アウトドアが大衆化して特別なものではなくなった
BE-PAL創刊とともに日本にアウトドア文化がやってきて早40年。日本のアウトドアシーンを索引してきたキーパーソンへのインタビューリレー第2弾は、アウトドア用品の輸入会社「エイアンドエフ」の創設者赤津孝夫さんです。インタビューの一部をご紹介します。
–BE-PALが創刊したのが1981年ですが、エイアンドエフはそれの少し前ですよね。
「創立は1977 年です。でも、それ以前から、『東京銃砲火薬店』という店でア ウトドア道具を輸入する仕事を始めていました。ところが、初めてアメリカ の展示会に行ったとき、アウトドアメ ーカーに名刺を出すと怪訝な顔をされてしまいました。たしかに、自然保護を謳っている人たちに対して、『TOKYO FIRE ARMS』は誤解されてしまいますよね。それで、僕と社長の藤田の頭文字、AとFを社名に使った会社を創立したんです」
–最初に輸入したアウトドアギアは、なんですか?
「ナイフです。『ガンダイジェスト』というアメリカの雑誌にカスタムナイフが紹介されていました。デザイン、サイズ、鋼材、ハンドルの材質を選んで注文できることに驚き、大量生産一辺倒だと思っていたアメリカに手作りの職人がいることに興味を持ちました」
–その当時から比べてアウトドア文化に変化を感じますか?
「ひとことでいえば、アウトドアのすそ野が広がりました。エイアンドエフの成長を見ても、最初は卸専門だったのが、その後BE-PALなどに通販のペ ージを出して売るようになり、創立10年後ぐらいには店舗を出して直販もするようになりました。ア ウトドアが大衆化して特別なものではなくなったといえるでしょう」
–今、赤津さんが注目してほしい道具はありますか?
「創立当初から扱っている商品ですが、 ロッジのスキレットです。120年前に誕生したもので、当時からデザインも機能も変わっていません。アメリカの家庭ではひとつのスキレットを代々受け継いで使っています。これこそ、アウトドア道具だと思います。これからも本物の道具を紹介し続け、自然とともに暮らすライフスタイルを広めていきたいですね」
公式YouTubeでインタビュー動画を配信中!
赤津さんの貴重なインタビューの全貌は、BE-PAL公式YouTubeで配信中です。アメリカのアウトドア文化のこと、近年の日本のアウトドア事情など、ぜひチェックしてください!
※構成/鍋田吉郎 撮影/小倉雄一郎 聞き手/沢木拓也(編集部)