以前小豆島を一周するには車が一番、というお話をしましたが、本音を言います。
時間が許すのであれば、いや、時間を作ってでも、とお勧めしたいのは歩いてまわること。さらにお遍路さんになって歩いていただくと、小豆島の印象が大きく変わり、楽しさもグッと深まります。
小豆島のお遍路は、全行程の距離が約145km。全てのお寺をお参りしながら歩くと、健脚の方であれば約一週間ほどかかります。全て歩く自信のない方は観光の一部に取り入れて、半日だけでもぜひ歩いてみてください。
「いやー、でもお遍路ってあれでしょ? なんか思いつめたような顔で黙々と歩く、なんか暗い雰囲気の修行みたいなんでしょ? それはちょっと私には・・」
そんな風に思う方も、ゼロではないはずです。
私はちょうど30歳になった翌日から四国のお遍路歩きを始めました。同じ香川県の地元の友人にそのことを伝えると、「え、四国って、30歳になったら遍路せないかん習わしとか、あったっけ?」と友人の間で結構本気で囁かれていたそうです(後日談)。ちなみに地元の友人親族含め、私の周りでお遍路歩きをした人は誰もいません。
また、一緒に歩いた兵庫県出身の友人は、お遍路歩きに行くことにした、と彼女の友人に言ったところ、「悪いこと言わんからやめとけ」と止められたそうです(実話)。
実際私自身、歩いてみるまでは良くも悪くもイメージが特になく、単純に四国生まれの身として死ぬまでに一度は歩いてみたいなー、でもばーちゃんになってからでもいいかー、というくらいの思いでした。
けれど今、まだ若い方(または歩く体力のある方)で当時の私と同じように考えている人がいれば、声を大にして言いたい。今!歩こう!!! なぜか。お遍路を「歩く」というのは、最も贅沢なことだからです。
健康・時間・お金、この3つがないと歩き遍路はできません。バスで周るお遍路ツアーはたくさん催行されていますが、そのバスツアーに参加されたご年配の方々にお寺で出会った時、よく「ええねぇー、歩けて。私も歩きたいけど、もう足がね・・」と言われました。
そう、ご年配の方のイメージが強いお遍路ですが、退職して時間とお金ができたとしても、健康じゃなければ歩けないんです。そして本当に楽しい。普通の観光では味わえない面白さがあり、一度歩くとハマって何回、何十回、何百回と歩いている人もいるくらいです。
千年以上の歴史のある遍路については数々の文献があり、知れば知るほど深い世界ですが、こちらではあくまで私個人の見解と経験により、難しい漢字が多いお遍路ガイドブックの内容とは少し違う切り口でご紹介しようと思います。これで少しでも興味を持ってくださる方がいれば幸いです。
遍路を歩いて周ることを勧める理由
単なるハイキングとは違う
ハイキングももちろん楽しいです。でもハイキングはだいたい「〇〇山登山口」「散策道」なんていう看板があって、「今ハイキングしている」始めと終わりが明確なことが多いのではないでしょうか。そして頂上や絶景ポイントなど目指す場所があって、そこでの休憩が楽しみだったりします。
お遍路も、お寺を目指したり、お遍路道として表示されている印に沿って歩く点は似ていますが、道のバリエーションがハイキングとはまるで違います。山のハイキングと同じような道もあれば、住宅地や商店街を歩くことも多いんです。誰かの家の敷地の中を歩かせてもらっているような道もあったりして、その土地の空気や季節感、人々の会話や生活を垣間見ることができます。
そしてそれが数日、数週間と続きます。またお遍路は、最後に歩き始めたところへ戻って、歩いた軌跡が一つの輪になります。こういった巡礼は世界でも類をみません。
地元の人々との交流がある
お遍路で歩く人、通称「お遍路さん」は、普通に人々が生活している町中を歩きます。そこを普段の格好で歩くとただの見知らぬ人ですが、お遍路さんの格好をした途端に自分が「お遍路さん」と呼ばれ、急に親しく話かけられたり「お接待」頂いたりするので本当に世界が変わります。
また、よその土地を歩かせていただいているので自分からも挨拶をします。お遍路さんについてしっかり教育されている地元の小学生たちから「こんにちはー!」と挨拶されることも多々あり、その都度ハッとさせられます。
これらが自転車や車だとほぼスルーされてしまい、お寺で納経をもらうことだけが目的になりがちです。各お寺ももちろん立派で魅力は多いですが、やはり修行ですから道中に一番の醍醐味があると私は思っています。
そうしてがんばって歩いて辿りついたお寺では、まず息を整えてロウソクや線香、お札などを取り出し、お参りする。「動」の時間から「静」の時間へ。無事に辿りつけたことに感謝し、心を静めてお経を唱える。瞑想のような時間を過ごせます。
「お接待」の文化に触れられる
「お接待」というのは、お遍路を歩く人々に地元の方々が食べ物や物品、金銭などを無償でくださること。自動販売機も何もない時代に歩いて旅を続けることは死と隣り合わせで相当過酷だったであろうことは想像に難くないです。そんな時代から遍路を支える地元の方々のおもてなしが今も受け継がれています。また、遍路は弘法大師の身代わりであり、それゆえ自分自身は歩けないが「お接待をすることにより功徳を積む」ことができるという考えでお接待をされる方も多くいらっしゃいます。
