「人はみな、最終的に大地に還っていく。だから、大地を見たくなったんですね。今までの旅で、ずっと人を、人がもっとも人たる所以の、祈りという行為を見てきて、それについて考え、形にして……抜けたのかな、終わったのかな、という感覚があって。今度は、人が還る大地を見たい。写真に撮りたい。できるだけ人の手の入っていない、原初の状態に近い大地がよかった。それで、アイスランドを撮ることにしたんです」
チベット文化圏を巡る足かけ3年にわたる旅を、写真集『Kor La』と紀行文『ルンタ』という2つの作品に結実させた、写真家の竹沢うるまさん。その過程で竹沢さんが意識するようになったのは、宗教、民族、政治的主張など、人と人とをさまざまな形で隔てている“境界”という概念でした。約4年半ぶりとなる完全新作の写真集『Boundary | 境界』は、そのタイトル通り、“境界”の持つ根源的な意味を問う作品となっています。
大地の視点で見れば、“境界”は幻想でしかない
北緯約63度、北大西洋の只中にある島国、アイスランド。北海道と同程度の広さの国土に、35万人ほどの人々が暮らしています。島自体は、北アメリカ・プレートとユーラシア・プレートを隔てる大西洋中央海嶺を跨ぐ形になっていて、現在も活発な地殻変動が続いています。
「アイスランドの大地は、若いんですよ。プレートの境目なので、大地は変形し続けているし、火山もよく噴火していて。あの国では、これまでにも大勢の写真家が作品を撮っていますけど、そのほとんどは、絶景と呼ばれる各地の有名なスポットで撮ったものです。自分も、初めのうちはアイスランドでそういう写真も撮ってましたが、だんだん撮らなくなりました。絶景と言われている風景は、人間の目を通した絶景でしかないので、そこは抜け出していかなければ、という思いがあって。人間の視野や価値観だけで写真を撮っていたら、“境界”の内側にいるのと一緒なので。だから、写真はどんどん具体性がなくなって、象徴的な写真ばかりを撮るようになりました」
竹沢さんは、滞在中の大半を車やテントで寝泊まりしながら、アイスランドの自然の中に深く分け入って、撮影を続けました。黒い大地にまだらに降り積もる、白い雪。黒い砂浜に打ち寄せる、白く泡立つ波。訪れるたびにがらりと変化する、黒と白に隔てられた風景。それらを写し取った写真には、“境界”という概念のあやふやさ、不確かさがにじみ出ています。
「“境界”は結局、人間が作り出したものでしかない。10年や100年という人間の視点で捉えるか、10万年、100万年という大地の視点で捉えるかによって、“境界”の存在や意味はまったく変わってきます。宗教ごとの違いも、民族と民族の違いも、たぶん10万年後にはない。そんな、幻想みたいな“境界”によって、人の生き方は、時に必要以上に振り回されてしまう。それに何の意味があるんだろう。そこまで“境界”を明確に引く必要はないんじゃないか。そういったことに対して、何かしらのヒントになるような写真を撮りたいと思って取り組んだのが、今回の『Boundary | 境界』なんです」
無を意識すればするほどわかる、“個”の大切さ
大地の視点を意識して撮影されたという『Boundary | 境界』の写真群。それらはまるで、人の営みの尺度をはるかに飛び越え、人が作りし“境界”をすべて無に帰していく、壮大な叙事詩のようにも見えます。このプロジェクトに取り組む中で、竹沢さんが常に意識していたのは、チベット仏教の僧侶たちが作る砂曼荼羅のイメージだったそうです。
「アイスランドで写真を撮る時に念頭に置いていたのは、“我々はやがて大地に抱かれる”という言葉でした。その言葉に行き着いたのは、砂曼荼羅を見ていたからなんです。砂曼荼羅は、完成して法要が終わると、あっさり崩されて、自然に還されてしまう。砂曼荼羅に使われていた色とりどりの砂も、崩されて混ざり合うと、漠とした灰色になる。人間も、それと一緒なのかなと。人が死んでも生まれても、地球上に存在する物質の質量は一定ですから。『Boundary | 境界』では当初、自然の写真だけでそういう概念を表現しようと考えてましたが、その後、途中に世界各地の人や宗教の写真を入れ込む構成に変えました。崩されていく途中の砂曼荼羅のようなものです。そういう構成になったのは、並行して『ルンタ』を書いていたことの影響があったと思います」
人間は、砂曼荼羅に使われる砂の一粒一粒のような存在でしかない。いくら互いを隔て合っても、最後には混ざり合って灰色になり、大地に還ることになる。でも、だからといって、一人ひとりの存在はけっして無意味ではない、とも竹沢さんは言います。
