世界的な聖地・パワースポット、セドナに住んで23年になる写心家・NANAさんは、セドナの大自然をガイドしながら、住んでいる人だけが触れられる四季折々のセドナの大自然を写真に収めています。大自然に抱かれたセドナから、コロナウィルス騒動の世界を見て、どんなことを感じるのでしょうか?
―――セドナでも、コロナウィルスの影響はありますか?
NANA セドナにも、コロナの影響が出て来ていますね。私のツアーにいらっしゃる日本からのお客様がほとんどキャンセルになっていますし、スーパーからトイレットペーパーやサニタイザーが消えています。野菜や肉なども、ニューヨークやアリゾナの隣のカリフォルニア州でのロックダウンの報道があった直後は綺麗さっぱり失くなっていましたが、今は野菜や果物など食べ物は普通に戻っています。
でも、4月いっぱいアリゾナ州も外出禁止令が出されので、食料品を扱うスーパー以外の店は閉まっていますし、レストランもテイクアウトのみになっています。
それから、人気のあるハイキングトレイル10ヶ所が閉鎖になりました。でもセドナにはハイキングトレイルがその他にもたくさんあるので、開いているトレイルの駐車場にはまだいっぱい車があります。飛行機を使わずに車で来られる範囲の人たちは、まだ、セドナにハイキングに来ているようですね。アリゾナ州知事も、健康のため、散歩は奨励しています。
―――自然を求める人たちは、まだセドナを訪れているんですね?
NANA そうですね。ハイキングは密閉された空間での集まりではなくて、個人的な行動なので、今のところまだ規制されていないようです。ただ、駐車場での接触も有り得るから、これからもっと規制がかかる可能性はありますよね。
私は、物事には悪い面があれば必ずいい面もあると想います。仕事が在宅になったり、外出を控えるようになって、いつもは忙しくて家族同士で話す時間がなかったのにゆっくり話す時間ができたり、今まで読めなかった本を読んだり、という人も多いんじゃないかと想います。
共働きで家に帰る時間もバラバラで、子どもも塾などで時間が合わず、いつも一人でご飯を食べていたのが、それが家族みんなで食事ができるとか、いろんなことが起こってくるでしょう。
そう考えると、個人的にも社会的にもリセットが起こっているように感じます。今まで当たり前に想っていたことが、当たり前でなくなって来ると、何のために仕事をして、何のために生きてるのか?自分はこのまま同じ場所で働いていていいのか?など、色々と考える機会にもなると想います。
――不安になっている時、心の持ち方はどうしたら変えられますか?
NANA どうしよう?どうしよう?と不安が大きくなるとストレスがかかって、脳がフリーズしちゃうでしょ。いい考えも浮かびませんよね。でも、そういう時は、無理にでも笑うといいんですよね。笑う、というか、笑顔を作ることで、顔の筋肉が脳に伝わって、脳のモードがリラックスモードに切り替わる。そうすると窮地を脱するような考えが浮かびます。
それは、私も自分でやってみて、すごく実感しました。以前、シングルマザーになって、それまで仕事もしていなかったので、本当にどうしよう!という時期があったんです。仕事も探したんですが断られて…。それで、開き直って「自分でやるっきゃない!」と心の持ち方を変えたから、今の仕事を始められたわけです。そういう時って、なんか、自分の窮地がコメディみたいに感じられて、笑っちゃうんですよね。不安という輪っかの中を走っていたネズミみたいだったんだな、と思えてね。
泣いても笑っても同じなら、それなら笑っちゃおう、というふうに自分の心の持ち方を変えれば、脳がリラックスして、きっと自分のことを俯瞰して見ることができるんでしょうね。医学のドキュメンタリー番組で観たことがあるんですが、筋肉は脳とつながっていて、笑ったような顔をしたときに、ドーパミン神経という、快感とか楽しさに関係する部位が働くらしいことがわかったそうです。
――笑顔をつくる以外にも、何かできることはありますか?
NANA 人それぞれで、いろんな方法があると想いますが、自然に触れる、というのはとても効果があるんじゃないかなと想いますね。だからこそ、こんな状況下でも、セドナにハイキングに来る人が絶えないのではないかと想います。
日本からセドナにやって来る人は、非日常的な場所を求めていらっしゃるんだと想うんですね。それは今の自分の状況をリセットしたいと思うこともあるかと想うんです。でも今、旅行に行かれなかったとしても、自分の家から出て、近くの公園に行くだけでもいいから自然に触れることはできるでしょう?コロナは紫外線に弱いっていうことだから、人混みは避けた方がいいと思いますが、適度な運動もかねて近所の散歩はいいんじゃないですか?
