地域に根づいたクラフトビールブルワリーを紹介するシリーズ。第21回は、山梨県甲府市に2012年にオープンしたアウトサイダーブルーイング。創業者のマーク・メイジャーさんに、ブルワリーと甲府にかける思いをインタビューした。
オーストラリアから甲府に移り住んで23年
アウトサイダーブルーイングの名は、クラフトビール好きの間ではよく知られている。このブルワリーで醸造技術を学んで巣立った若手ブルワーも少なくない。
JR中央線甲府駅から1キロ少々の繁華街のアーケードに、アウトサイダーブルーイングはある。1階がブルワリー。脇の階段を上って2階がビアパブHOPS & HERBSになっている。ここがクラフトビール好きが一度は訪れてみたいと思うビルである。
ブルワリーの創業者はマーク・メイジャーさん。オーストラリアから移住して23年になる甲府市民である。
1980年代、マークさんが高校生だったとき日本に遊びに来たことがある。このときホームステイした街が甲府だった。その後、1990年、マークさんはワーキングホリデーを利用して再び甲府へやってきた。高校時代に数週間過ごした甲府が気に入っていたのだ。ワーキングホリデーの期間が終わり、いったんはオーストリアに戻った。が、マークさんは日本へ戻ってきた。理由はいろいろだが、「日本人の彼女がオーストラリアで暮らすのは大変そうだし、仕事を見つけるのも大変だと思ったから」という理由が大きいようだ。
1998年、マークさんは甲府で暮らすことにした。英語教師の仕事をしながら、飲食店のオーナーの道をさぐる。2003年に、現在アウトサイダーブルーイングのあるビルから徒歩1分の場所に、バーTHE VAULTをオープンした。
オーストラリア人が営業するだけあって、その店には外国人のお客が多く訪れた。ビアバーではないが、ビールの種類も豊富だった。
「特にヨーロッパの人は、ビールの好みがみな違いますからね。アイルランド人のお客さんがギネスを飲みたいと言うから、ギネスも置きました。リクエストに応えて、瓶で50種類ぐらい、生で8種類ぐらいありますよ」
これだけ揃えたビアバーは都心でも少ない。ビールファンにはたまらないバーだろう。
甲府の街の真ん中にブルーパブを
2010年ごろのこと。THE VAULTの常連の日本人のビールファンがこんな話をした。
「発泡酒の免許なら取りやすいから、マークさん、ビールを造ったらどう?」
そのとき、山梨の中心である甲府にクラフトビールはない。まだ日本にクラフトビールの波が来る前の時代だ。実はこの頃のマークさんは、一滴もビールを飲まないオーストラリア人だった。それでも、
「いいアイデアだと思いましたね。THE VAULTにはたくさんの種類のビールを置いていたから、ぼくからもお客さんにいいビールをおすすめできるようになりたいし、それにバーを営業しているだけでは成長がないと感じていたので、新しいことにチャレンジすることにしました」
マークさんがビールを一滴も飲まないのは、飲めないのではなく、好きな酒がウォッカやジンなどのハードリカーだから。しかしマークさんはそれからビールを飲む練習を始め、醸造方法や醸造設備について猛勉強を始めた。飲みやすいと聞いたベルギービールから飲み始め、「飲みつづけていたら好きになりました」と笑う。
それにしても、もともと好きではないビールのブルワリーを始めるには相当な覚悟が必要だっただろう。
「ぼくが大人になって来たときの甲府は、めちゃくちゃ楽しい街だった。バブルは終わっていたけれど、まだまだ街は賑わっていました。それと比べると2010年ごろの甲府は店の数は半分、夜街を歩く人は昔の2割ぐらいじゃないかな。何とか賑わいを取り戻したかった。ふつうのバーをやっているだけじゃ、そんなに話題にならないけれど、クラフトビールを造れば、ビールファンには話題になるでしょう?県外からもお客さんが来るでしょう?そうしたら一泊して、次の日ランチも食べるし、おみやげも買うでしょう。そうやって甲府でお金使ってもらえば、少しでも甲府に元気が戻るかなと思ったんですよ」
甲府の街中であることが重要だった。山梨県には当時もいくつかクラフトビールのブルワリーがあったが、それは清里や八ヶ岳などの観光地にあった。
「日本ではビールは仕事帰りに一杯、飲むものですよね。観光地じゃ平日に飲めません。街の中で仕事帰りにクラフトビールが飲める場所が、山梨にはなかった。甲府はサラリーマンが多い、出張の人も多い、だから甲府の街の中心にブルーパブがあるといいい。それでTHE VAULTの近くにアウトサイダーブルーイングをつくりました。1軒目にここで飲んでもらって、2軒目にTHE VAULTに来てくれれば商売的にもいいでしょ(笑)」
