「ある精肉店のはなし」が都内でアンコール上映!
2013年に公開した「ある精肉店のはなし」が、来たる11月24日-30日に1週間限定でアンコール上映される(全国各地でも上映会が予定)。あふれる探求心が生み出す数々の作品が話題になっている纐纈(はなぶさ)あやさんが監督だ。公開から数年が経てもいまなお上映が続き人を惹きつけて止まない。その作品作りの精神的ベースは、なんとアウトドア経験だったという。 ドキュメンタリー映画監督纐纈あやさんに突撃インタビュー!
自然を愛する者にとっては、心惹ひかれるドキュメンタリーを作る映画監督がいる。やしほ映画社の纐纈あやさんだ。以前本誌でも取材に訪れたことがある、広島県竹原市忠海(ただのうみ)の「石風呂温泉 旅館岩乃屋」。石風呂とは、岩窟や石積みの室の中でシダや柴を燃やし、潮水で濡らした海藻やムシロを敷いて暖まる熱気・蒸気浴施設のこと。温泉源が少なかった瀬戸内海周辺で広がった文化だ。
近代化で石風呂は激減し、海藻のアマモや柴が調達しにくくなったことから岩乃屋は残念ながら閉業となったが、纐纈さんは石風呂という文化に密着し、現在作品を制作中だ。ドキュメンタリーの名手として注目を集める纐纈さんに話を聞いた。
石風呂、竹かご。失われつつある日本の生活文化を描く
ビーパル サウナ好き、秘湯好きには垂涎ぜの石風呂。江戸時代には数百か所とあったと聞いています。岩乃屋さんの石風呂は、元々旧日本軍が舟を隠していたという洞窟を利用されたものだったそうですね。なぜ、石風呂を映画の題材に選んだのですか?
纐纈 岩乃屋さんの石風呂に初めて入ったとき、その気持ちよさに衝撃を受けて。老若男女が思い思いに過ごす石
風呂という「場」に魅了されて、2016年3月から映像記録を撮らせていただくようになりました。岩乃屋さんがその年の11月に閉店した後は、山口県岸見の石風呂、香川県塚原のから風呂(古代サウナ)、山口県防府(ほうふ)市阿弥陀寺などを巡って、撮影を続けました。
石風呂って、山の枝木を燃やして室内を熱し、アマモや石菖(せきしょう)などを敷き詰めてその熱気を浴びるというものなんですね。磯の香りとミネラルいっぱいの蒸気に包まれると、一気に汗が出て細胞が生まれ変る感じなんです。残った灰やアマモはまた自然に還す、循環する暮らしの営みそのものです。アマモは農家さんが肥料にしていたため、何艘もアマモ採りの舟が海に出て夏の風物詩だったそうですよ。
ビーパル 竹かご職人の日常を追った『西山昭一さんの万漁かご』を撮られたのは、魚の水揚げに使われた竹かごがプラスチック製にとって代わられ、福島県小名浜に数多くあったかご店も今や一軒だけになった背景があるとか。映像の中で、竹を取りに山に入られた西山さんがぼそっと発した「山が荒れてどうしようもない」という言葉に、日本の山林管理やかごを作る継承者がいないという問題が垣間見えました。映画の題材はどのように選ぶのでしょう?
纐纈 撮りたいと思うテーマは、日本の暮らしの中にある営みや技術、場所、共同体というものが多いですね。特別であったり何か秀でているものということよりも、普通の方が普通のこととしてずっと続いてきた、昔ながらのものに惹かれます。でも、今の時代に失っていく営みがあまりにも多い。その文化や技術がなくなってしまうと聞くと、いてもたってもいられない。とはいえ、映画を作るのは問題提起が目的ではなくて、その営みの豊かさを私自身が理解したい、それを他の人とも共有したいという思いです。これまでもこれからも、自分の仕事を当たり前のこととして全うしようと生きていらっしゃる方々の姿を通して見えてくるものを、できるだけ映像から見る方それぞれに感じ取ってもらえるようテロップやナレーションは最小限にしています。
ビーパル 題材を決めたり、取材を申し込んだり、ドキュメンタリー制作には時間がかかりませんか?
纐纈 かかりますねえー!(笑)。取材を許可してもらうまでにも時間がかかりますからね。初監督をした『祝(ほうり)の島』は、震災前に撮影したものです。長年の原発反対運動の中で、多くの取材者を見てきた祝島(いわいしま)の方々の目はとても厳しく、撮られるのも基本好きじゃない。私は彼らが反対している原発ではなくて、守ろうとしている島の人たちの普段の暮らしを撮りたい、と思いました。若者不足ですからお年寄りの仕事を手伝いながら、1か月に1、2回撮影する日にちを決めてカメラマンにその都度きてもらっていました。『ある精肉店のはなし』も、「映画に出ることでさらに差別を受けるかもしれない」とはじめは断わられました。断わられて、あたりまえですよね。説得できるような言葉は持ち合わせていませんでしたが、「あきらめな
い」ということだけ決めて通い続けました。原発や差別の問題を撮りたいのではなく、祝島や北出精肉店の方々の“生きる力”ってこんなにすごいんだぞ、って伝えたい、その一心で。
“しつこさ” を生んだのはアウトドア体験から⁉
ビーパル その〝くらいつく姿勢〟というのは、どこからやってくるんでしょうか?