これから日本は、花が咲いて、下草が萌え始める時期ですよね。花が咲いてるのを眺めていると、自然に笑みが浮かんでくるでしょう?
「この木はどんなふうに冬を越してきたんだろう?」そんな想像をして見たりすると、どんなに辛い冬を越しても春は来て、花を咲かせることができるんだ、と、自然の命と自分の命を重ね合わせて見ることもできますよね?
自然の生命力の力強さを感じることで、自分の命に宿っている力を信じる。それは理屈じゃないんです。左脳的なロジックも情報を判断する上では必要ですが、直感的な感覚をもっと信じることができれば、根拠のない自信みたいのが生まれます(笑)。
――一般的に言う左脳的思考から右脳的発想への転換ということですね?
NANA 私も含めてですが、仕事ができないから、収入が途絶えてしまう、どうしよう、と理屈だけで考えていると不安になってパニックになってしまうかもしれないけれど、自然に触れて深呼吸するだけでも、視点を変えることができると想います。意識して花を見たり、鳥のさえずりに心を傾けてみる。それだけでも、リラックスして、脳のモードが変わって、「だったらこうすればいいのかも」というアイディアも出てくるんじゃないかと想うんです。そうすると「どうしよう」という不安モードから、「こんなこともできるし、あんなこともできそう」と、できることにフォーカスを当てられるようになると想うんですね。
NANA 落ち込んでいる時は、家に籠もっていても状況がよくなるわけじゃないでしょ。ですから、家から歩いて行かれるようなところで、人があまりいないような公園とかお近くにあるなら行ってみるのもいいですよね。
まあ、つまりは気晴らしってことですよね。家にいても、片隅に埃をかぶっていたギターを久しぶりに弾いてみるとか、ずっと読みたかった本を取り上げてみるとか、音楽をゆっくり聴くとか、久々に手のこんだ料理をしてみるとか、自分にとってリラックスできることは色々あるでしょう。そういうことってある種の瞑想だと想うんです。
そういう瞑想状態になると、脳がリラックスしてきて、自分を客観的に俯瞰できるようになる。「ああ、こういう経験ができて良かったなあ」と感謝することができるような視点になるんです。究極的には、どんな状況の中でも感謝できることを見出せた時、道が開けて来るんじゃないかと。
――苦しい時に感謝するのは難しいですよね。つい、苦しい時の神頼み的な「お願い」になってしまいそうですね。
NANA 私を可愛がってくださったネイティブの長老は、「祈りはグレートスピリットへの感謝なのだ」とおっしゃっていました。祈りというのは、神様にお願いごとをするんじゃない。まずは感謝なのだと。そして、長老はこうもおっしゃっていました。
「もし願いごとがあるのであれば、グレートスピリットへの100%の信頼が必要だ。それは人参の種を撒くようなものだ。お前は人参の種を撒いたら、それが人参になることを信じて水をやるだろう。いちいち、芽が出たか、根が出たか、と種をほじくり返したりしないだろう。一度撒いた人参の種はそれが人参になることを信じて、水をやり自分がなすべきことをしていれば、絶対に人参は収穫できる。祈りの種も同じだ。同じことを何度も願うのは、神への信頼がないからだ」
グレートスピリット、つまり神への100%の信頼、というのは、私は、自分への信頼、ということだと想っています。神と言うのは、自分の外にある存在ではなく、自分の命に宿る神聖な力であって、それを信じることができるかどうか、なんではないかと。
何かを願う、という祈りは、つまり、何を自分が望んでいるのかを明確にして、そこに向かっていく自分の力を信じる宣言をすることなんだと。
――自分の力を信じることは、不安な時はなかなか難しいですね。
NANA 時に不安になったり、家族や友人のことを心配したりするのは仕方のないことです。特に今のように、今まで体験したことがなく、先も見えないような状況の中では。でもね、問題もなく、すべてが上手く行っている時であれば、自信も出るだろうし、誰だって感謝できるんです。
それが何かにチャレンジすることであっても、行き詰まって先行きが見えない状況であっても、私たちは未知なる領域に入っていく時、不安になりますよね。そういう時にこそ、どれだけ自分の力を信じられるか、感謝を見出すことができるか、が大切なんだと想うんです。
よく親は子どもに、あなたのことを心配しているって言いますよね。それが愛情の表現であるかのように。私は子どもを産んだ時、母に言われたんです。「子どもを心配するのは親としては当たり前。でもそれを口にするのは親のエゴ」って。
「心配している」と相手に伝えるのは、相手への愛情のように見えて、実はその人の力を信じていない、ということを伝えているのと同じなんですよね。それが他の人であれば心配になり、自分であれば不安になる。その時、相手の力や自分の力を信じていない状態なんだな、って気づくことが大切なんだと思うんです。
――どうすれば、心配を信頼に変えていくことができるでしょうか?
