旅の中で感じた、ローカリズムとグローバリズムの分水嶺。写真家・竹沢うるまが『ルンタ』で綴ったチベット文化圏の旅(後編)
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  • 2021.04.08

    旅の中で感じた、ローカリズムとグローバリズムの分水嶺。写真家・竹沢うるまが『ルンタ』で綴ったチベット文化圏の旅(後編)

    私が書きました!
    著述家・編集者・写真家
    山本高樹
    1969年岡山県生まれ、早稲田大学第一文学部卒。2007年から約1年半の間、インド北部の山岳地帯、ラダックとザンスカールに長期滞在して取材を敢行。以来、この地方での取材をライフワークとしながら、世界各地を取材で飛び回る日々を送っている。著書『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』(雷鳥社)ほか多数。

    インド北部ザンスカール地方、カルシャ・ゴンパの少年僧たち ©Uruma Takezawa

    「今、我々が暮らしている社会は、何もかもが過剰じゃないですか。でも、チベット文化圏を旅する中で目にした光景は、その過剰さの対極にあるというか。何もないという意味ではないですけど、我々のライフスタイルとは真逆です。でも、彼らの方が、心の充実度は高い。それはどうしてなんだろう。目に見える幸せと、目に見えない幸せ。そのバランスの違いはどこにあるのか、と考えさせられました」

    世界各地のチベット文化圏を足かけ3年をかけて旅し、その経験と自身の思索の変遷を紀行文『ルンタ』に綴った、写真家の竹沢うるまさん。インド、ネパール、中国など、各地を巡る中で竹沢さんが目にしたのは、厳しい自然環境の中で受け継がれてきた伝統的な生活様式と信仰を守り続ける人々と、そこに外界からひたひたと押し寄せるグローバリズムの波だったと言います。『ルンタ』の中でも重要なテーマの一つとなっている、ローカリズムとグローバリズムのせめぎあいについて、話を聞きました。

    ネパールのムスタン地方、ツァーランの風景 ©Uruma Takezawa

    人が幸せに暮らすことの原型が、その村にはあった

    「あの旅を今ふりかえって、よく思い出すのは、ネパールのムスタンにある、ツァーランという小さな村。そこを訪れた時、畑には薄桃色のそばの花が咲いていて、すごくきれいで。ちょうど大麦の収穫の頃だったので、村はとても忙しい時期でした。村の人たちは、朝早くから畑に行って収穫作業をして、家に戻ってからチャイを飲んで、ごはんを食べて、空いている時間にはお寺に行ってお祈りをして。何気ないなあ、でも、この何気なさがいいなあ、と思いました」

    この村なら、半年でも1年でも住めるかも、とまで感じた竹沢さん。その理由は、村の人々の暮らしに感じた“穏やかさ”さだったと言います。

    「あの村にいると、すごく落ち着いたんですね。心が穏やかになった。ああいう生活をしていると、大変なこともいっぱいあるだろうけど、村の人たちの心の状態は、とても穏やかなんじゃないかな。人が幸せに暮らすことの原型みたいなものが、あそこにはあったんじゃないかと、今ふりかえっても思いますね。本当の意味での人間、大地の一部としての人間が暮らせる場所だったのかな。心が穏やかで、心の動きもよく見えている。自分がここに存在しているというステートメント、祈りというものを常に感じている。それが心の豊かさにつながり、村全体の穏やかさにもつながっているように見えました」

    ネパールの中でもとりわけ辺境に位置し、ほんの十数年前までは高度な自治権を与えられた王国であったムスタン。長い間、外界から隔絶されていたこの秘境にも、南はネパール側から、北は中国側から国境を越えて道路が延伸され、さまざまな物資や情報がなだれ込んできているのを、竹沢さんは目の当たりにしました。

    「チベット文化圏には、分水嶺がたくさんあるんですよ。目に見える幸せと、目に見えない幸せ、その豊かさの違いの間に横たわる分水嶺が。ムスタンのあの小さな村は、北からも南からも波が押し寄せてきているけれど、まだかろうじてその狭間にあって、穏やかさを保ってましたが、すごく危うい状態でした。グローバリズムの波に一方的に身を任せてしまうと、社会はシステムやイデオロギーが主体になって、人間はそこに組み込まれる代用可能なパーツでしかなくなってしまう。自分を失ってしまったら、人は祈りも忘れてしまって、存在する意味も消えてしまう。そういう社会では、本当の意味での心の豊かさを得るのは難しい。要は、ローカリズムとグローバリズムのバランスの問題だと思うんです。今のような画一化されたグローバリズムではなく、個人や地域、民族、文化、国などのローカリズムに立脚した、本当の意味でのグローバリズムが必要になるんじゃないかな。いかにローカルを大切にしながら、世界とつながっていくか、という」

    インド北部ラダック地方、仮面舞踊の祭礼で舞う僧侶 ©Uruma Takezawa

    取捨選択を自分たちで決めて、社会のバランスを保つ

    社会全体を画一化された情報や物資で埋め尽くすのではなく、個人やコミュニティの存在を尊重した上で、社会とのバランスを取っていく。そうしたローカリズムとグローバリズムのバランスのヒントを、竹沢さんは、近年よく滞在しているという南太平洋のクック諸島に見出しました。

