※ 所属や肩書は取材当時のものです。
誰でも手軽にシーカヤックを楽しめる時代になった。この遊びを日本で広めた世代が練り上げたガイドシステムのおかげである。ツアー時の万が一に備え、デッキ・バッグの中でいつも待機しているのは1本のナイフだった。
鞆の浦沖は、九州方面からの流れと紀伊水道側からの流れが満潮時にぶつかる瀬戸内の“壁”だ。東西の潮ががっぷり四つに組むと、帆船時代はどちらへも進めず、港で潮変わりを待つしかなかった。鞆の浦は、坂本龍馬率いる海援隊のいろは丸と紀州藩船の明光丸が衝突し、日本最初の海難審判が行なわれた舞台としても知られている。
「瀬戸内海の波は穏やかなように見えますが、潮回りや時間によっては流れがものすごく速いです。お客さんの経験や体力はさまざまなので、フネをロープでつないで漕がないと流れを突破できないことがあります。めったに起こることではないんですが、その牽引ロープに流木が絡みつくことがあります。強い潮流に引っ張られるとどんどん締まっていく。無理にほどこうとすると転覆するので、そんなときはロープを切断して結び直したほうが安全です」
こう語るのは、鞆の浦を拠点にシーカヤックのガイドをしている村上泰弘さん(54歳)だ。カヤック歴は川時代を含めると30年。この業界のパイオニアのひとりである。
いつも携行しているナイフは、リバーカヤックのころから愛用するガーバーの波刃タイプ。買った店はもう覚えていないし、ブランド名を意識したこともないが、今も使い続けている。
「場所によってはサメもいます。とくに今年は多かったですね。いざというときは、このナイフでお客さんを守る…というのは冗談ですけど、海の上では、ナイフを1本持っているかどうかで安心感がずいぶん違います。勇気をくれる道具ですよ」
めったに出番がない守り刀のような存在だというが、見ればずいぶん傷だらけだ。幾度となく研いだのだろう、波刃の溝はすり減り浅くなっている。さすがのステンレススチールも長年海水にさらされて腐蝕気味だ。
「ひどいもんでしょ(笑)。理由があるんです。僕はただ漕いで終わりというツアーにはしたくないので、余裕があるときは磯遊びもしてもらうんです。そこに天然のカキがありますよとか、これはカメノテといって食べられるんですよと教えてあげたとき、目を輝かせた人にはこのナイフを貸してあげます。先端部分がマイナスドライバーで、工具的にも使えるんですよ」
家族旅行で来たものの、反抗期で口もろくに利かない息子がいる。ところが、ナイフを貸すと、いつの間にか父親と一緒に夢中で磯をつついている。海には不思議なチカラがある。
ボロボロになって返されたナイフを研ぎ直しているとき、村上さんはこの仕事をはじめてつくづくよかったと思う。
村上水軍商会
http://www.suigunkayak.com/
文/かくまつとむ 写真/大槗 弘
※ BE-PAL 2015年11月号 掲載『 フィールドナイフ列伝 16 シーカヤッカーの守り刀 』より。
現在、BE-PAL本誌では新企画『 にっぽん刃物語 』が連載中です!フィールドナイフ列伝でお馴染みの『 かくまつとむ&大槗弘 』のタッグでお届けしております!