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FILE.127は、豊島区の小城山観音です。
第127座目「小城山観音」
今回の登山口は、西武池袋線椎名町駅です
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今回の登山口は、西武池袋線椎名町駅北口。
この連載「TOKYO山頂ガイド」も130回近くなり、(個人的に未踏峰の)都内の山も残りわずかとなりました。そこで、見落としなどがないか、連載開始前に作成した都内の山リストをチェックし直していると…ありました。
都内には「山」の付く地名がゴロゴロあります。しかも、現在だけでなく過去にも、その周囲に山がなかったであろう場所がいくつかあるのです。連載開始前にざっと調べた範囲で、そうした実態の伴わない地名だけの山(?)などはリストから除外していました。
ただ、その除外した方にちゃんと実態がある山が紛れ込んでいることに気づいたのです(何をやってんだ、過去の自分!?)。ということで、今回は危うくスルーしかけた「小城山観音」を目指したいと思います。
小城山観音は豊島区にあります。さすがに都会の豊島区だけあって、何通りものアプローチがあります。最短距離だと西武池袋線の東長崎駅ですが、それだと駅チカすぎます。そんなことで、僕は東長崎駅の一つ隣の椎名町駅を、今回の登山口(最寄り駅)に設定しました。
街歩き好きには格好の椎名町
椎名町駅といえば、あの「聖地」の最寄り駅として知られています。手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら著名な漫画家が一同に居住していた漫画の「聖地」トキワ荘です。電車を降りると、椎名町駅の構内に早速「怪物くん」などの大きな看板が掲示されていました。無性にテンションが高まります。
テンションが高まる理由は、自分の好きな漫画が生まれた街だからということと、さすがに記事に書くことに困らなそうだからです。しかし、今回はトキワ荘と逆方向に向かうので、気は抜けません。いそいそと椎名町駅北口登山口を出発します。
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椎名町駅の構内にも、トキワ荘の住人たちの漫画が!
椎名町駅北口登山口を出ると、すぐ目の前に長崎不動尊がありました。参拝している方もちらほら見かけます。
長崎不動尊
長崎不動尊に祀られている不動明王は、1946年(昭和21年)に地域をお守りいただけるようにと、ここに建立されたそうです。同時に、地域の方々によって長崎不動講が結成され、今に至るまで不動尊の運営と管理を行なっているそうです。長崎不動尊の縁日は毎月八の日で、当日は露店が並び賑わうとか。
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椎名町駅北口すぐそばの長崎不動尊。
長崎不動尊の境内に歩を進めると、可愛らしい「ナータくん」が迎えてくれました。「ナータ」はサンスクリット語で「守護者」という意味で、長崎不動尊に祀られている不動明王の正式名称は「アチャラ・ナータ」。つまり、「ナータくん」は不動明王をキャラ化したものなのでしょう。さすが(?)漫画の聖地ですね。
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長崎不動尊の「ナータくん」。
ちなみに、不動明王は、病気平癒(へいゆ)、安産、災害の除去など、私たちの苦しみを救うために火焔を背負う、剣を持った恐ろしいお顔をしています。そうしたことから、いろいろな願いごとをかなえてくれる仏さまとして多くの信者を集めたそうです。そう聞くと、ナータくんも何だか頼もしく見えてきます。
金剛院
長崎不動尊の奥には、金剛院があります。金剛院は、1522年(大永2年)に、聖弁和尚(しょうべんわじょう)という真言宗の僧侶によって、開創されたそうです。その後、寺は原因不明の火災に見舞われ、仏像や古文書を焼失し、1715年(正徳5年)に開創地から北西に800mほど離れた現在地に移りました。
金剛院の敷地内に進むと、四国八十八ヶ所お砂踏み参拝所があったり、マンガ地蔵があったり、お洒落なカフェが併設されていたりと、親しみやすい環境です。こうした感じですと、おのずと足が向くのかもしれませんね。
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金剛院と併設するカフェの赤門テラスなゆた。
四国八十八ヶ所お砂踏み参拝所は、それぞれの霊場の砂が収められており、その上を歩くと八十八か所のお参りと同じご利益をえられるといわれています。現代のように交通手段や交通網が発達しておらず、気軽に旅行などもできない中、近隣の寺社の施設などで代用するという意味では、実際の富士山を模してつくられた富士塚とも共通しますね。
また、金剛院のマンガ地蔵は、トキワ荘協働プロジェクトメンバーがデザインしたもので、1952年から1982年にかけて実際に著名な漫画家が居住していたトキワ荘の方角を見つめています。ちなみに、お地蔵さんの後ろにある光背は、漫画を書くときに使用するGペンのペン先をかたどったそうです。