    「クック諸島の人たちは、ローカリズムとグローバリズムのバランスの取り方が、めちゃめちゃ上手いんです。人口は全部で2万人くらいしかいないんですが、15歳以下の子供の割合が35パーセントもあって。アリキと呼ばれる酋長が、集落ごとの決まりごとやお祭りを仕切ったり、何かもめごとが起こったら仲裁したりします。そういう昔ながらのコミュニティの仕組みがしっかりある一方で、教育のシステムはクック諸島が属しているニュージーランド式ですし、マオリ語のほかに英語も自然に話せるので、各国のテレビなどを通じて、世界中の情報をよく知っています。ニュージーランドで、学校に通ったり、働いたりしている人も多いから、外の世界をよくわかっているんです」

    クック諸島は、一番近いニュージーランドから4千キロも隔てられています。人口も少ないので、その距離を飛び越えて、外部から輸送コストをかけて何か商品を持ち込んでも、ビジネスを成立させるのは難しい場所です。

    「放っておいたら、外の世界からは何も来ないんです。だから、クック諸島の人たちは、ローカリズムを大切にしながら、自分たちが必要と判断したものだけを、自分たちの意志で持ってくることができています。侵食されたり奪われたりするのではなく、取捨選択の主導権を、自分たちで握っている。だから、ものすごくバランスがいいんですよ。ムスタンのような場所でも、侵食される前に現地の人たちが取捨選択することができたら、理想的な環境を作り上げられるかもしれない、と『ルンタ』の原稿を書きながら考えていました。難しいでしょうけどね。ムスタンの人たちは、ほかの場所を見ているわけではないから。自分の見知っている範囲内だと、簡単な方を選択しがちでしょうから……」

    風にはためく祈祷旗、ルンタ ©Uruma Takezawa

    人と人とを隔てる“境界”に、本当に意味はあるのか

    ローカリズムとグローバリズムだけでなく、民族や宗教、政治的主張など、さまざまな要因のもとに繰り広げられているせめぎあいを、竹沢さんはこれまでの旅で、数え切れないほど目にしてきたと言います。それらの経験を通じて、次第に意識するようになったのが、“境界”というキーワードでした。

    「“境界”というものには、どんな意味があるのかな、と。いろんな国を旅してきて、国境、民族、宗教、いろんなぶつかりあいを見てきて。チベット文化圏を巡る旅のきっかけになったあの出来事は、とりわけ激しいぶつかりあいでした。でも、よくよく考えてみると、そういうものを全部ひっくるめて、この世界は、砂曼陀羅みたいなものなのかな、と思うようになって……」

    チベット仏教の僧侶たちが作る砂曼荼羅は、何日もかけて、色付きの砂を絵柄に合わせて丹念に敷き詰めますが、法要が終わると、あっさりとすべて崩して、川に流してしまいます。竹沢さんには、その一部始終が、この世界における“境界”の持つ意味を象徴しているように思えたそうです。

    「砂曼荼羅を最後に崩して、自然に還す時、赤い砂も青い砂も、全部混ざると、灰色になるんです。何回見ても、面白いなあ、と思っていて。すごく引いた目で見れば、チベット人も漢民族も、それぞれ色の違う砂粒のようなもので、砂曼荼羅という世界が崩されて混ざり合えば、灰色一色になってしまう。我々人間は、結局はみんな同じ、漠とした灰色をしているんだなあ、と。そう考えていくと、“境界”というものの無意味さを感じるようになって、自分にとって“境界”とは何なんだろう、という思いが、だんだん大きくなっていきました」

    『Walkabout』と『The Songlines』、『Kor La』と『ルンタ』。長い旅を経てこれらの作品を世に送り出してきた竹沢さんが、次に見定めた、“境界”というキーワード。その新たな挑戦は、最新作『Boundary | 境界』へとつながっていきます。


    竹沢うるま Uruma Takezawa
    1977年生まれ。ダイビング雑誌のスタッフフォトグラファーを経て2004年より写真家としての活動を開始。主なテーマは「大地」。そこには大地の一部として存在する「人間」も含まれる。2010年〜2012年にかけて、1021日103カ国を巡る旅を敢行し、写真集『Walkabout』と対になる旅行記『The Songlines』を発表。2014年第三回日経ナショナルジオグラフィック写真賞受賞。その後も、チベット文化圏を捉えた写真集『Kor La』(小学館)と旅行記『ルンタ』(小学館)など、写真と文章で自身の旅を表現している。最新作は写真集『Boundary | 境界』(青幻舎)。「うるま」とは沖縄の言葉でサンゴの島を意味し、写真を始めたきっかけが沖縄の海との出会いだったことに由来する。


    『ルンタ』
    竹沢うるま 著
    小学館 本体2500円+税
    写真集『Kor La』と対を成す、足かけ3年、チベット仏教圏を巡った祈りの旅の記録。


    『Boundary | 境界』
    竹沢うるま 著
    青幻舎 本体6000円+税
    写真家竹沢うるま、約4年半ぶりの新作写真集。アイスランドの大地の風景を通じて、人と人とを分かつ“境界”の意味を問う。


    竹沢うるま 写真展「Boundary | 境界」
    アイスランドで撮影された圧倒的な「自然の大地」と日本の国東半島で撮影された「人間の大地」、約25点を展示。「境界とは何なのか?」を見る者に問いかける。
    キヤノンギャラリー銀座:2021年4月20日(火)〜5月8日(土)(日・月・祝 休館)
    キヤノンギャラリー大阪:2021年6月8日(火)〜6月19日(土)(日・月・祝 休館)

    竹沢うるま×山本高樹「空と山々が出会う地で、祈りの在処を探して」
    『ルンタ』『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』W刊行記念トークイベント

    2021年4月17日(土)19:00〜 本屋B&B
    詳細はこちら→ https://bb210417c.peatix.com

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