日本人と似て非なるネイティブ・アメリカンの死生観
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    2020.11.12

    日本人と似て非なるネイティブ・アメリカンの死生観

    世界的な聖地・パワースポット、アリゾナ州セドナに住んで23年になる写心家・NANAさんは、セドナの大自然をガイドしながら、住んでいる人だけが触れられる四季折々の大自然の美しさを写真に収めています。実りの季節が終わった晩秋の時期は、ハロウィンやサンクスギビングなど生と死にまつわる数々の儀式が行われるそう。NANAさんがホピ族の友人に聞いた死生観は、日本人の死生観とどのように違うのでしょうか?

    今年の10月はひと月のうちに2回満月が周って来るブルームーンとハロウィンが重なった。

    ――秋も深まってきましたが、アメリカではハロウィンやサンクスギビングなど、秋にはいろんなイベントがありますよね?

    NANA   そうですね。1031日、日本でもお馴染みになって来たハロウィンは、仮装パーティのように思われてると想いますが、元々はその年に亡くなった人やすべての命が死の世界へ行く日から始まったという話を聞いたことがあります。

    メキシコにも死者の日というのが、10月の最後の日から11月初めにかけてあるんです。私が住んでいるアリゾナ州はメキシコと国境を接しているので、骸骨の飾り物など、お土産屋さんでよく売っています。メキシコの古都をイメージしたテラケパケというセドナのショッピングモールでは、亡くなった家族へメッセージを書くボードがあって、毎年、この時期になると通りかかる人が亡くなられた家族へのメッセージを描く姿が見られます

    この時期にこういう習慣があるのは偶然ではなくて、私は、死者の日のお祭りやハロウィンの起源は、自然のサイクルと関係があると思っています。収穫が終わる時期、自然とともに生きる人たちにとっての晩秋は、実りと草木が枯れ始める、生と死が隣り合わせにある時期だと感じられたのではないでしょうか。なのでその時期が、その年に死んだ者たちの霊があちら側に行く時だと考えられていたようです。

    そしてその時には、幽霊たちと出会ってしまうと、あちら側の世界に連れて行かれてしまうので、幽霊のような格好をして仲間だと思わせて、死の世界に連れて行かれないようにするのがハロウィンの起源だという説があるんです。ハロウィンでお化けなどの扮装をするのは、そのためだということです。こちらは基本的に土葬ですからね。ゾンビみたいなイメージがあるんでしょうね。

    死者の祭りのボードに込められた亡くなった家族・友人などへのメッセージ。

    ――ネイティブの文化にもハロウィンのお祭りがあるんですか?

    NANA   ハロウィンのようなお祭りは聞いたことがありませんが、秋にはバスケットダンスとか収穫に感謝するお祭りはあると想います。ネイティブの人たちは、元々自然崇拝だから、生命のリズムと自然の循環の中で、冬至に向かっていくこの時期が、陰のエネルギーが最も強くなる時だと考えるわけです。それはケルトでもメキシコでも共通する感覚だと思います。以前の日本でもそうだったでしょう。

    そして冬至を迎えて、春に向けての新しい年が始まる。ホピでは、冬至で新年を迎えるそうです。どちらにしても、光と闇、生と死という、一種の輪廻転生的な死生観が感じられますよね。農耕部族に共通する何かがあるような気がします。

    ――農耕民族の元々の日本人とネイティブ・アメリカンの人たちの死生観は、似ているということでしょうか?

    NANA   そうですね。似ているところが結構あると思います。祖先の霊が戻ってくるという祖霊崇拝は、ヨーロッパでもキリスト教が入ってくる前のケルト文化などでは当たり前だったと思うし、アメリカのネイティブの人たちには今でもそれが普通の感覚なんだと想います。

    私の友人、ホピのメッセンジャーのルーベンは「死んだ人の魂がご先祖様のところに戻ると考えるのは、日本人とすごく似ている」と言っていました。

    ホピでは亡くなった人の魂は雲になってカチーナとして地上を見守ると信じられている。

    ーーネイティブ・アメリカンの人たちは、魂はどこに行くと考えているんですか?

    NANA   私はホピ族の友人に聞いているので、他のネイティブの部族のことはわかりませんが、彼らには、キリスト教のような天国とか地獄という考え方はなくて、亡くなった人を埋葬することは、地面の下の母なる大地に還ることだという考え方なんですね。

    ホピ族の考え方では、死んだ人の魂(スピリット)は大地に返って、しばらくしたら大地の水分が蒸発するように、スピリットは空に昇って雲になる。その雲はカチーナ(精霊)なのだそうです。そして空の上から私たち、人間を見守り、恵みの雨をもたらしてくれる存在となる。

    さらに、時が経つとカチーナは、スピリットとして、また人間とて生まれてくる。カチーナは雨を降らしてくれる存在ですから、彼らは、カチーナに祈って雨を降らせてもらって作物を育てます。ホピ族はドライファームといって、灌漑用水は一切使わずに雨水だけに頼る農法を今でも続けています。カチーナに祈る、というのはつまり、ご先祖様に祈ることでもありますよね。

    ーーまた人間として生まれて来るということは、ネイティブの人たちにとっては、死も自然の循環の一部なんですね?