「ものすごく広い視点、ものすごく長い時間軸で考えると、自分の存在は無に近づいていく感覚になりますけど、無に近づけば近づくほど、“個”というものの重要性を再認識していく部分もあって。だからこそ、今、目の前にあるこの瞬間を、自分の中にある心の動きを大切にしながら生きていくべきなんじゃないか、と思うんです。“個”でありながら“全体”であり、“全体”でありながら“個”でもある。アイスランドの大地に立つと、そういうことをすごく感じます。誰もいない奥地に一人で行って、雪が降ってきたりすると、怖いなあ、と思います。ここで死んだら嫌だなあと。“我々はやがて大地に抱かれる”とか言いながら、そう思うわけです。でも、だからこそ、その心の動きは大切にしなきゃならない。『Boundary | 境界』では、“境界”というものに対する明確な答えは用意していなくて、自分が見聞きして経験したことを“境界”というフィルターをかけて提示しているだけなんです。何が正解かはわからないですが、何かを感じてもらえるきっかけになればと思っています」
穏やかな心で、穏やかな写真を
2020年から全世界を席巻したコロナ禍は、これからの自身の写真に対する向き合い方や考え方にも少なからず影響している、と竹沢さんは言います。
「今までは、自分が自分がというのを前面に押し出した、俺はすごいんだぜ、こんなのが撮れるんだぜ、的な写真が多かった気がするんですね。でも、コロナ禍を経験するうちに、そういう写真を見たいともあまり思わなくなってきて。競い合うためのものでも、消費されるためのものでもなく、ただ単純に、シンプルで美しい、穏やかな心が現れた写真。コロナの期間の間に、自分が見たい、撮りたい、と思う写真は、そっちの方向に見えたので。あんまり頭で考えて落とし込んでいきたくはないですが、写真を撮りながら考えていくのはいつものことなので、もやもやしたものを、もやもやしたまま、大切にしていけば、おのずと見えてくると思います」
そうした心境の変化を踏まえて、これから取り組んでみたいと竹沢さんが考えているのは、一つは、世界各地の人々を非常にシンプルな形で撮影するポートレートのプロジェクト。もう一つは、大型のフィルムカメラを使って日本の風景を撮影するプロジェクトだそうです。
「写真を撮るという行為は、自分の心の内面の発露だと思っていて。外界に接した時に心の水面に生じた波紋のようなものを写真に落とし込んでいるので、自分にとっては、祈りのようなものなんです。そういう誰でも言いそうなことをあまり言いたくはないんですが、写真は、自分自身が確かにここに存在していて、心を動かされたことの証明であることは間違いないです。こういう世界も存在するんだよ、という、世界を覗いてもらうための窓になるような写真を提示するのが、自分の役割なのかなと思っています」
竹沢うるま Uruma Takezawa
1977年生まれ。ダイビング雑誌のスタッフフォトグラファーを経て2004年より写真家としての活動を開始。主なテーマは「大地」。そこには大地の一部として存在する「人間」も含まれる。2010年〜2012年にかけて、1021日103カ国を巡る旅を敢行し、写真集『Walkabout』と対になる旅行記『The Songlines』を発表。2014年第三回日経ナショナルジオグラフィック写真賞受賞。その後も、チベット文化圏を捉えた写真集『Kor La』(小学館)と旅行記『ルンタ』(小学館)など、写真と文章で自身の旅を表現している。最新作は写真集『Boundary | 境界』(青幻舎)。「うるま」とは沖縄の言葉でサンゴの島を意味し、写真を始めたきっかけが沖縄の海との出会いだったことに由来する。
『ルンタ』
竹沢うるま 著
小学館 本体2500円+税
写真集『Kor La』と対を成す、足かけ3年、チベット仏教圏を巡った祈りの旅の記録。
『Boundary | 境界』
竹沢うるま 著
青幻舎 本体6000円+税
写真家竹沢うるま、約4年半ぶりの新作写真集。アイスランドの大地の風景を通じて、人と人とを分かつ“境界”の意味を問う。
竹沢うるま 写真展「Boundary | 境界」
アイスランドで撮影された圧倒的な「自然の大地」と日本の国東半島で撮影された「人間の大地」、約25点を展示。「境界とは何なのか?」を見る者に問いかける。
キヤノンギャラリー銀座:2021年4月20日(火)〜5月8日(土)(日・月・祝 休館)
キヤノンギャラリー大阪:2021年6月8日(火)〜6月19日(土)(日・月・祝 休館)
竹沢うるま×山本高樹「空と山々が出会う地で、祈りの在処を探して」
『ルンタ』『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』W刊行記念トークイベント
2021年4月17日(土)18:00〜 本屋B&B
詳細はこちら→ https://bb210417c.peatix.com