しており、トレイルの文化発信基地にもなっている。キャンプ場も併設しており、広い敷地でのびのびとキャンプができる。
東北随一の繁華街である、仙台の国分町は奥州街道のメインストリートでもあった。日が暮れるとキャバクラやホストクラブなどのネオンがきらめく歓楽街になるが、江戸時代も華やいだ通りだったことだろう。
国分町の入り口と、仙台城の大手門から延びる大町通が交差する十字路には「芭蕉の辻」があり、竜の彫像が立っている。
岩手県で凄すぎる地名を発見!
インパクトある地名が旧奥州街道にあった。岩手県南部にある鬼死骸(おにしがい)だ。数年前までは路線バスが通っていて、バス停はこの名前で使われていたそうだ。
現在は休憩所として残されているが(休憩所内には「鬼死骸村」の説明がある)、アニメ『鬼滅の刃』がヒットした影響で、海外からの旅行者がたまに訪れるそうだ。
ロサンゼルスや日本中が夢中になったのだから、地元が盛り上がらないわけがない。奥州市役所の庁舎内には地元出身の大谷翔平の偉業を祝福するブースが設置されていた。
僕が訪れた日は「50-50」達成を記念したステッカーが市役所で配布されたが、開庁前から行列ができてあっという間に配布は終わってしまった。
十和田市で身長4mの女性に遭遇!?
十和田市現代美術館は芸術に疎い僕のような人間でも存分に楽しめる。入館直後に度肝を抜かれるのは高さ4mもある「スタンディング・ウーマン」という作品。大きさもさることながら、髪の毛や血管など細部までリアルに仕上げた完成度の高さに圧倒される。
「建物ーブエノスアイレス」は床に洋風建築の外観があって、それが斜めに立ち上がった鏡に映し出される。来館者のほとんどが寝転がって無重力的な写真を撮っていた。
津軽半島には魅力的なキャンプ場がいっぱい
奥州街道の旅では宿泊を続けてきたが、最後の夜は宿が見あたらず、油川という宿場でテント泊をした。詳細はBE-PAL3月号の『シェルパ斉藤の旅の自由型』を読んでもらいたい。ガス欠になった地点は近くに温泉があって、人気の居酒屋もあって、最高のキャンプ地だった。
津軽半島の海岸はキャンプ場が各所にあった。ありがたいことにほとんどが無料。有料でも1泊テント1張り500円程度という良心的な料金設定だった。どこも風景がいいし、ペグを打ちやすくてテントが張りやすい素敵なキャンプ場ばかりだ。
奥州街道の終点は津軽半島先端に近い三厩。江戸時代に人々はここから津軽海峡を越えて蝦夷地に渡った。三厩には義経寺もある。あの源義経は平泉で命を落とすことなく、この地まで逃れて北海道へ渡ったとされる義経伝説だ。
義経寺には源義経が祈りを捧げたといわれる観音像が安置されている。小高い丘にある義経寺から眺める津軽海峡は最果ての地を感じさせる。