
今回はキャンピングトレーラーを取り扱う「インディアナ・RV」の創業者に、素朴な疑問をぶつけて始まったインタビューをお届け。
なぜヨーロッパ車を取り扱っているのにインディアナなのか?

今年で設立27周年を迎えた、老舗キャンピングトレーラーインポーターのインディアナ・RV。同社は「INDIANA RV 27」とデザインされたアイコンを採用しています。もうかれこれ10年以上も同社のキャンピングカーを取材していますが、このブランドロゴを改めて眺めていて、ふと疑問が湧きました。
「なぜロゴに27の数字があるのか? なぜヨーロッパ車を取り扱っているのにインディアナなのか?」
つい先日のこと、新型車の取材をする際に代表である降旗貴史さんにこの2つの疑問を投げかけてみることに。そこには降旗さんの”興味深い物語”がありました。
運命的な出会いが人生を大きく変えた

―まずは起業までの経緯を教えていただけますか?―
1970年、18歳だったときに五木寛之の「青年は荒野をめざす」と言う本と出会い、その舞台であるロシア(当時のソ連)や北欧を旅してまわろうと決意しました。
時給のいい銀行でアルバイトをしながら旅費を蓄え、翌年には大学に休学届を出していざ旅の準備も万端。本の主人公と同じ様に、横浜港から船でロシアのナホトカに渡り、そこから鉄道でハバロウスクへ向かい、ハバロフスクから本来ならシベリヤ鉄道で一週間かかるところを飛行機でモスクワに飛び、又鉄道でフィンランド・ヘルシンキに抜けて、自分だけの自由なヒッチハイクの旅が始まりました。
―1971年当時と言えば、翻訳アプリや地図アプリもない時代。10代でユーラシア大陸の中央横断なんて想像すると、その冒険心や実行力にはただただ脱帽なのですが、そこでキャンピングカーとの出会いがあったのでしょうか?ー
いやいや。ここではまだキャンピングカーは登場しません(笑)。
ちょうどウィーンでの旅をしていたときのこと、街角でひとりの日本人男性から「このあたりで美味しい食事ができる店を知らないか?」と突然話しかけられました。
彼は僕より3つ年上で、大学の卒業旅行でウィーンに来ていたそうです。会ったその日に不思議なくらい意気投合し、そこから1か月くらい一緒に旅をしました。彼は兄貴のような存在でとても頼りになりました。
旅での会話はもちろん、いろいろな見聞は自分にとってとても貴重な時間でした。ヒッピーカルチャーも盛んだった時代。彼から「ダラダラと旅を続けていてはダメだぞ」と諭され、僕は3か月で旅を終えると日本へと戻ることに。
その後、彼は国内の大手商社へと就職。僕のほうは大学を辞め、新車ディーラーの販売員から中古車販売店の販売員へと仕事を移し、生活を送っていました。それでも彼とはずっと連絡を取り合っていました。
アメリカで見かけたキャンピングカーにひと目ぼれ

―中古車販売からなぜキャンピングカーの会社に?―
彼との出会いから19年後の1990年。ある日、彼から僕に「メキシコへ中古日本車を輸出することができないか?」との相談がありました。そこで20台ほど中古車を集め、車両の資料を作成しメキシコへと2人で商談に向かいました。
しかし、輸送コストに加えて右ハンドルというのがネックとなってしまい、残念ながら商談はうまくいきませんでした。気分も消沈しつつメキシコから日本へと戻るとき、たまたまロサンゼルス経由だったのですが、カリフォルニアの街で偶然見かけたキャンピングカーに、2人して「これだ!」と雷に打たれたような閃きが浮かびました。
ここからキャンピングカー事業の構想が立ち上がりました。
そして翌1991年に改めて渡米し、いくつかのキャンピングカービルダーを訪問。インディアナ州といえばアメリカン・キャンピングカーの聖地とも言われる場所で、ブリストルという街にあるシャドークルーザー社が僕らの話に興味を持ってくれ、日本の使用に適したオリジナルモデル「インディアナ・アパーチ」の製造をしてくれることになりました。
当時は北米の人から「日本の家はウサギ小屋のよう」と言われていて、オリジナルモデルの設計にしても「こんなに小さくていいのか?」と驚かれたことをよく覚えています。

