宝玉が生まれ出づる古来の聖地
2019年、遅ればせながら、あけましておめでとうございます!
皆さま、新年いかがお過ごしでしょうか?
そろそろお正月気分から通常運転に戻りつつあるのではないかと思いますが、私はまだまだお正月気分を引っ張りたい心もちでいっぱいです。というのも、年末年始にほぼ休めなかったからです。つまり、不完全燃焼なのです。もっと年末年始らしい過ごし方をしたかった……。
私にとって、「憧れの年末年始の過ごし方」は、「山頂から初日の出を見る」です。初日の出を山頂で見られたら、最高ですよね! それができたら間違いなく《完全燃焼した!》と叫んじゃいますよ。……そう言えば、初日の出ではありませんが、昨年11月初めに訪れた「金剛山」では、最高の日の出を見ることができました。あの日の出を思い出すと、心身ともに清らかになっていく気がします。
せめて心に、初日の出……(妄想)。
金剛山からの日の出。初日の出ではありませんが、心のよすがに。
そんなこんなで、2019年は、大阪府の最高峰であり、修験道の原郷である「金剛山」からスタートしたいと思います!
12月からスタートした本連載では、修験道の祖・役小角(えんのおづぬ)の気配を探して、大和葛城山と山麓を歩きました。https://www.bepal.net/trip/tripinjapan/53751
役小角は、大和葛城山山麓の茅原(ちはら)に生まれ、「葛城(木)山」で修行をしたと伝わっていますが、ここで言う「葛城(木)山」というのは、実は現在の「金剛山」だったとされています。
では、どうして今は「金剛山」と呼ばれるようになったのかというと、役小角が開いたと伝わる「金剛山寺(こんごうせんじ)」あるいは「金剛山転法輪寺(てんぽうりんじ)」にちなむという説が一般的なようです。一方、「宝玉を研磨するための柘榴石(ガーネット)の細沙を金剛鑚(こんごうさん)といい、その金剛鑚を産出したために金剛山となったのではないか」という説もあるそうなんですが、私もこの説に一票。お寺が建立される以前から、この一帯は、金剛鑚に限らず貴重な鉱物(宝玉)の産地として知られていたということは、まず間違いないのです。だからこそ、役小角の本拠地とされたし、修験道の中心地になったんじゃないかと思うんですね。
大阪サイドの河内長野駅からアプローチ
さて、金剛葛城山系には「ダイヤモンドトレール」という全長約45キロの自然歩道が整備されています。奈良県香芝市の屯鶴峯(どんづるぼう)を起点に、二上山(にじょうさん)、大和葛城山、金剛山、岩湧山(いわわきさん)、大阪府和泉市の槇尾山(まきおさん)を縦走する行程です。
調べてみますと、大和葛城山から金剛山を結ぶ距離は、6.5キロ。標準タイムは約205分とのことなので、ここに限って言えば、私にも歩けなくはない行程です。しかし、大和葛城山を一緒に歩いてくれた友人Tちゃんは、ここでタイムアップ。実はTちゃんはウィーン在住の映画研究者。年に一度会えるかどうかなので、名残を惜しんで私も一緒に大和八木駅近くに宿泊し、翌日Tちゃんと別れて、電車で河内長野駅を目指しました。近鉄線を2回乗り換えて、約50分。河内長野駅からは、南海バスに乗り換えて、金剛山登山口を目指します。40分ほど進んで、「金剛山ロープウェイ前」の停留所で下車しました。
この連載を読んでくださっている賢明な読者の皆さんは、すでにお気づきかもしれません。そうなんです。私はロープウェイ好き。見るべきものがあり、歩くべき理由があれば、もちろん山道を歩きますが、ロープウェイがあったらできれば乗りたい派です。とはいえ、今回は時間を惜しむという大義名分もありますけれども……。
停留所から、登り坂を15分ほど歩くと、ロープウェイ乗り場へ到着!