    NANA   ホピ族、そしてネイティブの人たちは「人間も自然の一部」と考えています。すべての命は自然の中の循環の中に存在している、ということですよね。「人間vs自然」みたいに相対する感覚ができてきたのは、近代に入ってからなのではないでしょうか。自然と自分たちは一体だったんです。ホピの言葉には「さようなら」という言葉もないそうです。生命はずっと循環しているから、お別れという概念がないのかもしれないですね。

    日は暮れ、月は巡り、季節は移ろって行く。留まることのない命の流れの中で私たちは生かされている。

    ーー日本でも「自然」を「Nature」という意味で使うようになったのは明治の終わり頃からだそうです。新しい言葉なんですね。

    NANA   そうですね。仏教の自然(じねん)を英語の訳語として使うようになったのが始まりだそうですから、日本人も近代に入ってから、人間と自然が切り離された存在になってしまったのでしょうね。ただ、「自然」といっても、住んでいる環境によって、イメージする「自然」の姿はだいぶ違うように思います。

    日本の自然とアリゾナの自然は全然違いますからね。グランドキャニオンは東京から琵琶湖の距離までの面積を占めるといわれていますし、セドナからホピ族の居留区に向かう途中も、360度見渡して人工物は道だけ、みたいな場所もあります。まるで大海原のような広大な大地が続くんです。

    日本のような緑あふれる水が豊かな自然とはまるで違って、乾燥した大地は、一見、生命を拒んでいるかのようにも見える。だから、自然と共に生きてきた、と言っても、日本人とホピ族の感覚は共通している部分もありながら、自然に対するイメージはだいぶ違っているんじゃないかと想います。

    ですから、日本人が持つ「自然の恵み」とホピ族が持つ「自然の恵み」のイメージは、自ずと違うのは当然ではないかと想います。ドライファームを今でも続けるホピ族にとって、雨は祈りによってもたらされるもので、つまり、祈りなしには雨も降らない。それは常に祈っていなければ生きていかれないような過酷な自然と向き合ってきた人々の在り方なわけです。

    こんなに乾燥した土地でトウモロコシやスイカができるのは当たり前じゃないんです。ホピを訪ねた植物学者が「こんなところで作物が育つのは奇跡としか言えない」と言ったそうです。普通ではあり得ないと。だから、収穫、つまり自然の恵みとは感謝の祈りに依るものだということ。人間中心の世界観では、その感覚は持てないと思います。

    大地の守り神であるカチーナ、マサウ。

    ーー確かに、最近の日本では自然への感謝は少ないですね。

    NANA   それは、人間を自然と切り離れた存在にしてしまったからではないでしょうか。そして、マザーネイチャーに対して、人間が傲慢になってしまったからだと想います。もうお亡くなりになられたホピ族の長老がこうおっしゃっていました。

    「人間は豊かな恵みを得られる自然の中にいると、神への感謝を忘れてしまい、人間中心の考え方になってしまう。それがマヤの文明に王政や生贄の文化を創ってしまった。だから我々はマヤの人々を神を忘れてしまった兄弟たちと呼ぶのだ」と。

    ホピ族は誰も欲しがらないような、常にグレートスピリットへの感謝の祈りを捧げていなければ生きていられないような過酷な自然の大地を選んだといいます。だから、同じ「自然への感謝」と言っても、日本人と感覚が違うんじゃないかと想うんです。どんなに厳しい環境にあっても、自分の命を全うして生きることは、自然への感謝でもあるんですね。 

    グレートスピリットへの感謝の歌を捧げるルーベン親子。

    ーー 日本ではコロナ以降、自殺する若い人が去年の何倍もいるそうです。人間の生命に関する考え方も、ホピとはかなり違いますね。

    NANA   本当ですか? それはとても悲しいことですね。もちろん、みんなそれぞれ、いろんな事情があるにしても、その根底には、人間中心の社会しか見えなくなっていることが大きな要因になっているように想います。ものすごく過酷な自然の中でも感謝して生きている人たちがいることを知ったら、死生観もガラッと変わるのではないでしょうか?

    自分は自然の中で生かされているひとつの命なんだ、という感覚が欠落してしまうと、近視眼的になってしまって、自然も自分の命も尊重できずに行き詰まってしまうんじゃないでしょうか?

    ーー自然から切り離されているから、近視眼的になるんでしょうか?

    NANA   それも大きい要因ではないでしょうか。あまりに人間中心の社会にいると、自分が自然から切り離されていることにも、近視眼的になっていることにも気づかない。

    ホピのメッセンジャーのルーベンは「ホピの教えでは母なる大地に生かされているという謙虚さを忘れないことが大切だ。母なる大地のバランスが崩れたら自分のバランスも崩れてしまう。アタマで考えて生きる人が地球の問題を作り出している」と言っています。近視眼的になる、というのは、人智を超えた大いなる存在への謙虚さを忘れてしまった状態とも言えると想います。

    ーー誰かが決めた人工的な枠の中でしか生きられない、と考えると苦しいですよね?