―やっとキャンピングカーが登場しましたね! もしやブランド名の「インディアナ」とは……―
そうです(笑)。インディアナ州から命名しました。この頃になると日本でも数社がキャンピングトレーラーの輸入を始めていて、少しずつですが認知されるようになってきました。
ただ、わずか数年でシャドークルーザー社が他社へ譲渡・売却されてしまい、僕らもそれに対応するためにアメリカではなくヨーロッパのビルダーを検討することにし、欧州のビルダーをいくつも訪問しました。
そうしたなか、1996年にはイギリスのスイフト社やベルギーのベイヤーランド社、1997年にはポルトガルのマルカンポ社のキャンピングトレーラーを取り扱うようになっていきました。
とくにマルカンポ社の「ポルト」シリーズは日本でも大ヒットを記録。そんな勢いもあって、1998年に彼と2人で共同経営という形で社名を変更し「ヴィンテ・セッテ」社として設立することになりました。ヴィンテ・セッテはポルトガル語で「27」を意味するのですが、設立した年が彼との出会いからちょうど27年だったことから由来しています。

―なるほど。これで27の謎が解けました!
彼と出会って27年後に会社を設立し、今年で設立27周年ということは、出会いからはもう半世紀以上となる54年になるんです。
彼のほうは少し前に経営のほうからは外れましたが、現在も月に1、2度は顔を出してくれます。2人とももう70歳を過ぎましたが、あのウィーンで偶然の出会いがあったから今があると思うと、本当に感慨深いものがありますね。
キャンピングトレーラーの魅力を伝え続ける


―現在はクナウスやトリガノ、ニワドーなども取り扱っていますが?
2004年にマルカンポ社がドイツのクナウス社に買収されたことがきっかけです。フランスのトリガノ社については2007年からになります。
現在、弊社でも人気のトリガノ「エメロード」シリーズも取り扱いから早18年。最新モデルの「エメロード376」「エメロード406」は日本での使いやすさや扱いやすさを追求しており、装備面についても防災としての機能を追求したグレードも用意しています。
東日本大震災以降、キャピングトレーラーの防災面での利用も想定して装備面を強化し続けており、輸入モデルをただ販売するのではなく、海外ビルダーに特注でオーダーして、より日本の環境にあった車両を提供していきたいと考えております。
ほかにも、スタート時から一貫してけん引免許が必要のない軽量・コンパクトなモデルを充実させているのも、弊社のひとつの強さかなと思っています。数多くある日本で買えるキャンピングカーからウチに興味を持って貰えるのも、なにかのご縁。
今までも、そしてこれからもそんなご縁に応えるべく、スタッフ全員で取り組んでいけたらこんなにも幸せなことはないですね。
欧米とは大きく異なり、キャンピングトレーラーはまだまだ日本での保有台数は少なく、知名度も低いです。だからこそ、弊社ではトレーラーのけん引体験をできるようにしていますし、トレーラーの魅力を伝え続けたいと思っています。
―最後に、あのロゴのデザインはご自身で考案されたものなのでしょうか?
いやいや。知り合いがデザインしてくれたのですが、いまはここ神奈川の綾瀬市に店を構えていますが以前は湘南にあったからSHONANの文字が入っています。あのクマのキャラクターについては僕がモデルでして、昔は今よりもずいぶんと恰幅があったので、あのデザインになっちゃいました(笑)。
<話を聞き終えて>
降旗さんの話は、若い頃からパワフルで苦労しているのにも関わらず、話し方からしてまったくもって暗くなく楽しそうに話されているので、こちらはただただ驚くばかりでした。
すべての“縁”を大事にしつつ、もしもお客さんが困ったらスタッフ全員で最善策を探す姿勢や嘘をつかないという信条を貫いているからこそ現在の同社があるのだな、と実感しました。
最新モデル「エメロード376」「エメロード406」については近日、細かく紹介したいと思いますのでお楽しみに。