岡山県最高峰「後山」を瀬戸内海から攻める!
岡山県の最高峰は、後山(うしろやま)である。全国に14座ある同名の「後山」の中でも最も高い。鳥取の大山に近い蒜山(ひるぜん)より100m以上高く、標高は1344m。兵庫県境の美作市(旧東粟倉村)にそびえる、女人禁制の山である。コロナ禍になる前の2018年、この山を海から目ざすことにした。
後山山頂に降る雨粒は、6時から9時の方角に落ちれば吉井川となって瀬戸内海の児島湾へ、それ以外なら兵庫県を流れる千種川となって瀬戸内海の赤穂港で海に注ぐ。今回辿ったのはもちろん前者で、三国山(みくにやま:1213m)を源流とし、長さは133kmで県内第2位(1位は142kmの旭川)、流域は早くから水運で栄え、江戸時代には中流部の津山市にも高瀬舟が行き交っていたという。
児島湾から和気まで(1日目)
吉井川は、河口にたどり着くまでが大変である。始発の新幹線に乗り、岡山駅で赤穂線に乗換え、西大寺駅で両備バスに乗換え、さらに水門湾から1時間歩いて、お昼前にやっと河口だ。海にタッチしてようやくスタート。すべての景色が新鮮に映る。
日本三大奇祭・裸祭り「会陽」(えよう)で有名な西大寺や餘慶寺(よけいじ)を遠目にしながら北上。このあたりは名刹が多く、川辺にも神社が点在し、水流ランナーを飽きさせない。
熊山橋ではじめて吉井川の右岸に渡る。
赤磐市から和気町に入り、今晩の宿・杉金旅館に到着。大女将のカツミさんが底抜けに明るく、ぼくが児島湾から走ってきたと知ると、「あんれまー。グレートトラバースの人みたいやないの!」と大盛りあがりした。
和気から大原まで(2日目)
町中を抜けるとすぐに、立派すぎる自転車専用道路に突入。片上鉄道(かたかみてつどう)の廃線跡だ。愛知編(名鉄三河線:猿投~西中金間)や岐阜編(神岡鉄道神岡線)でも経験したが、廃線跡は地図から消えるため、現地ではじめてそれと気づく。
軌道の存在は、かつては産業が栄え、往来で賑わっていたことを意味する。この片上鉄道線の先には棚原鉱山があったが、1991年に閉山、同年に廃線となっている。
周匝(すさい)橋の先からは、本流の吉井川とわかれ、吉野川をたどる。コンクリート護岸が目立ち、美しい里山風景のなかで違和感を覚える。あとでわかったのだが、度重なる水害に苦しめられてきた住民と自然とのたたかいが、いまもまだ続いているのだった。
湯郷(ゆのごう)温泉で足湯に入り、梶並川(かじなみがわ)ともわかれると、吉野川はいよいよ上流の雰囲気をまとってきた。
大原で食堂で夕食をとっている間にどっぷり日は暮れ、スマホのマップを頼りに本日の宿であるゲストハウスに滑りこむ。
大原からの後山アタック!(3日目)
「東粟倉ザイオンゲストハウス」は、ぼくと同世代の若い夫婦による、気持ちのいい宿だった。若い世代が営む、既存建築のリノベーション宿が全国各地に広がりつつあり、旅人にはありがたい。
すでに吉野川ともわかれていて、後山川をたどる。後山集落で最後の買出しの予定だったが、「東粟倉ふるさと祭り」に総動員されているらしく、頼みの店もまさかの臨時休業。昨日買っておいた豆大福とおにぎり一個ずつで今日一日をなんとかするしかない。
ここからは登山モードにシフトチェンジ。のはずが、地形図にある登山道がみつからないという、いつものパターン。熊さん来ないでと叫びながらヤブをこぎ、なんとか登山道に復帰。一気に加速し、一時間ちょっとで後山の山頂に。
見慣れない西日本の山並み、足元の里の景色を堪能する。昨夏に兵庫編で登った氷ノ山は見えないようだ。サミットシャワーの儀式をすませ、あわくら温泉駅まで、中国自然歩道をかっ飛ばして下山した。
(掲載内容はすべて2018年時点の情報になります)