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「ドラえもん」の右隣がマンガ地蔵(かげっていて見づらくですね、スミマセン)。
さて、駅からすぐの長崎不動尊と金剛院でいろいろ書くことが見つかったので一安心。あとは大腕を振って先へ進んでいきます。しかし、会社員時代には石橋を叩いて壊しても渡らないと揶揄されたほど慎重な性格の僕は、念のため、保険をかけるかのように椎名町サンロード商店街を通ることにしました。
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椎名町サンロード商店街。
すると、あるお店の前を通ったときに、ふわっと良い匂いに包まれました。見ると、「カネナカ豆腐店」の看板が。こちらは、椎名町で創業50年を超えるそうです。機械化されている現代でも、昔ながらの本格的な豆腐を作り続けているとか。
実は学生のころ、近所の豆腐屋さんでごちそうになったお稲荷さんの油揚げのおいしさが忘れられず、古くからの豆腐屋さんを見かけるとつい油揚げがどんな感じか覗いてしまいます。しかも、出先にもかかわらず油揚げを買っちゃう癖があったりします。トースターで油揚げを焼いて、ネギをのせ、ショウガと醤油をたらすとたまりません!あ~、白米がほしい(お酒じゃないですよ)ってなりますね。
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雰囲気ある店構えのカネナカ豆腐店。
椎名町サンロードを抜けると、本格的な住宅街が始まりました。しかし、歩いていくといくつかの違和感を覚えました。ふと電信柱の上を見ると、長崎十字会という看板があるではないですか。調べてみると、現存する商店街のようでした。
以前は長崎十字会商店街の東には、さらに豊島区長崎3丁目にある長崎三友会があり、東長崎駅から椎名町駅まで途切れずに商店街だったそうです。ただ、道路の拡張による土地買収などもあるようで、現在は普通の住宅街にような街並みになっていました。
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かつての商店街として賑わったであろう痕跡(?)の看板。
こうしてキョロヨロ見ながら歩いていくと、いろいろな発見があり想像をかき立てられます。しばらく進むと、一見見落としそうな神社を発見しました。
小城稲荷神社
小城稲荷神社の由緒は不詳だそうです。ただ、小城八幡神社記念碑(長崎八幡神社)には、1678年に小城八幡神社・稲荷神社・羽黒神社のお社を当時の村の有志の方々のお力で建立された、との記載のあるようです。
その一方で、小城稲荷神社は、1947年(昭和22年)創建、長崎三丁目町会長が代表者となり運営しているとの情報もあります。商店街にあることから、そもそもあった稲荷神社が1947年に現在の場所に移転し、小城山稲荷神社として祀られた可能性もあるのかもしれません。この手のネタ、妄想好きにはたまりません。
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知らなければ素通りしそうな小城稲荷神社。
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奥まったところに社殿がありました。
小城山稲荷神社を過ぎ、特別養護老人ホームアトリエ村の角を曲がると直ぐに、今回の目的地である小城山観音がありました。
「こじろやま」or 「おぎやま」?
小城山観音
小城山観音は、1771年(明和8年)に建立された馬頭観音です。もともと現在の長崎3-4の北西の角にあり、長崎3丁目一帯は江戸時代から「小城山」と呼ばれていたそうです。小城山観音の元の位置を見てみると、現在の小城山稲荷神社と同じような位置にあったことから、小城稲荷神社と小城山観音は隣接していたか、同じ敷地内に建てられていたのかもしれません。
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小城山観音。
時代とともに区画が整理されたり、新しく道路がつくられたりした結果、創建当時の土地が分断されるなどして、現在の形に落ち着いたのかもしれません。「かもしれません」を連発していますが、いろいろな痕跡から想像し、歴史の流れに現在も翻弄される街並みを眺めることも、「TOKYO山頂ガイド」ならではの山行といえるかもしれません。
そういえば、ここまで「小城山」の読みがなに触れずに(振らずに)きました。調べた範囲だと、観音さまは「こじろやま」(こじろやま観音)、山の名前は「おぎやま」(おぎ山)だそうです。山の名前から観音さまも名付けられたとすると、なぜ「おぎやま」から「こじろやま」に転じたのか、何で統一されないままなのか、といった「?」がいくつか浮かびます。
でも、個人的にはたったひとつの答えを必要としていません。街や山を歩きながら、頭の中で「?」を遊ばせる時間が楽しいからです。妄想好きからすると「答え」は二の次です。ということで、今回は個人的にたまらない山行となりました。
次回は、練馬区の石神井城址です。
※今回紹介したルートを登った(歩いた)様子は、動画でもご覧いただけます。