    NANA  人間のスケールだけで考えると視野が狭くなって、自分の命も人間社会の尺度の中でしか考えられませんが、自然という地球規模の命という大きな視点で見ると、他のすべての命と同様に、自分の命もかけがえのないものだとわかるんじゃないかと想います。

    今もナバホ族が住むキャニオン・デ・シェイ。眼下にナバホ族が使っている道が見える。

     

    ーー人間には自然だけでなく、人と人とのつながりも大切ですよね。

    NANA   もちろん、そうですよね。ホピは自然との繋がりを大切にしながら、部族として生きるコミュニティとして人と人のつながりも大切にしています。自然と共存しながら、部族としてお互いをケアし合う。そういう部族意識に対して、現在の世界を牛耳っている国家意識は、人が人を支配し、人間が自然を支配する考え方でしょう。自然への謙虚さを忘れてきた。そういう考え方が、人を自然から切り離すだけじゃなく、人と人を分断してきたと想います。

    部族意識では、困った人がいたら助けるのが当たり前なんですね。こんな話を聞いたことがあります。

    ある方がアンデス山脈を越えるために現地でキャラバンを組んで準備をしていたそうなのですが、充分なガソリンを積んで来ない。聞いてみると、絶対に足りないのに「大丈夫だ」と言うそうです。そしてやっぱり、途中でガソリンが足りなくなったら、雇った人たち全員で空き缶を持って近くの村に行くんだそうです。そしてみんなが少しずつ、ガソリンを入れて帰ってくる。「困ったら誰かが助けてくれる」というのが彼らの常識なんだと言うんですね。

    その時、その人は、現代社会の保険制度というのは、お互いに助け合うことがなくなってしまった社会の産物なんだと感じたとおっしゃっていました。困窮した時、助け合える人が周囲にいなくて孤立してしまうのも、部族意識がベースになる社会がなくなってしまったことも大きいのではないかと想います。

    セドナには小さな部族が住んでいたであろうと思われる遺跡が数多く残っている。ここで人々は自然と共に助け合って生きていたのだろうか。

    ーーコロナのパンデミックで孤立してしまった感覚を持った人も多くいるかと想いますが、そんな時だからこそ、部族意識を取り戻すことが大切なんですね?

    NANA   そうですね。でも意識だけじゃなくて、実際の社会がコミュニティの感覚を取り戻して、実際に声を掛け合って、助け合えるようになるといいですね。

    ホピの村に行くと、こんな小さな家に一体、何人住んでるの?って感じで暮らしているし、友達の家に居ても、次から次へと、友達やら親戚やらがひっきりなしに訪ねてきます。犬や猫も・・・(笑)。どの犬も首輪をしてないから、どの家の犬なんだか、よくわからないんですよね。「あ、これ、隣の犬」とか言って、自分の家の犬は、遠くを指差して、「あっちにいるのがうちの犬」みたいな感じで、結局、どの犬も村犬?みたいな(笑)。

    お祭りの時には、村の家のドアは開いていて、誰でも自由に入って食べて出て行くみたいな感じです。ホピの村に行くと、「人間にとっての豊かさはこういうことなんじゃないのかな」と想いますね。お金や名声では得られない豊かさだと。

    ーーコロナでなかなか大勢が集まることができなくなりましたが、これからクリスマスやお正月シーズンです。まだ予断は許しませんが、できるだけ家族や友人で集まれるといいですね。

    NANA    アメリカでは11月の第四木曜日がサンクスギビングデーで、日本のお正月のように、家族や友人が集って食事をしたりパーティをしたりします。日本でも、年末年始は、人と人が直接会って話せる時間をコミュニティ的な感覚を取り戻せる機会にできたらいいですね。

    自然の中で友達と集い楽しむドラムサークル。

     

     NANA プロフィール 

    東京生まれ。高校卒業後、スウェーデンに渡り、美術学校へ。その後、ストックホルム大学で、スウェーデン語と民族学を学ぶ。帰国後、アメリカ人と結婚し、アメリカ、アリゾナ州セドナに移り住む。セドナの自然を案内しながら、セドナ、そして北アリゾナの自然を撮り続けている。その他、ウエディング写真、ホームページ用写真、記念写真の撮影も行いながら、大自然の美しさを通して、命の尊さを伝えたいと想っている。写心(写真)家・ガイドの他に、誘導瞑想、エネルギーワーク、地元のサイキックなどのセッションの通訳、そして自らもヒューマンデザイン・リーディングというセッションを行う。

    NanaさんのHPは、sedonana.com  

    写真/NANA

    構成/ 尾崎 靖(エディトリアル・ディレクター)

     

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