中古の醸造設備を割安で仕入れられることになり、資金繰りもメドが立ち、2012年、アウトサイダーブルーイングが誕生した。
このとき醸造家の求人に応募してきたのが、名ブルワーとして知られる丹羽智さんだった。丹羽さんがその前に務めていたブルワリーが前年の東日本大震災で被災したことも、この巡り合わせの遠因になっている。
醸造技術はもちろん、設備の調整やメンテナンスなどのスキルも有する丹羽醸造長の造るビールが、その後、日本のクラフトビールをリードしていく。
ハイレベルのビールを造りつづけるために
現在、醸造長は丹羽さんから小林桃子さんに引き継がれている。小林さんはもともとアウトサイダーブルーイングの2階のビアパブHOPS & HERBSのアルバイトだった。ビールが好きで、もっぱら大手のラガービールを愛好していたが、クラフトビールの奥深い世界にじわじわハマり、丹羽さんの手伝いをするうちに自分も醸造家になっていた。
「桃ちゃん(小林さん)が季節限定で造ったビールがすごくおいしかったからね。任せて大丈夫だと思いました」とマークさん。彼自身はビールづくりに直接関与はしない。レシピは醸造家に任せている。
毎年、国内外のビールコンペティションに出品するのもアウトサイダーブルーイングの特徴だ。その理由を「質の高いビールを造りつづけるためには、日本国内の評価だけでなく海外の評価が必要。アウトサイダーブルーイングはつねに高いレベルのブルワリーでありたい。最近、日本でもいろんなビアスタイルのハイブリッドビールの人気が高まっています。それもいいですけど、うちはベースのビールの質を追求したい」からだとマークさんは語る。
コロナ禍の影響で中止になってしまったが、日本のBeer1グランプリ、ジャパンブルワーズカップには毎年出品している。2年前にはオーストラリア・インターナショナル・ビア・アワードに出品、銀賞を受賞している。
昨年、コロナ禍がここまで深刻化する前、記者は醸造長の小林桃子さんにインタビューしことがある。そのとき小林さんはこう話していた。「ビールを2〜3年造っていると、目立つビールを造りたくなるときもあります。でも私は毎日飲んで、毎日“わあ、おいしい”と思えるビールを造りたいんです。毎日飲みたくなるビールって、すごいなあって思うから」
アウトサイダーブルーイングが生まれて今年で10年目になる。オープン当初を振り返って、甲府の街はどう変わっただろうか? ビアパブの評判は?マークさんはこう答える。
「10年前と比べると甲府の街はそんなに変わっていないようです。元気になったかと言えばそうでもない」
マークさんは外国人の壁も感じている。新しい店舗を探しても、外国人であることを理由に断られることがあるという。商店会の活動にも距離を置いている。
しかし最近、他社とのコラボレーションする機会が増えている。山梨県には八ヶ岳や清里、河口湖といった観光地に構えるブルワリーがあり、みなが集まる打ち合わせは山梨の中心地、甲府のアウトサイダーブルーイングなのだという。今年予定していた甲府クラフトビール祭りは、コロナ禍で中止になってしまったが、4社でコラボビールを造り、販売している。
アウトサイダーブルーイングと同じアーケード街にあるヴィーガンレストランのイベントにも参加している。「自分たちで主催してやれば思ったことができるし、上がりもいい」と、これからも機会があればどんどんつづけていく予定だと話す。
マークさんが甲府に暮らして23年が経つ。街は思い描いたような姿にはなっていない。それでもマークさんはずっとここでアウトサイダーブルーイングをつづけたいと話す。なぜ甲府で?あらためて尋ねると、
「もちろん今は家族がいるしね。それに、ぼくがオーストラリアに住んでいたら、ブルワリーを経営するなんて絶対、無理だったと思う。それがこの街でできたんだから。その感謝の気持ちもあるかな」
クラフトビール人気は、ビールがラガータイプだけでなく、たくさんのスタイルがあり、地域や作り手によってさまざまな味わいがあることの素晴らしさを示している。多様性が新たなおいしさにつながる。甲府の街の中心のアウトサイダーブルーイングにこれからも注目だ。
アウトサイダーブルーイング 山梨県甲府市中央1-1-5 https://outsiderbrewing.com
撮影(アウトサイダーブルーイング、Hops&Herbs)/山本智