
写真提供:いにしえ
「やればやるほど自然が豊かになる農業」を目指して立ち上げた山形の「一家農園」。どんな農園なのか、ぜひ様子を見てみたい。しかし、このインタビューを行ったのは2月下旬。山形には寒気が襲来して、一家農園も深い雪に覆われているということで、井形さんが見せてくれたのが一昨年の初夏の写真だ。
ぶどうの木の下の地面は、土肌がまったく見えないほど草花が生い茂り、果樹園というより、まるで手付かずの自然といった光景。インタビューの後半では、そんな一家農園で井形さんが目指す農業のあり方、そして、その先の構想を語ってもらった。
何かを排除して糧を得るのではなく、あらゆる生物と共存して糧を得る農業を
--手をかけて自然の姿を再現することが自然栽培と教えてくださいましたが、この写真(上)の草花が生い茂った様子は、自然そのもののように見えます。
井 暖かくなってくる頃に、私たちは、地面から生えているセイタカアワダチソウやヨモギなど、その時期に優勢になる植物(草)を、根っこ近くの低い位置で間引くように刈り込む作業をします。それから1ヶ月くらい経つと刈り込んだところから、ヒメジョオンとかハルジオンなどの花をつける種類の植物が生えきます。
定期的に、優勢になっている植物を間引いていく作業をすることで、その時々に後発組の草花が生えてきて、畑の中の植物の種類が増えていきます。なので、一家農園では、年中いろんな種類の花を見ることができます。
--草花の種類が多いと何かいいことがあるのでしょうか。
井 多種多様な植物が育つと、いろんな種類の虫や微生物が生息できるようになります。すると、例えば、虫を餌にする鳥や、芋虫を捕食するアシナガバチが来たりするので、食害する虫の大量発生を抑えることが期待できます。
さらに虫の大量発生を防ぐ対策として、畑の中にアシナガバチの巣箱を置いたり、ネズミやモグラも増えすぎるとぶどうの木の根っこをかじられるので、それらを餌とする猛禽類が来るよう、止まり木を立てたりもしています。

写真中央!設置した止まり木のてっぺんに猛禽類のノスリが。 写真提供:いにしえ
適正収穫量の見方を変える
--働き者のアシナガバチや精悍なイメージの猛禽類に、お手伝いをしてもらっているみたいですね(笑)。いろんな生き物が来ると良い理由は分かりましたが、果樹園だと鳥による食害のニュースをよく見聞きします。その対策は?
井 はい、私の中で葛藤があったのが、その問題です。一家農園にもムクドリが大群で来たことがあったのですが、その光景はなかなか恐ろしいものがありました。
最初は何か道具を使うなどして鳥を避けたいと思ったのですが、そのうち、そういう考えそのものに疑問を持つようになりました。被害の状況を改めて調べてみたら、実を食べられているのは畑の外側(外周)ばかりで、内側の被害は10%、いえ、5%くらいしかなかったのです。その結果を見て、これだったら許容していいのではないか、と。
それで、畑の外側のぶどうの木を、実がたくさん付くように育てて、内側の木は、量を重視するよりもワイン用のぶどうとして充実した実ができるよう栽培をする、というやり方を思いつきました。
--外側の実は鳥にあげましょう、ということですか?
井 そうですね。適正収穫量というのを考えてみたのですが、鳥に食べられる量を考えた上で見えてくる、適正な量の計算があるんじゃないかと。たとえば、100%が正しいのではなく、70%とか80%が適正なのでは、という見方です。
人が中心ではなくあらゆる生物と共に
--ここまでお話を聞かせていただいて思ったのですが、一家農園でやっていることは単に自然栽培という言葉ではくくれないのではないか、と。
井 実は、私たちが追求しているこの農業のあり方(概念)を『生態適合農業』と呼んでいます。何かを排除して糧を得る農業ではなく、あらゆる生物と共存することで糧を得る農業です。
一家農園を仲間たちと立ち上げた翌年の2021年10月に、私は、自然栽培農家を支援するためのネークルという会社を創業しています。その後、社名を「いにしえ」と変更したのですが、ここでは、私たちが提唱する『生態適合農業』という農業のあり方に賛同してくれる生産者や消費者の輪を広げる活動をしています。
具体的には、自然栽培による農作物やその加工品の販売。生産者である農家に向けては、生産効率の向上をサポートする目的で農機の貸し出しなども行っています。
--会社勤めの時から学んできたビジネスの勉強や培ってきたネットワークが、ここで生かされているということですね。ところで、『いにしえ』のホームページでは、一家農園産のぶどうで作られたワインも販売しています。無濾過、酸化防止剤不使用ということがきちんと表記されていますが、それ意外にもセールスポイントはありますか?
井 味や香りなどワインの質についてはもちろん自信がありますが、みなさんに伝えたいのが「飲めば飲むほど自然が豊かになるワインです」ということです。
世界中で飲まれているワインは、原料であるぶどうの栽培も含め、最も研究されているお酒のひとつだと思います。そんな中で私たちは、「この美味しさは生態適合農業だから出せるもの」と世界のワイン好きの皆さんに誇れるワインを作っているのです。

収穫時期には手作業で丁寧にぶどうを摘み取る。写真提供:いにしえ

一家農園産のぶどうで作られたナチュラルワイン「IKKA WINES」
--最後に、これから叶えていきたい夢や構想があったら教えてください。
井 一家農園で色々なチャレンジをして、私たちが目指す『生態適合農業』は、個々の農園の中だけでは完結できないことだということが分かってきました。
虫でも何百メートル規模の世界で生きているわけで、つまり、私たちのエリア(農園)は生態系の一部にあるということ。なので、河川の近くにある里山とか森とか、さらには人が足を踏み入れることができない場所も含め、流域一帯を俯瞰した『生態適合農業』の構想を考えています。
その光景を想像してはスケッチをするのですが、それが楽しくて……。

井形さんの『生態適合農業』の構想のスケッチ。
--実現のためには課題も山のようにありそうです。
井 30年後、100年後、と、長いスパンで考えています。それでいて、私の畑作りのポイントの基準はけっこう単純で、自分が畑の中に立って気持ちがいいことなんです。ひとりで休憩するとき、心地よく居眠りできるのってすごく大事。そういう時間を過ごせる農家さんが増えていくといいなと思っています。
--雪が溶けて日差しが暖かくなってきたら、一家農園の中は賑やかになってくるのでしょうね。『生態適合農業』が日本に限らず世界に理解され、広がることを期待しています。
いにしえ https://inishi-e.com
取材協力:MIZEN https://mizenproject.co.jp
写真 小倉雄一郎