纐纈 私ってどうやら「しつこい」らしいです(笑)。会社の名前が、やしほ映画社というんですが、このやしほ(八入)って染色用語で、染液に幾度も浸し、色を濃く染め上げる時に使うそう。私の名字の纐纈も、絞り染めからきています。「あなたの〝しつこさ〟にぴったり」と師匠の本橋成一さんがつけてくださいました。そのしつこさというか持久力はどこからくるのかというと、中学から短大まで自由学園という学校で過ごしたことが、大きいと思います。学校では授業だけでなく、生きることの基本は「食べる」、「着る」、「住む」ことと言われ、24時間すべてが勉強だと教えられました。全学年が畑でさまざまな食物を作って、それを使って日々の食事も自分たちで作るんですよ。初等部の子供たちの「畑の勉強」を『土と育つ子どもたち』というDVDにまとめました。
母校に撮影のために通っていますが、例えば4年生は理科の授業でひとりでカイコを数匹ずつ飼い、毎日カイコと一緒に登下校して幼虫から糸をとるまで世話をするんですよ。カイコと一緒に子供たちも成長するんですね。私はアウトドアも大好きで、短大のときは親友と自転車で北海道を一周旅をしたり、北岳の山小屋でアルバイトもしていました。
ビーパル 纐纈さんの作品から感じる、ひたすら生きる者への敬意は、そういった自然やアウトドアが身近にあった環境が育てたんですね。
纐纈 『祝の島』を撮り終わった後、必死な思いで映画を作っても食べていけないという現実に打ちのめされました。でも仕事はしなければいけない。そのときに、しばらく造園業のお手伝いをしたことがあったんですね。自然と結びついた人々の暮らしが原発と対峙しているのを目の当たりにして、もっと自然のことを知りたいな、と思って。そんな時に友人が「杜の園芸」の矢野智徳さんを紹介してくれました。矢野さんは、「自然の本質は流れである」といいます。乗り物に乗っても、いつも窓際の席で、ずっと外を観察しているのですが、九州のご実家から飛行機に乗って東京に帰ってくるときに「あの島のまわりには潮の流れが集まっていて、特別なところだろうと気になっていた」のが祝島だったっていうんですよ!
耕作放棄地を整備するときも、まずその土地の水の流れ、空気の流れをよむんです。そして、その流れが遮断されている所に手を入れていくと風がわーっ! と流れ込んで、気配がいっきに変わっていく。まるで、もののけ姫の世界。自然というのは本来、不均一、不均衡であるが故に流れが生まれるはずなのに、均一な人工物によってその流れを遮断してきてしまったのだとおっしゃいます。そのあと『ある精肉店のはなし』の企画が始まって、また映画制作にもどったんですが、今でもあのときの経験は自分のベースの一部になっています。
ビーパル 『祝の島』『ある精肉店のはなし』は、今も上映会が続いていますが、反響はいかがですか。
纐纈 『祝の島』の公開は震災の前年でしたが、当時マスコミにはほとんど取り上げてもらえませんでした。ですが、震災後は多くの方が見てくださって、反響はとても大きかったですね。『ある精肉店のはなし』では、映画を見た方が北出精肉店を訪れるようになりました。それも、北海道や沖縄などの遠方も多く、最初の2年くらいは毎日のようにお客さんが店に来て、その度に北出さんは丁寧に対応してくださって。最後にはお客さんに「飯食っていくか」って声をかけることもあると聞くと、ありがたいやら申し訳ないやらで…。多くの縁をつないでくれた恵まれた映画だったと思います。
「ある精肉店のはなし」
監督:纐纈あや、プロデューサー:本橋成一、撮影:大久保千津奈、製作:やしほ映画社、ポレポレタイムス社(2013年/日本/108分)
大阪府貝塚市で7代にわたり精肉業を営む北出一家を題材にしたドキュメンタリー。タブー視されがちだった「と畜」に向き合った名作。と畜を通じて被差別部落の歴史が浮かび上がる。
「ある精肉店のはなし」は、ポレポレ東中野で11月24日から公開予定。その他に全国各地でも上映会が予定されている。詳しくは、公式ホームページをチェックしてみよう!
※構成/柳澤智子 撮影/花田龍之介
(※このインタビュー記事はビーパル8月号に掲載されたものを再編掲載しています)