NANA 信じよう、信じよう、と想っているうちは、信じてないんだと思うんですよね。本当に信じている時には、疑いがないんです。自分を信じられない時に、自分の外にある何かにすがってしまうと、カルトなんかに取り込まれてしまう可能性もあるわけです。
私がやっている方法は、子どものことや、家族、友人のことで心配な時には、その人の笑顔を思い浮かべて、感謝の念を送ること。「あなたがあなたらしく愛に満ちて輝いていることに感謝します」と。自分のことであれば、「こう在りたい」という状況を想い描いて「こうなりました。ありがとうございます」と過去形で感謝します。
嘘も100回言えば本当になる、なんて言いますよね(笑)信じようとするより、それが当たり前のことのように感じられるまで声に出して感謝することで、言霊の力を増幅させて、疑いを払うってことでしょうか。そして、そこに向かっていく行動を取るってことですね。
うまく行ったから感謝するんじゃなくて、うまく行っていない状況の中でも感謝するんです。そうすると、そこからいろんなアイディアが出てきて、一歩踏み出す勇気も出て来る。
――まずは、一歩を踏み出すことなんですね?
NANA そうだと想います。石橋を叩いて渡る、って言いますけど、叩いているだけで渡らない人が多いんじゃないかなって。私は、叩かないで渡ってしまうタイプで、それで失敗することもありますけどね(笑)。やってみて失敗したら、そこから学べばいいわけで、やらないで後悔するより建設的でしょ?(笑)
今、コロナ騒動で、当たり前にあった物や状況が崩れて去っている時だからこそ、本当に必要なもの、大切なことはなんなのか、を改めて考え直す機会を与えられているんではないでしょうか。
自然災害も実際に被災された方でなければ、他人事になってしまう。環境問題も目の前で起こらなければ、地球全体、私たちすべてに関係しているにも関わらず、他人事になってしまう。それが今回は、世界中の人が他人事で済まされない状況になったわけです。これを機に地球で起きていることは、すべて繋がっていて、他人事ではないのだ、ということを確認する機会も与えられているのではないでしょうか。
そして、こういう時だからこそ、これからどう一歩を踏み出して行くか、が個人的にも、人類的にも大事なんだと想います。宇宙は私たちが乗り越えられない試練は与えない。絶対に大丈夫だから、前に進んで行くだけ。順調にことが運ばない時は、タイミングじゃなかったり、軌道修正しなさいよっていうサイン。そう想っていれば、絶望の中から希望を生み出して行くことができると思うんです。
――これから必要になるのは、どんなことだと想いますか?
NANA 具体的なところでは、私たちにとっては、食べ物がないのが一番の恐怖ですよね。どこの国のスーパーも棚が空っぽになっているニュースが入ってきていますよね。日本ではスーパーに物がたくさんある、と海外の人は驚いていますが、日本の自給率は下がっていますから、これを機に、みんなが農業を兼業する農業国家に戻るのもいいかもしれないですよね。家庭菜園やプランターで自分たちが食べるものを作ることは、今の時代、とてもいいと想います。それで、例えばご近所や家族との分かち合いも生まれるし。
今回、パンデミック宣言がされたことで、化学工場などがしばらく閉鎖されたために、空気や水が浄化され始めていますよね。生きて行く上で、便利さのためだけに使っていたもので、地球環境にとってよくない物もたくさんあります。そういった本当には必要がない物も見えてくるかと想います。自然に触れて、マザーアースの中で生かされていることに感謝し、これから先の世代に、健康で美しい地球を残して行くために、私たち一人一人ができることを考えること。その機会を私たちは与えられているんではないでしょうか?
