富山県出身。IT会社でSEとして勤務。地味に山登りとフライフィッシングをこなし、盛大にRockを聴きます。好きな山は剱岳。年間を通じて撮ってます。
最近、家にいることが多いですよね。まとまった時間がとれたら、じっくり読書。おすすめの本を紹介します。
『イエメンで鮭釣りを』
ちょっと前の本ですが。2007年にイギリスで出版されるやいなや、たちまち、ベストセラーになった小説です。著者のPaul Tordayは、当時まったく無名の作家で、処女作のこの小説は59歳で執筆したようです。これから読まれる方もいらっしゃるかもしれないので、簡単なあらすじだけ。主人公のフレッドは国立の水産研究所の研究者。メアリは、彼の妻で銀行関係の管理職。二人はハーバードを卒業後、直ぐに結婚する。結婚後20年経つが、メアリの現実的な判断により子供はいない。お互いのプロフェッショナルな仕事に敬意を表しているようだった(最初は)。そんな折、不動産コンサルティング会社のハリエットという若い女性から、イエメンのワディ川に鮭を放流して、鮭釣りができるようにして欲しいというメールを受け取る。依頼人はイエメンで非常に重要な人物でシャイフという人だと。
荒唐無稽な書きだしで始まるこの物語は、メールや往復の書簡、日記などで語られ、「物語」としていかにも面白可笑しく展開していきます。事実、訳者の小谷由美子さんはそのように読んだと、後書きに述べられています。しかし、それだけでしょうか。たまたま、これを読んでいる時に、ちょうどチュニジアのジャスミン革命が起こり、エジプト~サウジアラビア~リビアそしてイエメンにまで騒乱が広がっていた時でした。FaceBookとTwitterで運動は、瞬く間に広がりました。アラブ諸国での反政府運動の背景は、高度な政治的要因に関して無知な私には理解不能ですが、まさにこの小説とOn Timeでした。多分この小説のテーマは、主人公フレッド自身が言うように、「信じることを、信じること」なのでしょう。しかし、サブ・テーマは、「西洋消費社会」と「イスラム」なのだと思いました。奇しくも、30年前にジャン・ボードリヤールが『透き通った悪』で指摘した「イスラム原理主義」と「グローバリズム」との避けがたい対立。思えばイギリスは、かっての植民地に鱒や鮭を放流し続けました。驚くことに、南アフリカ共和国にも鱒はいるのです。歴史的には、そうやって物量で強引に西洋化してきたのです。作中、ステレオタイプの政府報道官ピーター・マックスウエルは、言っています。「もう、中東ではミサイルも戦車もいらない」「鮭を放すんだ」と。
『大鮃(おひょう)』
読み始めてからしばらくは、その直截的表現や「モン切り型」のもの言いに違和感を感じました。しかし、読み進めるに従って、それが大した問題でないことに気づきます。それは、この小説のテーマが「父性の大いなる物語」であるとわかったからです。 主人公の「太古」は、ネット・ゲームに没入し「男性」としての活力にかける、スポイルされた日々を送っています。しかし、彼はこのゲーム依存に関して、相談していたカウンセラーとのやりとりから、父の生まれ故郷のスコットランド・オークニーに旅立つことを決意します。父が追い求めていた「大鮃」という怪魚を釣りに行くために。
「釣り文学」として読めないこともないですが、釣りに詳しい人が読むと、無理があると思う描写もあります。しかし、荒涼としたスコットランドの風景や荒れた海の描写が、旅情を誘います。そして、そこに暮らし、ストイックに「大鮃」を狙い続けるマークという老人の生き様に感動するでしょう。本書で、今の自分に響いた一文があります。「わたしは最後の大鮃に出会ってのち自分の老いというものを自覚した。そして他者の存在をはじめて意識するようにもなりました」というマークのことば。「釣り」を通じて、自分の人生を「総括」してみるのもいいかもしれません。
『影裏』
釣り人の話です。少なくとも、わたしはそう読みました。しかし、登場人物の属性や震災時系列から、この物語はいかようにも深読みすることができると思います。そして、わたしもこういうオトコ(作中の日浅みたいな男)を知っています。ちょっと変わったオトコなのです。でも、釣り人なら、みんなこのオトコのことを知っているんじゃないでしょうか。物流課の渓流釣り好きなAくん。あるいは、釣り仲間に、うまいこと言いくるめられてクルマごと連れてこられたBさん。どこにでもいるような、善良そうな釣り人たち。そして、あの独身時代特有の、荒削りで粗暴な男同士の遊びの場で、たびたび見かけたAくんやBさんのことなのです。まだ、世間ずれしていない純粋さで、独特の理論を振りかざしていたあのAくんやBさんのことです。そして、そういう釣り人ならこの作中にあるような、幽遠な渓流の風景と、しっとりとした森のにおいをいつも、眼のうらに、鼻腔に、とどめているんじゃないでしょうか。そんな「懐かしい釣り人」の話です。