仙台城址に立つ伊達政宗の銅像。豊臣秀吉、徳川家康に仕えながらも虎視眈々と天下を狙っていたといわれる。(写真:rujin / PIXTA)
教養溢れる趣味人が愛した「川狩」
伊達政宗(だて・まさむね。1567-1636)は東北の戦国武将で、仙台藩62万石の藩祖。幼い頃に病で隻眼となったことから、後世に「独眼竜(どくがんりゅう)」と称された。10代から戦場を駆けめぐって東北地方の半分を手中にしたが、時すでに遅く、豊臣秀吉の全国統一の前にやむなく屈し、のちに徳川家康の家臣となった。
伊達政宗は、天下を狙う野望の男というイメージが強いが、優れた武人であるいっぽうで、和歌・漢詩・茶の湯・能楽などに精通した、多趣味な教養人だった。
教養を磨くとともに、政宗は体力増進にも注意を払い、家臣らを連れてよく山に狩りにでかけた。ある日、山の中で見事なシカが3頭あらわれ、家臣らがもたもたしていると、政宗は自ら馬を駆って一頭のシカを追い詰めて仕留めたという。狩りの際には山中で酒宴を開き、家臣の上下を問わず酒や金銀を与え、大いに笑い、ストレスを発散していた。
政宗にとって、1年でいちばん楽しい季節は夏だったようだ。
「夏に病気になったら、川狩(かわがり)をすればすぐに体調が回復する。遊ぶことはいつでも楽しいものだが、夏の遊びほどおもしろいものはない」(『政宗公御名語集』より。現代語訳)
政宗の言う「川狩」とは鮎釣りのことで、当時から竿釣り、鵜飼いなどさまざまな漁法があったが、政宗の遺品に釣竿があることから、鮎を釣って楽しんでいたようだ。
粋でオシャレな男性を俗に「伊達男(だておとこ)」というが、これは政宗の趣味や派手な振る舞いに由来するという。政宗は鮎を釣る竿にも、当然こだわりを持っていたにちがいない。
仙台の伝統工芸品「仙台釣竿」は、野竹をつないで漆で仕上げる最高級の釣竿であり、政宗も愛用したという。今に伝わる仙台釣竿には「伊達男」の粋が集約されているのだ。
鮎釣りは江戸時代に庶民にも広く普及して、趣味の王道の地位を得た。
歌川広重画「鮎の図」。多摩川の鮎を描いたもので、江戸時代の鮎漁の人気をうかがわせる(国立国会図書館蔵)
「釣りをしているときは、ほかのことをいっさい忘れさせてくれる。太公望(たいこうぼう)*が釣りをおもしろがったことももっともだ」(前掲書)
政宗の言葉にうなずく現代の太公望も多いのではないだろうか。
*太公望…古代中国の政治家。釣りをしていたときに王に見出された。その故事から釣り人を太公望と呼ぶようになった。
構成/内田和浩