よく「このキャンプフェスはゆるいねえ」という話を耳にする。ルールがしっかり定められ、いたるところに規制が張りめぐされたフェスとは正反対のスタンスのフェス。集客が多くなっていくほどに、ゆるさはなくなっていくのが通例だ。
去年10回の開催を数えたニュー アコースティック キャンプ(NAC)は、日本トップクラスの集客を誇るキャンプフェスだ。年を重ねるごとに人気を獲得し、前回は1日1万人を超えるファンがキャンプをしながらフェスを楽しんだ。1万人の集客となれば、キャンプフェスではなくとも、規制が設けられるものだけれど、参加するひとりひとりのモラルやマナー、そして心の中にある優しさに委ねることで、NACとしてのお堅い規制をなるべく排除してきたように思う。フェスが持つゆるさは、アーティストとお客さんの距離もグッと近くさせる。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐことから、フェスを含む多くのイベントが中止(もしくは延期)になってしまった2020年。秋を迎え、野外という密閉ではない場所から、少しずつフェスが開催されるようになっている。もちろん、昨年までと同じというわけではなく、入場者数を限定したり、出演するアーティストの数を減らしたり、いろいろな対策を施しての開催だ。NACはニュー(ライフスタイル)アコースティックキャンプとして開催を決定した。「あたらしいニューアコの、9個の約束」をチケット発売前に発表。
お客さんを去年までの4分の1程度の縮小し、ステージの数も減らして密集する場を減らす。場外の駐車場もなくし、密接する機会を極力少なくする。周囲に気を配って密集・密接にならないようにソーシャルディスタンスを確保する。今年に限っては、過去にNACに参加したことがある方(もしくはNAC経験者を含むグループ)など来場者を制限。その9個の約束のひとつひとつは、コロナ禍ではいろんなところで言われてきたことであり言葉にすれば簡潔なのだけど、どうしても楽しくなり気も大きくなってしまいがちなフェスという空間のなかで、ひとりひとりがそれをどう守っていくのかが問われていた。
自然に包まれたアコースティックミュージックを楽しむ。NACの核にあるこのことを、さらに突き詰めたような印象だった。出演するアーティストも、過去のNACでのライブよりミュージシャンを減らしてステージに上がった。おそらく今回のライブが、それぞれのバンドやアーティストにとって最小のユニットなのだろう。だからこそ歌が際立ってきた。多くの人が、フェスはもちろんライブにも行けていない2020年にあって、ひとつひとつの歌がストレートに届いてきたに違いない。ステージ近くのエリアは入場人数が制限され、足元にはお互いの距離を保つためのマークが置かれている。みんなそれを守って、ソーシャルディスタンスがとられていた。隣の人との距離があったことで、歌により向き合えたように思う。
出演したのは一日7アーティスト。ライブとライブの間の時間もゆったりとられている。次のライブに遅れるからといって急ぐ必要はない。
テントサイトも、隣との距離がほどよく保たれていた。11回目にしてはじめて終演後にもキャンプができる「オーバーステイ」が可能になった。およそ半分のファンが最終日のライブが終わってからもそこに残ってキャンプを楽しんで、翌日にそれぞれの家路についた。自分は最後のライブが終わって会場を後にしたけれど、例年であれば関越道まで一本道ということもあり渋滞することが多いのだけど、その渋滞がなかったこともノンストレスだった。
特にキャンプフェスは、長い時間を同じ空間を共有することになる。だからこそそのキェンプフェスが居心地がいいのかどうかは、ある程度の「ゆるさ」も必要なのだ。NACは、かつてからそのゆるさと人とのバランスが最適だった。今年はそこに加えて新型コロナという見えないウイルスとのバランスも絶妙だったと思う。新型コロナウイルスを正しく恐れる。それは人に対する優しさでもある。それは10年という長きにわたって、このフェスのオーガナイザーでもあるOAUのTOSHI-LOWさんが伝えてきたことの証でもある。参加するひとりひとりが作り上げるフェス。それはコロナ禍で、より大きなポイントになっている。
※構成/菊地 崇 写真提供/New Acoustic Camp