※ 所属や肩書は取材当時のものです。
日本の国土の7割にも達する森林。その管理のために活躍してきた刃物が鉈である。あらゆる作業を機械が代行する時代になり、鉈が活躍する場は減っている。しかし、いざというとき頼りになるのは、やっぱり一人力のシンプルな刃物なのだ。
林業はかつて国内総生産を支えるニッポンの屋台骨だった。山国は賑わいに満ち、腰に鉈と鋸をさげた男たちの面構えは、山のサムライと呼びたくなるほど精悍で輝きに満ちていた。
どの現場でも、よい仕事を早くこなせる者は厚遇された。だから、昔の山国には刃物にうるさい男たちがたくさんいた。
たとえば、スギやヒノキを節のない良木に育てる枝打ち作業。切り口が粗いと木の回復が遅れ、ボディーブローのように材質に響く。そのため枝打ち鉈は、髭が剃れるほど鋭く研いでおかねばならない。しかし、厚く鈍角な鉈の刃を剃刀並みに仕上げるのは簡単ではない。研ぎの腕もさることながら鍛冶屋の力量も関係する。ときには「作り方が悪い」「使い方が悪い」と火花も散ったが、互いの腕を高め合うことにもつながっていた。
作業全般が機械化し、鉈のようなアナログな道具の使い方に習熟した世代が次々と引退。熱い刃物談義もだんだん聞かれなくなっている。さみしいけれど、これが日本の山国の現実だ。
「僕ら若い世代でも、歯がゆく感じることがありますね。仕事のほとんどは重機で道を作るかチェーンソーでの間伐。今の職場の森はもう若齢の木が少なくて、枝打ちは終わっているんです。ですから、鉈をメインに使うことがほとんどありません」
こう語るのは、静岡県富士宮市の株式会社ふもとっぱらで働く新津裕さん。ふもとっぱらは、キャンプ場や森を利用した自然体験事業にも力を入れるなど、6次産業型の経営で注目されている林業会社だ。
新津さんは冬は林業の現場へ出て、春から秋はキャンプ・イベントと体験事業を担当する。
鉈はメインの道具ではないといいながらも、新津さんの腰には鋸とともに土佐型の鉈がしっかり下がっていた。
「持っていないと困るんですよ。お守りといいますか、それ以上の存在ですね。たとえばチェーンソーのバーが木に挟まれることもあります。そんなときは鉈や鋸で救出します」
チェーンソーを持って立つには危険な斜面も少なくない。やや高い位置の枝を落としたいときも鉈か鋸を抜いて切ったほうが楽だ。手首ぐらいの太さの枝なら、スナップを利かせ鉈の重みでカツンと打ち込めば、鮮やかに切れる。シカの食害を受けた灌木の整理など、チェーンソーを使うまでもない伐採もある。
新旧両方の道具を臨機応変に使いこなせることが、現代フォレスターの条件なのである。
林業に関わるきっかけは、学生時代にタスマニアで見た違法伐採の現場だ。原生林が丸裸になり、跡地はナパーム弾で焼かれ畑になっていた。憤っていると「その木の行き先は日本だ」といわれ、ショックを受けた。
「技術の使い方を間違ってはいけない。チェーンソーで木を倒すたびにそう思いますね」
新津さんはそういうと、雪で濡れた鉈を袖口でぬぐい、腰の鞘へ静かに収めた。
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※ 所属や肩書は取材当時のものです。
文/かくまつとむ 写真/大橋 弘
※ BE-PAL 2015年3月号 掲載『 フィールドナイフ列伝 08 フォレスターの腰鉈 』より。
現在、BE-PAL本誌では新企画『 にっぽん刃物語 』が連載中です!フィールドナイフ列伝でお馴染みの『 かくまつとむ&大槗弘 』のタッグでお届けしております!