還暦を過ぎて故郷の山口県岩国市の山奥に戻り、自分たちが食べるものは自分たちの手でつくることを目指した田中寅夫・フサコ夫婦の25年を追ったドキュメンタリー映画『ふたりの桃源郷』。この映画の監督である佐々木聰さんは山口放送に所属し、情報番組を担当するディレクターだ。
田中夫婦の取材を機に「農業のことをもっと知らなくちゃ」と県内の農家巡りをスタートした佐々木監督が、取材を通して感じたこととは?
――山口県内の新規就農者の取材を続けているそうですね。農業をうまく軌道に乗せた人に共通点はありますか?
「農家さん巡りをして4~5年になりますが、生産自体がうまくいかないとか収入が少ない等、誰もが”うまくいってる”わけではありません。作物が充分に収穫できても、それをただ農協に持って行けばいいというわけではありませんよね。農業の”業”の部分、いかに売るか? が問題で。でも農業って自分の手を使って汗を流し、努力して作物を実らせてそれを食べる。努力して自分の手でなにかを生み出すという仕事で、目の前の人がそれを食べて美味しいと言ってくれると、そこに喜びを感じる。とてもシンプルでわかりやすいところがあります。
それでみなさん”自分たちが食べるものは自分たちの手で”と、『ふたりの桃源郷』のおじいちゃんと同じようなことを考えているんです。農業者にとって食の安全等という問題はわかりきったことで、街で暮らす人間がわかっていないんですよね。自分で食べるものを自分でつくることの意味を”やってみればわかりますよ”と、年若い農業者に言われたりして。それで僕も二畝ほどのちっちゃい畑を借りて大根やジャガイモをつくってみましたが、二畝ってけっこう広い。おじいちゃんの畑なんていつでも土がふっかふかでしたけど、そのすごさも自分でやって初めてわかりました。耕し方が足りないからニンジンも細~くなっちゃうし、大根は石にあたって途中で成長が止まったりして、こりゃあ大変だ! と(笑)」
――例えばどんな方を取材されたのでしょう?
「そうですね…取材当時26歳くらいの女性で、お米農家さんとか。彼女は山口を出て東京の大学に行き、一人暮らしをしました。コンビニでお弁当を買ってレンジでチンして食べるという生活に”これは私じゃない”と感じて。東京では楽しいこともたくさんあったけど、それでぽんっと故郷へ戻り、おじいさんから広大な田畑を継いだんです。おじいさんは収入を安定させるために田畑を広げたそうですが、彼女は生産性を追及するやり方に疑問を抱いて有機栽培を始めて。子どもを産んで、さらに”食”への思い入れを強くしたそうです。そうした姿を取材して情報番組で紹介するとかなりの反響があり、もういちど取材に行きました。すると今度は鼻水を垂らしながら号泣するんですよ、”農家は大変なのに、それをわかってないですよね”って。とてもチャーミングな女の子なんですけど」
――放送を観て、彼女自身はそう感じたと。
「確かにその放送ではそこまで掘り下げられなかったし、自分はもっともっと農業について勉強しなきゃいけないなと思いました。ウルグアイラウンドとはなにか? TPPはどっちを向いた協定なのか? 等、表面的なことしか知らないし、農家の多くは補助金漬けで、そうじゃないと農業が立ち行かない。そうしたことを農家さんはみなさん知っていますが……本当にいろいろと考えさせられました。人間にとって本来は農家さんのように”自分が食べるものは自分で”というのが真理に近い在り方のような気がしますが、実際には街で生活する人たちの生き方が主流になっている。僕らのように地方の街に暮らす人間も改めて考えなきゃいけないなと思ったんですよね」
佐々木 聰(ささき・あきら)
1971年5月5日生まれ、山口県出身。平成7年山口放送入社、テレビ制作部配属。報道記者を経て、平成19年より情報番組のディレクターを担当。ドキュメンタリーを制作している。平成22年放送文化基金賞(放送文化 個人・グループの部)受賞。平成27年度(第66回)文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。その他「奥底の悲しみ」シリーズで日本放送文化大賞グランプリ、民放連賞(報道)最優秀賞、文化庁芸術祭優秀賞、「笑って泣いて寄り添って」シリーズで文化庁芸術祭優秀賞、民放連賞(放送と公共性)最優秀賞、日本放送文化大賞グランプリ候補、「20ヘクタールの希望」シリーズで民放連賞(報道)優秀賞、ギャラクシー賞選奨ほかを、それぞれ受賞している。
『ふたりの桃源郷』(製作著作/山口放送)
監督/佐々木聰 ナレーション/吉岡秀隆 ●5/14~東京・ポレポレ東中野、6/11~山口・県内6館ほか、全国順次公開
公式HP:http://kry.co.jp/movie/tougenkyou/
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