エーラーワン国立公園でつかのまの涼感を楽しんだ後、再びソンテオに乗り、泰緬鉄道の列車が停車するタムクラセー駅へ移動しました。改札も何もない、プラットホームがあるだけの駅です。ここで2時間ほど待って乗車する予定でしたが、列車が大幅に遅れているという情報が。まあ、タイで列車が遅れるのは別に珍しくも何ともないことなので、ゆっくり気長に待つことにしました。
泰緬鉄道は、第二次世界大戦中に日本軍がバンコク郊外のノーン・プラードゥックとビルマ(現在のミャンマー)のタンビュッザヤの間に建設した、全長約415kmの鉄道です。戦後、ミャンマー側の全区間と国境からタイのナムトックまでの線路は撤去されましたが、タイ側に残された泰緬鉄道の一部区間では、現在も列車が運行されています。
当時の日本軍は、多数の連合軍捕虜や現地の人々を使役して、この泰緬鉄道を建設しました。あまりにも劣悪な環境と過酷な労働、度重なる事故などのため、負傷や疫病、栄養失調による死者数は膨大な数に上ったと言われています。そのためこの泰緬鉄道は、海外では「Death Railway(死の鉄道)」とも呼ばれているそうです。
いったい何時間待たされるのだろう……と思っていたら、ほんの1時間足らずで列車が姿を現したので、逆にびっくりしました。近くにいた人に聞いてみると、本来なら僕が到着する1時間前に通過していたはずの列車が、2時間も遅れてしまっていて、結果的に僕にとってちょうどいい時間に到着してくれたのでした。
ちなみに泰緬鉄道の運賃は、カンチャナブリー駅を含む区間では乗車距離に関わらず一人100バーツ(約330円)。駅員のいない駅で乗車した場合は、列車内で車掌から切符を買います。
タムクラセー駅を出発してすぐ、列車は速度を落とし、タムクラセー桟道橋(旧称アルヒル桟道橋)をゆっくりと渡りはじめました。垂直の岩壁にぴったり沿うように数百メートル続くこのきわどい桟道橋は、建設時に多発した事故により、多数の死傷者を出したことで知られています。
仲睦まじく向き合って坐っている3人の親子や、ふざけあってはしゃいでいる10人くらいの男子高校生たちなど、車内は本当にのどかな雰囲気で、のんびりとしたタイの列車の旅を、ほんのつかの間ですが味わうことができました。それでも、この泰緬鉄道が建設された時に流された多くの人々の血と涙について思いを巡らすと、時が経つにつれて薄れてしまいがちな戦争の悲劇の記憶を、これからも絶やさないように伝えていかなければ、とあらためて感じました。
山本高樹 Takaki Yamamoto
著述家・編集者・写真家。インド北部のラダック地方の取材がライフワーク。2016年3月下旬に著書『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々』の増補新装版を雷鳥社より刊行予定。
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協力:ダイヤモンド・ビッグ社「地球の歩き方」編集部
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