第136座目「亀甲山」「宝萊山」
今回の登山口は、東急電鉄田園調布駅です

東急電鉄田園調布駅登山口(写真は2000年に復元された旧駅舎です)。
現在は生まれ故郷の山形に暮らす僕ですが、FILE132の将監山の回で触れたように、かつて二子玉川に住んでいたこともあります。そのころ、たまたま友人が多摩川駅の近くに暮らしていて、よくお互いの家を行き来しました。二子玉川の自宅から彼の家に行く際に、よく自転車で通ったのが丸子川沿いの道です。その丸子川の沿道の上には高級住宅街が広がっていて、「住む世界が違うな」と思いながら自転車を漕ぎました。
…ということを、今回の登山口(最寄り駅)である東急電鉄田園調布駅に降り立って急に思い出しました。そんな「住む世界が違う」高級住宅街を抜けて山を目指します。
高級住宅街に腰が引けつつ、山へ
田園調布は、今や1万円札おなじみの渋沢栄一らによって立ち上げられた田園都市株式会社によって1918年(大正7年)に開発が始められ、1923年(大正12年)に分譲開始したそうです。田園都市株式会社は東急不動産の始祖にあたる会社です。
もともとは中間層向けに分譲したそうですが、1923年(大正12年)9月の関東大震災以降に富裕層が次々に移り住んで、現在のような高級住宅街になったとか。田園調布駅の西側に、扇状に高級住宅街が広がっていますが、その周辺のエリアにも大きな邸宅がいくつも点在しています。

駅のすぐそばに建っている「田園調布の由来」。
田園調布駅を出ると、すぐにケンタッキーフライドチキンがあります。シックな店構えで、他の街で見るのとはどこか違った雰囲気です。
駅を中心に扇状に街路が延び、道沿いに銀杏並木がキレイに植えられていて、まさに高級住宅地の雰囲気です。
もじゃもじゃ頭の怪しい人物が、撮影用の長い棒の先端に付けたカメラを持って歩いていると、良くないことが起きるのではないかとドキドキします。
かつて取材中に住宅街で一般女性に「何か怪しいですけど…」と呼び止められたことがありましたが、「何か書けそうなことはないか」とキョロキョロしているので余計に怪しいのかもしれません(幸いにも、この日は何も起きず一安心)。

扇状の街並みにズラッと続く銀杏並木。
そんな落ち着いた街並みを抜けると、扇状の道路の終点付近に宝来(ほうらい)公園がありました。広々とした敷地に緑がたくさんあります。
下の方に降りていくと、少しだけ遊具がありました。何もかもが上品に見えるのですが、気のせいでしょうか。はい、田園調布という名前に圧倒されています。
宝来公園から少し登ったところに、多摩川台公園がありました。実は、この公園に今回の目的の山、「亀甲山(かめのこやま)」と「宝萊山(ほうらいさん)」があります。

多摩川台公園の入口。
田園調布の山手側は丘陵地帯になって、古くから人々が住んでいました。4世紀始めに宝萊山古墳が築造され、6世紀までに亀甲山古墳など10数基の古墳が築造されたとか。
古来から人が住んでいたということは、それだけ過ごしやすい地域だったのでしょうね。この連載「TOKYO山頂ガイド」でこれまでにも何度か触れていますが、古墳には山や丘を利用して造成されたものが多く、「山」と称されるものも少なくありません。
亀甲山や宝萊山も古墳であり、古くから山と呼ばれていたのです。
宝萊山から亀甲山への縦走
多摩川台公園の入り口を抜けて上りの階段に差し掛かると、宝萊山古墳が現れました。この古墳は、多摩川流域で最古の前方後円墳で、荏原(えばら)台古墳群(※)の最初の首長墓なんだそうです。
発掘調査の結果、全長97mもある大きな古墳であることがわかったそうです。何も知らずに眺めたら「山」にしか見えません。
※荏原台古墳群:東京都にある古墳群で、田園調布古墳群と野毛古墳群の総称。約50基ほどの古墳群からなる。