ロープウェイ乗り場。空の様子が建物に微妙な陰翳を加えてしまっているような……。
このやけに暗めな写真を見て、おわかりでしょうか。この日は、午後から天気が下り坂……。写真を撮っている時間は13時半くらいですが、ずいぶん暗く感じます。天気予報では、翌日の午前中は雨となっていました。
この日は山頂の山荘「香楠荘」に宿泊し、翌日朝日を見るのがとても楽しみだったのに、難しそうな雲行きです。雨が降ってしまうと、さすがに歩き回れません。今日のうちに、できるだけ巡ってしまわなければと焦る私。山頂駅から10分ほどのところにある香楠荘に荷物を預け、さっそうと外へ飛び出しました。
刻一刻と増す「人ならざるモノ」の気配
金剛山は、ロープウェイで山頂駅まで行ってしまうと、高低差はあまり気にせず一通りぐるりと回ることができます。山道もきれいに整備されていて、危険な場所はほとんどありませんが、お天気が良くないとなると、油断は禁物です。山の天気は変わりやすいですから、あれよあれよという間に悪くなっていくだろうと予想した私は、とりあえず、山頂標識がある国見城址広場を目指すことにしました。
修験道ゆかりの葛木(かつらぎ)神社と転法輪寺を中心に、要所要所でご挨拶だけしつつ、できるだけ早足で進みます。香楠荘からは1時間ちょっとだったでしょうか、広場に到着!
金剛山山頂。国見城という名の通り、絶好の眺望でまさに「国見」の好立地。…のはずなんですがモヤでほとんど見えず。
ところで、この金剛山ですが、大きく二つのファクターが絡み合っています。一つは、私が今回訪れた最も大きな理由である「修験道」。もう一つは、南北朝時代を中心とした「中世史」ファクター。
この周辺は、鎌倉末期から南北朝時代に活躍した名将・楠正成(くすのきまさしげ)の本拠地があり、この国見城址も、楠正成が築いた城砦の一つだったようです。また山麓と周辺には観心寺(かんしんじ)や金剛寺(こんごうじ)といった、大きなお寺が点在していますが、そのお寺にはいずれも南朝皇室ととても深い関係があります。そのあたりは、密教といった側面から見てもそれはもう、大変な宝庫なのですが、今回のテーマはあくまでも「修験道」。本当に断腸の思いですが、中世史ファクターは「はしょり」ます。
それにしても、なんて神秘的なんでしょうか……。
一帯に一枚薄墨のフィルターをかませたような視界。「幽玄」とはこのことを言うのかもしれません。さすがお能(猿楽)の大成者・世阿弥のルーツにもゆかりの地です。ついつい見惚れて、うっとりとしてしまいましたが、しかしその美しさは、あっという間に畏れるべき美しさに変わりつつありました。元々人影はまばらでしたが、みるみる人影がなくなって……。
明らかに人の気配は弱まり、自然の気配というか、人ならざるモノの気が強まってきている気がします。このままでは、山道もモヤにおおわれてしまいそうです。来た道を戻るだけとしても、視界があやしい中を宿に戻るのもちょっと怖い。ビビりだした私は、はっと我に返り、何かに追い立てられるように、早足で宿へ向かいました。さあ、明日の朝はどうなってしまうのでしょう……?
なんて言って、冒頭ですでにお話ししちゃいましたね。そうなのです。なんと天気予報を覆して晴れてしまったのです! まさに奇跡です!
(Vol.5に続く)
プロフィール
武藤郁子 むとういくこ
フリーライター兼編集者。出版社を経て独立。文化系アウトドアサイト「ありをりある.com」を開設、ありをる企画制作所を設立する。現在は『本所おけら長屋』シリーズ(PHP文芸文庫)など、時代小説や歴史系小説の編集者として、またライターとして活動しつつ、歴史や神仏、自然を通して、本質的な美、古い記憶に少しでも触れたいと旅を続けている。
★共著で書き下ろした『今を生きるための密教』(天夢人刊)が12月17日に刊行されました!ぜひお手に取ってみてください。よろしくお願いいたします~!