NANA そして、目に見えないところでは、直感力がますます必要になってくると思います。直感って言葉じゃないんですよね。「虫の知らせ」的な感覚です。直感の声は理屈じゃないから、遥かに大きく聞こえてくる「論理的な言葉」から押さえ込まれちゃうんです。
例えば、いつも通っている駅までの道なのに、その日はなんとなく通りたくない感じがする。でも、その感覚には理屈がないから、「その道を通らないと間に合わない」という論理的な頭の声にかき消されてしまう。それでいつもの道を行くと、事故渋滞とかに巻き込まれて、「ああ、なんか嫌な感がしたんだよな」みたいに後で想う。それが直感の声を無視した状態。逆に、その声に従って、遠回りだけど別の道を行ったら、連絡しようとしていた友達にばったり会ったりする。そういう直感の声を聞き取ることができるようになると、明日への不安も軽減できるようになってくると思うんです。
直感力を高めることで、柔軟性を持っていろんな発想ができるようになるかと想います。人生には、いろんな選択肢があるわけです。自分が選んだ方向性によって、当然、現実が違ってきますよね。自分が思っていたのと違う方向に行ったとしても、マインドを柔軟にできれば、それを大きな目で見れる余裕を持って、じゃあ、こうすればいいか、とそこからまた違う道が見えて来る。失敗は成功の元。失敗を失敗と捉えるのではなくて、うまく行かなかった経験があるだけ、と。
今、世界の動向も先が見えないような状況にあるからこそ、マインドを柔軟にしておく必要があると想います。
――マインドの柔軟さを取り戻すにはどうしたらいいんでしょう?
NANA そうですね。忙しいマインドを鎮めるのに一番手っ取り早いのは、やはり自然に触れることなんじゃないかなって想います。
今、日本ではマンションに住んでいる人がすごく多いでしょ。みんな、大地から切り離された空間で暮らしているってことですよね。ネイティブの長老は、「大地に裸足で触れていないと、心身ともに病気になるんだ」と言っていました。自然に触れるということは、肌で触れる、ってことなんですね。子どもたちもゲームに没頭して、若者たちのコミュニケーションもスマホを通して、とかだと、現実に肌に触れる感覚が麻痺してくるでしょ。バーチャルな思考から抜け出すには、大地に触れることが効果があると想います。
自然の中にいると、五感、六感を研ぎ澄ませていないといけません。例えば、セドナにはキャセドラルロックという岩山があるんです。手を使わないと登れないような急勾配なんですが、モンスーンのシーズン、頂上まで登った時、頭上は晴れてたのですが、遠くで雨が降っているのが見えたことがありました。
その時、匂いとか風の冷たさとかで、確実に雨がこっちに来ると感じたんです。私はすぐに降り始めて、昇ってくる人にも降りた方がいいと声をかけたんですが、頭の上が晴れているので、誰も私の言うことを聞いてくれなかった。でも、途中から、真っ暗になってきて、駐車場の車に入った途端に、土砂降りの雨が降ってきたんですね。
だから、直感的に柔軟な発想ができるかどうかで、ピンチをチャンスに変えて行かれるんだと想います。
――今、私たちに与えられているピンチは、逆に自分を見つめ直すチャンスとも考えられるんですね?
NANA 自分を、そして私たちの置かれている世界の環境をも見つめ直すチャンスを頂いているんだと想います。世界中、不安やパニックが起きていますが、ニュースなどで煽られないように自分軸をしっかり持つことですね。
ずっと同じ状態は続きません。すべて、良いことも、悪いことも過ぎていきますから。そのことを心に留めておくことも大事かと想います。
私たちは今、命の尊さや家族の絆、助け合う気持ちや生きて行く上で本当に必要なこと、怖れを手放す方法や自分が行きたい道を考える時間を与えてもらったと考えてみたらどうでしょうか。そうした時、それは、人類に与えられたギフトだと感謝できると想います。
コロナウィルスがものすごいスピードで蔓延した、ということは、見方を変えれば、私たちは、世界がこんなにもつながっているんだ、ということを実感できたとも言えますよね。それなら、ウィルスよりもっと早いスピードで、私たち一人一人が感謝をもって祈ることで、世界に愛の波動を広げて行くこともできるはずだと想います。
そして、究極的には、自然にふれ、自分の命の力を感じ、直感を活性化させ、瞑想と祈りによってすべてに感謝することで、自分からポシティブなエネルギーを送り出すことが、自分の人生にとっても、世界にとっても、私たちにできる最小で、最高の貢献になるのではないでしょうか。
NanaさんのHPは、sedonana.com
インスタグラムは、sedonanaworld
写真/NANA
構成/ 尾崎 靖(エディトリアル・ディレクター)