何にせよ、通常見知らぬ土地でいきなり他人から物をもらうと逆に疑ってしまいそうなものですが、それが形のない、けれどしっかりとした文化として残っているのは世界的に見ても四国や小豆島遍路だけのようです。個人的にはこの「気持ち」の文化があるのが一番の価値ではないかと思っています。勘違いをして人々の善意を利用するようなお遍路が増えてこの素晴らしい文化がなくなってしまわないことを切に願っております。
考え方がシンプルになる
先ほど地元の人との会話がある話はしましたが、一日中歩くうちのそれは一部であり、ほとんどは一人で黙々と歩くことになります。そうすると歩いている時が瞑想の時間というか、全く無の状態の時もあれば色んなことを取り留めなく考えていたりします。
また、小豆島であれば7日間くらい、四国であれば一か月半も続けて歩きますが、毎日することは歩くこと、食べること、寝ること。なんてシンプル。そして荷物は最低必要な物を厳選して持っていきます。歩き始める前は不安であれもこれもと入れてしまうんですが、慣れてくると荷物もどんどん選抜されてシンプルになっていきます。そして毎日それだけで過ごすうち、生きるのに必要な物はこれだけでいいんだ、という断捨離の極意に達します。
小豆島お遍路を勧める理由
島ならではの距離と景色の違い
前述しましたが小豆島遍路の行程は約145km、四国遍路の約10分の一なので、時間的にも体力的にもハードルは低いです。また、各地で見られるミニお遍路とは違い、小豆島では四国同様に寺社で納経をいただくことができます。
それでいて、昔ながらのお遍路道も多く残されているので、ふかふかの落ち葉の上を歩く森林浴を楽しめることも多く、毎日海か山を眺めながら歩くことができます。
山手のお寺に上ると、かなり上の方まで来た気がするのに眼下にさっきまで自分がいた集落が見えたりします。そしてその先には海が見えること。俗世から離れたところにいるような、いないような。不思議な感覚です。
山岳霊場が多い
島でありながら瀬戸内海で淡路島の次に大きい小豆島には、瀬戸内海で一番高い「星が城」(816m)があり、急峻な山岳の雰囲気があります。ゆえに、本堂が洞窟の中にあったり、はたまた鎖場があったりと、山岳修行の雰囲気が今も十分にある男前な山岳霊場がたくさんあります。初めて小豆島で訪れたのは碁石山でしたが、その時の景色には度肝を抜かれました。
小豆島はオリーブやエンジェルロード、瀬戸内芸術祭など、今のガイドブックを見ればどれもオシャレで女子的なイメージがありますが、元々の小豆島といえば修行の地として最適であり、そういった部分こそぜひ見て感じていただきたいのです。
住職さんが身近
四国ではお寺で住職さんとお話できる機会はめったにありませんが、小豆島では住職さんがとてもフレンドリーに話しかけてくださることがよくあります。参拝者は自分だけなのに一緒にお経を唱えてお参りしてくださったり、お茶を出してくださったり。特別なイメージの護摩焚きも、お願いすれば快く引き受けてくださるお寺もあります。住職さん自ら「てくてくお遍路歩き」「女子へんろ」「卒業遍路」などの歩きイベントを企画&開催されたりもしています。
さて、少しはお遍路に興味をお持ちいただけたでしょうか。
深く知りたくなった方は、小豆島霊場会のHPをご覧ください。とても分かりやすくまとめられたHPで、歩き方やお遍路の準備、マナーなどほとんどのことを知ることができます。
小豆島八十八か所めぐり
https://reijokai.com/
また、私たちは現在小豆島お遍路の最新地図を作成中で、2020年初めにはできる予定です。完成しましたら当宿HPなどでご紹介しますのでご興味のある方はぜひまた後日チェックいただくか、Sen Guesthouseまで直接ご連絡ください。
四国及び小豆島お遍路は、宗派性別年齢国籍関係なく、誰にでも歩ける開けた巡礼です。無宗教でもいいんです。自分探しのために歩く人も多くいます。
順番通りまわらなくても、行けるところから、何年かけてまわってもいいのです。服装も、全部揃えなくても一部だけでもいいんです。(逆に言うと、何か一部はお遍路とわかる物を持って歩く方がいいです。そうじゃないとお遍路さんだと周りに気づかれないので)
小豆島のあるお寺の住職様もおっしゃっていました。納経をもらうことよりも歩くことに価値がある、と。
お遍路を歩き始めたまだ最初の頃、どこかの宿で「お遍路は人生なり」というポスターを見かけました。その時は、山あり谷ありの遍路道を歩くことを人生に例えているんだろうと思いました。けれど歩き進めるうちに、迷ったらいつも誰かが現れて正しい道を教えてくれたり、疲れ果てた時にはそれが吹き飛ぶようなお接待をいただいてまた歩く元気が出たり。
そうして周りの人に助けられて歩くうちに、あぁあの言葉は、人生もまたお遍路のように、いつも誰かに助けられ、励まされ、救われながら生きている。そういう意味でもあるんだな、と思いました。
人生の縮図を味わえるお遍路。歩きに来ませんか?
Sen Guesthouseホームページ https://www.senguesthouse.com/about-us-jp