国内でもっとも大きな湖である琵琶湖。この湖の北西部に連なる峰々をつなぐ長距離トレイルが、今回紹介する「中央分水嶺・高島トレイル」です。
総延長80kmの長距離トレイル「高島トレイル」とは?
「中央分水嶺・高島トレイル(※以下、高島トレイル)」があるのは、琵琶湖の北西部に位置する滋賀県の高島市。2005年、5つの町とひとつの村が合併して誕生した高島市の地域振興を目的とした事業の一環として、降った雨水が日本海側と太平洋側へ流れ出る境となる「中央分水嶺」をつなぐかたちで高島トレイルは整備されました。
全線が開通したのは2007年。総延長は80kmに及びます。
高島トレイルを理解する3つのエリア
高島トレイルは、合併前のマキノ町、今津町(いまづちょう)、朽木村(くつきむら)にそびえる、12のピークと12の峠をつなぎ、北から「マキノの山」「今津の山」「朽木の山」といった3つのエリアに分かれます。
アクセスしやすい「マキノの山」
高島トレイルの北部に連なる「マキノの山」は、トレイルの北端となる愛発越(あらちごえ)からスタートして、黒河峠(くろことうげ)、赤坂山(あかさかやま:823.8m)、大谷山(おおたにやま:813.9m)、抜土(ぬけど)までの、約18kmの区間。
麓には、スキーやキャンプなど年間を通してレジャー客で賑わう観光地として有名な「マキノ高原」が広がり、高島トレイルの中でもっとも交通の便がいいエリアになります。
山深く静かな「今津の山」
トレイルの中間に位置する「今津の山」は、抜土から始まり、大御影山(おおみかげやま:950m)、三重嶽(さんじょうだけ:974m)、武奈ヶ岳(ぶながたけ:865m)を越えて、行者山までの約31kmの区間。三重嶽は高島トレイルの最高峰になります。
今津の山はかつて登山道もなかったほど人里から離れており、いまでも山の奥深さが残る閑静なエリアです。
麓は歴史の舞台「朽木の山」
最南に位置する「朽木の山」は、行者山から駒ヶ岳(こまがたけ:780m)、百里ヶ岳(ひゃくりがたけ:931.3m)、三国岳(みくにだけ:959m)などのピークを踏み、トレイルの南端となる桑原橋へ至る約31kmの区間です。
歴史好きな方なら朽木という地名にピンとくるかもしれません。
時は1570年、かの有名な戦国武将・織田信長が起こした「金ヶ崎の戦い」で、撤退戦の舞台のひとつとなったのが旧朽木村。現在の福井県から京都へ逃げる途中、織田信長が一時身を隠したと云われる「信長の隠れ岩」といった史跡がいまに伝わる、国史の中で重要な役目を果たしたエリアになります。
歴史の舞台となった峠たち
金ヶ崎の戦いには織田信長はもとより、後に全国統一を果たす羽柴秀吉(豊臣秀吉)、260年間も日本を統治することになる江戸幕府を開いた徳川家康も参戦。日本人なら誰もが知る三英傑が、同じ時代に生き、同じ敵を相手に戦っていたことに、ロマンを感じずにはいられません。
さらに、朽木の山にある池河内越(いけのこうちごえ)は秀吉が、根来坂(ねごりざか)は家康が京都へ撤退するときに利用したという伝説が残り、高島トレイルの南端・桑原に向かう手前では、当時、京都へ抜ける要所であった丹波越(たんばごえ)を歩くことになります。
紫式部や鯖が越えた道
高島トレイルで触れることができる歴史は戦国史に限りません。北端にある愛発越は、別名「七里半越(しちりはんごえ)」とも呼ばれており、琵琶湖と日本海を繋ぐ街道にあった要所のひとつ。さらに時代を遡ると、源氏物語の作者として有名な紫式部が、越前の国司となった父と共に越前へ向かう途中、この越を越えたとも云われています。
「今津の山」にある水坂峠(みさかとうげ)も、愛発越と同じ琵琶湖と日本海を結ぶ街道にあった要所のひとつで「九里半越(くりはんごえ)」とも呼ばれ、こちらは日本海の若狭湾で獲れた鯖を京都へ運ぶ運搬ルートに使われたことから、「鯖街道」のひとつに数えられています。
時代を支えてきた「高島トレイル」を歩いてみよう!
親子が通った路、歴史的な戦の撤退路、庶民の物流を支えた交易の路など、幾多の表情でそれぞれの時代を支えてきた峠を辿ることになる「高島トレイル」。後半では、具体的にトレイルの見どころとコースを紹介します。
取材協力:NPO法人 高島トレイルクラブ:https://takashima-trail.jp/