伝説的な猟師、デルス・ウザラの卓越した知恵と技能
若いころ、世界中を旅して溜め込んだ見聞。その旅土産は数十年たった今も、しっかりと私の自然暮らしの中に息づいている。なかでも幾度となく訪れたシベリアで学んだ知識は、アウトドアライフの大切な支柱となった。
そもそも、私がシベリアにはまったきっかけは、学生の頃に読んだロシア人探検家、ウラディーミル・アルセーニエフ(1872~1930)の極東探検記。アルセーニエフは博物学者であり、シベリア植物の種を書物にまとめた最初の人物でもある。
多くの紀行書を残し、なかでもタイガ(針葉樹林帯の森)の伝説的な猟師、デルス・ウザラとの旅記録に基づいた小説『デルス・ウザラ』は、黒澤明監督によって映画化され、日本でも脚光を浴びた。
物語は、未開の地であった極東地域の地図製作をするため探検隊を率いることになったアルセーニエフと、隊のガイドを務めたデルス・ウザラとの交流を、シベリアの広大な風景描写のなかに描いている。
極寒の厳しい自然のなかで生き抜いてきたデルス・ウザラの卓越した知恵と技能、自然と一体となって暮らす彼の人間的魅力にアルセーニエフは惹かれていく。
デルスは生き物も自然現象もすべて「人」として考えていた。「焚き火」も同様。湿気をおびて爆ぜる”薪”に向かって「いつもパチパチ叫んで燃えて、悪い人!」と叱り、乾燥した質のよい薪のことを「静かで良い人」と尊んだ。
風を読み、湿度を感じ、密林に響く音を聞いて気象を予測する。夜の様々な音に耳をすませ、小川や風や枯れ草が何を呟き、それらの声がどんな意味(天候の変化など)を持つのかを知っていた。
『デルス・ウザラ』の中で、印象的なシーンがある。探検隊が猟師たちが使用する小屋に泊まったとき、デルスが薪とシラカンバ(白樺)の皮とマッチ、ひとつまみの塩と少量の米を小屋の中に吊るす。アルセーニエフが意味を尋ねると、デルスはこう答える。
「誰か、別の人来る。乾いた薪、見つける。マッチ見つける。食い物見つける。人、死なない」
自分のためでなく他人のために行なう、このシベリアの掟は、今でもこの地に暮らす人々の中にしっかりと息づいている(第5回「シベリアの薪積みの奥義」をお読みください)
目的に応じて薪の置き方を変えるのがシベリア流
アルセーニエフとデルスが旅の中で何よりも重んじたのが「焚き火」である。
薪の並べ方にもこだわりがある。料理をするための焚き火、動物を追い払うための焚き火、猟をするための焚き火、極寒の野営のための焚き火…。目的に応じて薪の置き方を変えるのがシベリア流だ。
シベリアの冬の焚き火で、もっともポピュラーなのが、太い丸太2本を使う「ノディア」と呼ばれる薪の組み方。冬はマイナス30~40度Cが日常のシベリア。ヤワな焚き火ですむはずがない。
焚き火を挟んで夕食をとるアルセーニエフとデルス。アルセーニエフが食べ残した肉片を焚き火の中に放り込むと、デルスが急いで焚き火の中からその肉を取り出し怒りの声を上げる。
「なぜあなたは肉を火の中に投げ入れる? ここにはアナグマが来る。カラスやネズミ、アリも来る。タイガには色々な人がいる」
その言葉を受けてアルセーニエフは後にこう記録の中に収めている。
「デルスは猟師である。だからこそ生き物を無駄にしない。彼は人間だけでなく、たとえそれがアリと同じぐらい小さな生き物だとしても、ここにいるすべての命とともにタイガ(針葉樹林帯の森)を愛し、助け合い、生きようとしている」
次回は、「シベリア伝説のハンター、デルス・ウザラに学ぶ自然暮らし・住居編」です。お楽しみに!
ババリーナ裕子
かつてサハラ砂漠をラクダで旅し、ネパールでは裸ゾウの操縦をマスター。キューバの革命家の山でキャンプをし、その野性味あふれる旅を本誌で連載。世界中で迫力ある下ネタと、前代未聞のトラブルを巻き起こしながら、どんな窮地に陥ろうとも「あっかんべー」と「お尻ペンペン」だけで乗り越えてきたお気楽な旅人。現在は房総半島の海沿いで、自然暮らしを満喫している。執筆構成に『子どもをアウトドアでゲンキに育てる本』『忌野清志郎・サイクリングブルース』『旅する清志郎』など多数。