20世紀初頭に日本人で初めてチベットに潜入した僧侶、河口慧海の足跡を辿って、西ネパールのドルポ地方を中心に精力的に踏査を続け、2020年植村直己冒険賞を受賞した、登山家・写真家・美容師の稲葉香さん。
インド北部のラダック・ザンスカール地方での取材を十年以上にわたって続け、昨年刊行した『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』で第6回斎藤茂太賞を受賞した、著述家・編集者・写真家の山本高樹さん。
それぞれ異なるヒマラヤの辺境の地に心惹かれ、活動を続けてきた二人によるオンライントークイベント「ドルポとラダック 私たちはなぜヒマラヤの辺境に惹かれるのか」が、下北沢の本屋B&Bの主催で開催されました。ヒマラヤのチベット文化圏の知られざる魅力を、スペシャリストの二人が余すところなく語り尽くしたこのトークイベントの抄録を、全4回にわたってお届けします。
対談抄録の3回目は、山本高樹さんによる夏のラダックの辺境への旅と、冬に凍結した川の上を歩いてザンスカールを旅した時の様子をお届けします。
王が建立した最果ての地の僧院、ハンレ
山本:では、インド北部のラダックとザンスカールについての話に移ります。ラダックの中心地はレーという街で、空港もあって、インドの首都デリーから1時間ちょっとで飛んでこれます。このあたりはパキスタンや中国との国境に近いので、インド軍もたくさん駐留しています。ラダック各地には村や僧院が点在していて、西の方に行くと標高3000メートルを切るくらいなんですが、東の方に行くと標高4000メートルを超えます。ラダックから山々を越えて南西に位置するのがザンスカールで、言葉や宗教、文化もよく似ています。ラダックとザンスカールでは、多くの人がチベット仏教を信仰しているんですが、西の方ではイスラーム教徒が多く暮らしています。
山本:まずお話しするのは、ラダックでも南東の端に位置する、ハンレという村についてです。中国との暫定国境線まで数十キロという非常に近い位置にあって、2019年になって初めて外国人が入れるようになった場所です。ここには、17世紀頃に建てられた、ハンレ・ゴンパという美しい僧院があって、いつか見に行きたいと思っていました。レーからハンレまでは、まず、インダス川沿いの道を南東に遡っていきます。ここはインダス川沿いにあるニョマという村で、標高4000メートルくらいあります。村では大麦などを栽培していて、村人たちが畑に水を引く作業をしてましたが、やっぱり、女の人たちでした。男どもはどこに行ったんだという。
稲葉:ふふふ(笑)。どこに行ってるんでしょうね。
山本:夏の間、男性は旅行関係の仕事とか、車の運転手とか、よそでの仕事とかで出払ってる人が多いみたいでした。
山本:ハンレの周囲には、今も百世帯くらいの遊牧民がいるそうです。標高4500メートルくらいの平原を、数百頭もの家畜を引き連れて移動しながら暮らしています。実はこの人たち、すごいお金持ちらしくて。
稲葉:どうしてですか?
山本:彼らが飼ってるヤギの首元からとれるパシュミナという毛が、すごくいい値段で売れるんです。でも、彼らは遊牧民じゃないですか。札束をもらっても、そんなにたくさん使い道があるわけでもない。で、本当か嘘かわからない笑い話なんですが、ある遊牧民が、パシュミナで稼いだ札束を地面に穴を掘って埋めて保管していたら、街からはるばる銀行員がやってきて、「頼むからうちに預けてくれ。札束が土に還っちゃうから!」と。
稲葉:すごいですね(笑)。
山本:ハンレ・ゴンパは、標高4500メートルくらいの高地にある僧院で、17世紀頃、ラダック王国がいちばん勢力が大きかった時期の王様、センゲ・ナムギャル王が、ここに僧院を建てるように命じたんだそうです。白くて、中世ヨーロッパのお城にも似た佇まいの、美しい僧院です。僧院のふもとにある仏塔(チョルテン)の中には、センゲ・ナムギャル王の遺灰が納められているそうです。というのも、センゲ・ナムギャル王は、外地への遠征からの帰り道に、このハンレで亡くなったそうなんです。それで、ここで荼毘に付されて、今もこの場所からハンレの村を静かに見守っているという……。そういう話を、現地に行った時に聞きました。
稲葉:むむ、この建物は?
