コンセプトは「自然を手でつかもう」
BE-PAL創刊とともに日本にアウトドア文化がやってきて早40年。日本のアウトドアシーンを索引してきたキーパーソンへのインタビューリレー第5弾は、BE-PALの生みの親である初代編集長の中村滋さんです。BE-PAL誕生秘話について今まで明かされなかった話も!? 一部をご紹介!
BE-PALを創刊したきっかけから教えてください。
「入社以来主として漫画編集をやっていたのですが、企画開発室のメンバーにもなって、“何か新しいこと”を考えるのも僕の仕事になったんです。最初はクルマの雑誌を考えました。でも、先行する雑誌がいっぱいあったのでおもしろくありません。それで、頭に浮かんできたのがアウトドアでした。当 時、ファッションとしてマウンテンパーカやトレッキングシューズなどがアメリカ西海岸から入り始めていたのですが、その情報を発信しているのはマガジンハウスの『Made in USA catalog』や『POPEYE』ぐらいで、アウトドア誌はありませんでした。
今はまだアウトドア黎明期だけど、 きっとこれから自然の中の遊び、自然 を楽しむことが普通になっていくだろう。そう考えて社内で新雑誌のプレゼンテーションをし、それが通ってBE-PALを創刊することになりました」
中村さん自身、アウトドアを楽しんでいらっしゃったんですか?
「日本に入ってきたばかりのフライフィッシングに熱中していました。会社にもシエラデザインズのマウンテンパーカで通勤していましたね」
キャッチフレーズは、「自然を手でつかもう。」でした。その心は?
「当時、アウトドア系の雑誌といえば 登山や釣りといったジャンルの専門誌ばかりでした。僕自身、フライフィッ シングの同人誌を作っていたのですが、 そういったひとつの分野を専門的に追求するものにしようという考えは最初からありませんでした。専門誌ではなく、もっと身近なアウトドア雑誌を作りたいと思ったんです。コンセプトは、『自然は仲間。自然と友だちになろう。 そして、自然を手でつかもう。』。街を歩いている普通の人に向かって、『日常の中で自然を楽しもうよ』と提案したかったんです。『自然を手でつかもう。』というキャッチフレーズのほかに、『Outdoor Life Magazine』と表紙に打ったのは、BE-PALはアウトドア専門誌ではなくライフスタイル雑誌なのだという宣言でした」
その創刊号の表紙は、女の子のタンクトップの胸元アップ。今でも語り草になっています。
「『この本はいったい何なの?』とから2年後。NHKが、初夏のニュース『こんなもの作っていいのか 』とか、さんざんお叱りをいただきました。でも、確信犯だったので何をいわれても平気でした。あの表紙で『自然と遊ぼう』って、すごく変じゃないですか。 でも、変なほうがおもしろいし、読者にささる」
創刊から40年が経ち、アウトドアラ イフは相当浸透したと思います。中村さんはそれをどう見ていますか?
「ますます、『自然を手でつかもう。』 というコンセプトが大事になってきていると思います。エコロジーがテーマ となった現代では、自然を手でつかんだ経験がものをいうからです。経験がなければ、自然とはどういうものかわ かりません。たとえば河川改修をするとき。計画を立てる人や重機を動かす人が自然を知っているかいないかで、 大きな違いが生まれるでしょう。あるいは、水辺で遊ぶ人が増えれば、マイクロプラスチックの問題の深刻さに気付く人が増え、それが社会を変える力になるでしょう。自然を守るためには、 自然の中で遊ぶ必要があるのです」
公式YouTubeでインタビュー動画を配信中!
動画内では、BE-PAL創刊時の世の中の反応やアウトドアがどう変わっていったのかのほか、現代のデジタル化していくメディアのあり方についてもお話いただいています。77歳現在もバリバリの編集者として活躍する中村さんの熱い想いをぜひ動画でも!
※構成/鍋田吉郎 撮影/小倉雄一郎 聞き手/沢木拓也(編集部)