いままで数えきれないほど野宿して、キャンプして、焚き火した。モーターサイクル・ツーリングに明け暮れていた20代の頃は1年のほとんどを野宿で過ごしたこともある。
日が暮れる前に野営地を探し、枯れ枝や流木を集めて火を起こす。キャンプ場を利用することもあったけれど、あまりお金がなかったので大抵は、焚き火が禁止されていない河原や海岸など人があまり来ないような場所に野営地を求めた。
一人の野宿の夜に焚き火は絶対だった。今流行りのソロキャンプも同じだと思うけれど、一人でキャンプして焚き火ができないと楽しみが何もない。1日の終わりのビールも、ヘッドライトの明かりで読む本もつまらないものになってしまう。さっさと寝るしかない。でも、焚き火があればその炎と煙を眺めていつまでも飽きずにいられる。ビールがずっとおいしくなるし、焚き火を前にして読む本は心の中に深く入ってくる。
焚き火をしたことを誰にも気づかせないように
焚き火は炎が落ち着いて熾になってしまえば、そのままにして寝てしまう。周りに燃えるものがなく、風のない夜ならば大丈夫。朝起きたときにはきれいに灰になっている。焚き火の後には軽く土をかけて周りの地面になじませ、そこに居たことを誰にも気づかせないようにして去っていけばいい。
キャンプ場や人が多く集まる河原に残された焚き火やかまどの跡は好きじゃない。焚き火の跡は残らないようにするのがスマートだ。
熱、酸素、可燃物(薪)のひとつが欠ければ火は消える
焚き火は終わりを考えながら薪をくべれば、後始末はそんなに大変ではない。完全燃焼させて灰になれば、土になじませてしまえばいいからだ。薪を燃やしきった後に残る純粋な灰は、アルカリ性の水溶性ミネラルで植物にとって欠かせないカリ肥料だ。雨が降れば水に溶けて必要な要素が植物に吸収される。わが家の菜園は化学肥料を一切使わない有機の畑。トマトもキャベツもスイートコーンも庭のファイヤープレイスで楽しむ焚き火と薪ストーブの甘い灰で育っている。
焚き火で後始末がやっかいなのは、必要以上に薪をくべて無駄に大きな火を起こしてしまうからだ。薪が余ったらとっておけばいいのに、どんどんくべてしまう。もったいないったらありゃしない。キャンプファイヤーは嫌いじゃないけれど、その場を去るまでにはすべて灰になるようにしたい。早く燃やすには薪を立ててやるといい。
それでもどうしても燃やしきらなければ、水をかけて強制終了。あまり美しくはないけれど、急いで火を消す必要があればそうするほかない。手で触っても熱さを感じないくらいにたっぷり水をかけること。なぜなら炭化した薪は一見火が消えているように見えても、内部で熱がくすぶっていることがあるからだ。そのままにしておくと中からじわじわまた燃え出してくる。
火を消すには燃焼の三要素である熱、酸素、可燃物(薪)のいずれかを引き抜いて連鎖反応を止めてやればいい。焚き火を放っておけば自然消化されるのは、可燃物である薪を燃やし切ってしまうからだ。水をかけるのは熱を冷ますことで連鎖反応を止めるためである。酸素を遮るには土に埋めてしまうか、ふたができるペール缶や火消壺に薪を入れて酸欠状態に持っていけばいい。ただし、この方法だとすぐに火は消えてくれないし、缶がかなり熱くなるので要注意。
かまどは崩し、焚き火の跡は地面になじませる
キャンプ場では燃え残った薪が出たらそこのルールに従って処分する。キャンプ場や河原のあからさまな焚き火の残骸は見苦しい。
もし、燃え残った薪や炭を持ち帰らなくてはならない場合は、完全に火が消えていることを確認してペール缶などふたができる金属の容器に入れて運ぶ。水をかけて消化した薪も家に帰って乾かせば、次のキャンプでまた使える。
最近のキャンプ場は焚き火台の使用が求められていることが多いので、地面に焚き火の跡を見ることは少ないけれど、直火OKのキャンプ場や河原では、石でかまどを組むことも多く、それがそのまま残っていたりする。あまり好ましい景観ではない。河原は雨が降って水かさが増せば、焚き火の跡を流してくれるが、それまでに何人もの人がそこを訪れるのであって、次の人が気持ちよく使えるようにやはり後始末はしたほうがいい。
かまどは崩す。焼けて黒くなった石を散らし、焼け跡に土や砂をかけて軽くならしておくだけでいい。キャンプ場でも、河原でも、その管理者やそこで暮らす人たちの気分を害してしまえば、いままで楽しめていたことが楽しめなくなる。焚き火をやるのに堅苦しいルールはいらない。お互いが気持ちよく過ごせるマナーを守ればそれでいい。