宝萊山古墳の案内板。
と、ここでいったん動画の撮影を終え、記事に載せる写真(静止画)を撮ろうとバックパックの中を探しますが…あれ…カメラがない!
慌てて来た道を戻り、カメラを探します。落とすわけないし、もしデジカメを落としたら音で気づくはず。駅に向かいながら、田園調布に着いてからの行動を思い出すと、駅のベンチでお菓子を食べたことを思い出しました。
しかし、当のベンチに行くもカメラはありません。そのベンチを離れてから、せいぜい1時間弱…。
カメラそのものより、撮影したデータの方が心配でした。ここまで3日分の撮影データが入っています。カメラが見つからなければ、その3日分を撮影をし直すしかありません。
大声や汚い言葉が口からこぼれそうになるのをこらえ、わずかな可能性に望みを託して交番に向かいました。
最初は、カメラの落し物はあるけど違うものらしいという話だったのですが、若い警官と話しているうちに、僕が落としたカメラと特徴が酷似していることが判明します。
ただ、そのカメラが僕のものであることを証明しなくてはいけない上に、担当する上司の警官が不在で、その方の許可がないと返還できないとのことでした。とりあえず、上司の警官が戻ったら連絡をいただくようにお願いし、再び取材に戻ります。
駅の近くの交番から宝萊山に戻り、あらためて亀甲山への縦走を始めます。実は、宝萊山と亀甲山は向かい合うようにつくられています。
実際は多摩川台公園の「園路」ですが、僕はあえて「縦走路」と呼びます。宝萊山から亀甲山に向かう縦走路は、アップダウンを繰り返します。
やがて松林の樹林帯に入ると、6号古墳、5号古墳が現れました。これら古墳を横目に歩く縦走路。多摩川台古墳群は第2号墳まで続き、広場に出ると亀甲山古墳の案内板が現れました。

まっすぐ伸びる縦走路。

本文とは関係ありませんが、多摩川台公園でテントを張っちゃう人がいたのでしょうか。ダメです。
亀甲山古墳
この古墳は、前方後円形で、墳丘長は107.25メートル。南武蔵地域・多摩川流域で最大規模になるそうです。
古墳時代中期の4世紀末葉-5世紀初頭ごろにつくられたとされ、荏原台古墳群では宝萊山古墳に次ぐ時期の首長の墓ではないか、と推測されるそうです。
ちなみに、横から見た墳形がカメに似ていたことから亀甲山(かめのこやま)と名付けられたとか。そのまんまだけど、良いネーミングですね。
なんと、この亀甲山古墳はFILE4の丸山で紹介した東京タワー近くの芝丸山古墳と並んで都内を代表する古墳だそうです。

亀甲山古墳の案内板。
亀甲山に着くと、望遠レンズを持った多くの人で賑わっていました。何の騒ぎだろうと思い、立派なカメラをお持ちの方に尋ねたら、皆さんは「ニシオジロビタキ」を撮影しているとのこと。
この舌を噛みそうな名前についてGoogleに尋ねたら、とても小さな鳥で、画像を目にして思わず「かわいい」とつぶやいてしまうほどの愛らしいお顔でした。
ニシオジロビタキは、ヨーロッパ東部で繁殖し、冬は中東やインドへ渡り越冬する渡り鳥で、日本では旅鳥や冬鳥として全国各地で観察されます(特別珍しい鳥ではないようです)。
都内では日比谷公園や西臨海公園なども観測スポットとして知られ、特に多摩川台公園は有名らしいです。バードウォッチングとは縁もゆかりもない人生を送ってきましたが、鳥の世界も面白そうですね。
さて、帰りに交番に寄り、無事にカメラを受け取ることができました。かつてはただ見上げるだけだった高級住宅街ですが、山がきっかけでようやく足を運ぶことができました。
ただ見上げていた当時は、その高級住宅街のすぐ近くに都内有数の古墳群があるなんて想像もしませんでした。
2つの山を擁する多摩川台公園は豊かな緑に覆われ、とても心地良く歩くことができます。山登り目当てで訪れる人は少ないのかもしれませんが、ぜひ一度、縦走を楽しんでください。
次回は、大田区の多摩川富士です。
※今回紹介したルートを登った(歩いた)様子は、動画でもご覧いただけます。