山本:ここには10年ほど前に、インド国立天文台の観測所が作られたんです。標高が高くて、地形も開けていて、空気もとても澄んでいるので、天体観測にはうってつけなんだとか。地元の人たちも、最初はよくわからないものが作られることに抵抗があったらしいんですが、今では受け入れてて、夜の19時以降は窓のカーテンをきっちり閉めましょうとか、23時以降は消灯にしましょうとか、協力しているそうです。なので、僕も撮りました。星の写真。
稲葉:うわー、すごい量の星ですね……。
氷の川の上を歩いて、ザンスカールを目指す
山本:では、冬のザンスカールを旅した時の話に移ります。ドルポのように、ザンスカールも冬になると、峠が雪で塞がってしまって、外部からは行き来できなくなっちゃうんですよ。たまにインド軍が、限られた地元の人向けにヘリコプターを飛ばしてるくらいで。ただ、ザンスカール川という川が1月2月くらいになると凍結するので、ザンスカールの人々は昔からその凍った川の上を歩いて、ラダックとの間を行き来していました。この凍った川の上に現れる道を、地元の人々は「チャダル」と呼んでいます。
僕は2019年の1月から2月にかけて、二度目のチャダルの旅に挑戦しました。この旅では、チャダルを抜けた後、さらにルンナク川という川に沿って遡って、最深部にあるプクタル・ゴンパという僧院まで行きました。というのも、この僧院では真冬のさなかに、プクタル・グストルというお祭りが行われると聞きまして。そのお祭りは例年2月下旬くらいにあるので、普通に見に行こうとすると、復路のチャダルで氷が割れてしまって、戻って来られなくなります。ただ、チベット暦を調べると、2019年は2月初旬にお祭りがあるとわかって。2月初旬だったらぎりぎりチャダルで戻ってこられるということで、その数年前から計画を立てて、準備をしていました。
山本:チャダルの旅は、インダス川とザンスカール川の合流地点から、ザンスカール川沿いの道を少し遡っていったところから始まります。川は……凍ってはいるんですけど、場所によっては、「大丈夫かな?」と不安になる感じです。おっかなびっくり踏み出して、幅の細い氷の上を歩いていったり。
山本:氷がないところでは、崖を登ったり下りたりしなければならなくて。ここで、高低差は20メートルくらいはあったんですよね。僕も、心臓をバクバクさせながらどうにか抜けて。
稲葉:これは怖い……。
山本:ここ、地元の人たちがあきらめてましたもん。「今ここを抜けるのは無理だから、俺たちは手前で泊まって待つ」と。でも、僕の友人でガイドのパドマ・ドルジェは「行ける行ける。ここ、前に抜けたことがある」と言って。
山本:で、夜は、川沿いにある洞窟で。崖のくぼみの手前に石垣が積んであって、その内側で幕営しました。でも、夜の間に雪が吹き込んでて、翌朝には真っ白に。
稲葉:うわー、わかる(笑)。こうなりますよね。
山本:チャダルをずっと歩いて行って、ザンスカールの中心地パドゥムから先は、ルンナク川沿いの道を歩いていきます。川の氷の上は歩かないんですが、雪が深い上に雪崩も多くて、地元の人たちも「ここは怖い」と言ってましたね。雪崩の跡を越えて行ったのも3回4回じゃきかなかったです。でも、こういうところにも僧院はあります。バルダン・ゴンパというんですが、冬の間も、ここで3年3カ月3日の瞑想修行をされている僧侶の方がいらっしゃいました。
山本:ドルポと同じように、ザンスカールでも冬はそんなに忙しくないので、ブンという簡易版の経典を読んでお祈りをするのが、日常的に行なわれています。近くのお寺から僧侶の方々をお招きして読経をしていただいたり。冬は特によく行なわれているそうです。で、この写真の同じ部屋の反対側では、子供たちがインドのギャングもののドラマをテレビでガン見しているという。
稲葉:ふふふ。
山本:どうしてこんな山奥でテレビが見られるのかというと、ここ5年か10年くらいの間に、村ごとに太陽光発電設備が設置されて、家の照明をつけたりテレビを見たりするくらいの電力は、普通に供給されるようになったんです。あと、衛星放送を見るためのセットトップボックスとパラボラアンテナも配られてるらしくて。最初にザンスカールを旅した時は、ほとんどの家にテレビはなくて、ノイズだらけのラジオを聴いてました。でもこの時は、みんなテレビを見るようになっていて。ザンスカールも、すごい速度で変わってきているなあと感じました。
山本:さらに崖っぷちの道を歩いて行って、橋を渡って、プクタル・ゴンパの対岸にあるユガルという村で、数日泊めてもらうことになりました。ここの家では、毎日おいしいごはんを食べさせていただいて。ヤク(毛長牛)の肉とジャガイモとニンジンを煮たのをごはんにかけたものとか。こんな山奥で、こんなにおいしいものを食べさせてもらっていいのかと思いました。
山本:この家には、村で唯一の衛星電話があって、村の人が入れ替わり立ち替わりやってきて、遠くに住んでいる家族や親戚、友達に電話をかけていました。何回かトライして、運がいいとつながるんですが、みんな、すごく楽しそうに話していて。こういう文明の利器がもたらされたことで、これまでやりとりが難しかった遠くの家族や知り合いともつながりを保てるようになったのは、良い変化だったのかなと思います。
最果ての僧院、プクタル・ゴンパの幻の祭礼
山本:プクタル・ゴンパは15、6世紀くらいに創建された僧院で、今は60人くらいの僧侶の方が所属されています。そのうちの半数以上は、小坊主さんたちなんですよ。ここにはそれまで何度かきたことがあったんですが、冬に来てあらためて、ここでこんな風にして修行しながら過ごしている人たちがいるんだ、と胸を打たれましたね。
山本:プクタル・グストルは二日間にわたって行なわれるんですが、稲葉さんが先ほど見せてくださったような仮面舞踊の儀式は、ここでは行なわれません。基本的に、主な僧侶の方々がずっと読経を続けていました。1日目の夕方に、近隣の村の人たちが、ヤクと、羊と、ヤギを連れてきて、この僧院で飼っている犬と一緒に、赤い染料を塗りつけるソルチェという儀式をします。この儀式をすると、これらの動物たちは守り神のような存在になるそうで、その後も使役とかに使わず、大切に飼われ続けるんだそうです。
山本:二日目の夕方には、最後の儀式が行われます。トルマと呼ばれる赤い三角錐のような形をしたお供え物を運び出して、その前で僧侶の方々が、盃に入れた赤い球と赤い液体を何度か宙に投じる、セルケムという儀式をします。それが終わると、僧院の外にトルマを運び出して、火に投じます。それで全員で「キキソソラーギャロー(神に勝利を)!」と叫んで、儀式は終わりになります。このお祭りには、近隣の村人たちも大勢参拝に来ていて、ご利益があるからとうれしそうにしていましたね。あと、お互いの近況報告やコミュニケーションの場にもなっていて、この僧院が、人々のかすがいになっている部分も大きいんだなと思いました。
山本:で、帰りもチャダルを歩いて帰ったんですが、ザンスカール川沿いにも、道路がどんどん伸びてきていました。氷の上を歩かなければならない区間は、昔は5日か6日かかる距離でしたが、今は地元の人の足だと2日で歩けてしまいます。5年か10年のうちには、完全に道がつながってしまうでしょう。そうなったら、何百年もの間受け継がれてきたチャダルという旅の伝統も、失われてしまうのかなと。
稲葉:それは、ちょっと寂しいですよね。
山本:悪いことばかりではないんですよね。道が通じることで、急病人を病院に運びやすくなったりしますし。でも、それによって失われてしまうかもしれない伝統や文化も間違いなくある。僕なりの目線でそれを記録しておきたかったのが、この旅の目的だったのかなと思います。
稲葉香(いなば・かおり)
1973年、大阪府東大阪市生まれ(現在、千早赤阪村在住)。ヒマラヤに通う美容師。ヒマラヤでのトレッキング・登山を続ける。東南アジア、インド、ネパール、チベット、アラスカを放浪し、旅の延長で山と出会う。18歳でリウマチを発症。登山など到底不可能と思われたが、同じ病気で僧侶・探検家の河口慧海(1866~1945)の存在を知り、彼のチベット足跡ルートに惚れ込み、2007年、西北ネパール登山隊の故・大西保氏の遠征参加をきっかけに西ネパールに通いはじめる。2020年植村直己冒険賞を受賞。2021年に初の著書『西ネパール・ヒマラヤ最奥の地を歩く ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)を上梓。
山本高樹(やまもと・たかき)
1969年生まれ。著述家・編集者・写真家。2007年から約1年半の間、インド北部の山岳地帯、ラダックとザンスカールに長期滞在して取材を敢行。以来、この地方での取材をライフワークとしながら、世界各地を飛び回る日々を送っている。著書『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』(雷鳥社)で第6回斎藤茂太賞を受賞。2021年に新刊『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』(産業編集センター)を上梓。
『西ネパール・ヒマラヤ最奥の地を歩く ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』
稲葉香 著 彩流社
『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』
山本高樹 著 雷鳥社
『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』
山本高樹 著 産業編集センター