近年、GWなどのレジャーシーズンになると目にとまるニュースがあります。連泊するキャンピングカー、あふれる生活ゴミ、駐車場で野外調理を始める人など「道の駅」での車中泊マナー問題です。
ここには「道の駅で車中泊をすること」と「道の駅でマナー違反をすること」の2つの問題が混在しています。また「車中泊」という言葉で私たちがイメージするものが、職業ドライバーからバンライファー、たまたま夜に立ち寄った旅行者まで幅広いための混同・混乱もあるように思います。
どこまでならOKなのか、絶対的な正解はありませんが、今回はみなさんと一緒に考えたいと思います。
「道の駅」での車中泊は可能か?国土交通省の見解は…
よく引用される見解に、国土交通省のQ&Aがあります。
「道の駅」駐車場での車中泊は可能ですか?
という質問に対して、同省はこう回答しています。
《「道の駅」は休憩施設であるため、駐車場など公共空間で宿泊目的の利用はご遠慮いただいています。もちろん、「道の駅」は、ドライバーなど皆さんが交通事故防止のため24時間無料で利用できる休憩施設であるので、施設で仮眠していただくことはかまいません。》
引用元:国土交通省「道の相談室」(https://www.mlit.go.jp/road/soudan/soudan_03_04.html)
仮眠はOK、宿泊目的はNG……それっていったいどういう意味でしょう?
仮眠と仮眠ではない睡眠の違いはなんでしょうか?
少々曖昧さの残る表現で、これこそが線引きの難しい問題であることの証左ともいえそうです。
なぜ曖昧になるのか
みなさんは「車中泊」と聞いて、どんな滞在の仕方が浮かぶでしょうか?
商標登録についてはここでは取り上げませんが、日常語としての私のイメージでは、車に寝泊まりしながらの旅行、いわゆるレジャーとして車内で夜を過ごすことが浮かびます。
たとえば「車中泊モデルコース」といえば、車中泊地を拠点とした観光やアクティビティのこと、という具合です。
しかし文脈によっては、車上生活者の生活を指して「車中泊」という言葉を用いることもあるかもしれません。あるいは、「車中泊」がトラックドライバーが業務上に仮眠することや、あくまで目的地へ向かう道中の一時的な立ち寄り休憩を意味する場合もあるでしょう。
「車中泊」とは何か?
乗っている車によっても違うかもしれません。たとえば普通自動車では、シートを倒して休むのは仮眠と呼べそうですが、キャンピングカーは「就寝設備を車室内に有すること」が構造要件なので、就寝という機能をもっています。
キャンピングカーユーザーの私は寝具を持ち込み、ときには何週間も車に寝泊まりしますから、仮眠ではなく本格的な睡眠をとっています。睡眠の前後には食事をしたり、パソコンをいじったり、くつろいだりといった行動も伴います。「前後の一定時間の滞在を含めて車中泊と呼んでいる」といえるでしょう。
つまり同じ「車中泊」あるいは「車で寝る」という言葉からイメージするものが、人によって異なるという大前提がありそうです。
ここに「そもそも車中泊とは仮寝・仮眠のことだから、道の駅での車中泊はなんら問題ない」という解釈から、「公共の駐車場である道の駅に車中泊で長逗留するなんて迷惑」という解釈まで、さまざまな意見の相違が生じるように思います。
上述の国土交通省のQ&A(「道の駅」駐車場での車中泊は可能ですか?)でも、質問者がなにをイメージして「車中泊」と呼んでいるのか、「車中泊」の意味する内容は何なのか、この質問文面だけではわからない、という見方もできます。
仮眠や休憩はOK
道の駅は道路利用者のための休憩施設なので、仮眠や休憩は確実にOKといえるでしょう。たとえば運転中に疲れたときや、悪天候のとき、視界が悪くなったときなど、それが夜であれ朝であれ車内で休むことはなんら問題ありません。結果的に車中泊になっているだけです。
ですので、施設管理者による「車中泊禁止」といった制限は、そもそも意味をなさないという考え方があります。休憩施設なのに休憩禁止といっているようなものだからです。
一方で、国道交通省の回答から感じられるのは「いくらでもご自由に」というニュアンスでもありません。
では、どこからが「仮眠や休憩」を超えた滞在になるのでしょうか。ここからは私の見解になりますので、一緒に考えていただければ幸いです。
長時間駐車が問題になる場面
問題のひとつは「長時間駐車」ではないでしょうか。
道の駅は休憩機能だけでなく、情報発信機能、地域連携機能も兼ね備えています。長時間駐車をする車がいることで、食事、入浴、買い物、トイレなどの利用者の駐車スペースが減ってしまいます。
車中泊と長時間駐車はイコールではないですが、前夜からずっと停めている、トレーラーを置いて不在になっているなどのケースは、長時間駐車といってよいかもしれません。
とくに私のようなキャンピングカーユーザーは、その気になれば何週間でも同じ場所に留まることができます。ましてや家のように暮らすとなれば、たとえ居場所が自分の車であったとしても、「休憩の範囲を超えている」といえるでしょう。
施設からすれば営業機会を奪われるだけでなく、ほかの利用者から「停められない」とクレームを受けることもあるはずです。路上駐車や入場待ちの渋滞など、近隣の道路事情の悪化にもつながります。
マナー違反が問題になる場面
もうひとつの大きな問題はマナー違反。
これは車中泊に限らず、キャンピングカーでも普通車でも日帰り利用でも起こり得るのですが、道の駅に「生活を持ち込む」と、マナー違反が起きやすくなるといえそうです。
たとえば生活をしていると雑多なゴミが出ます。ある日の私のゴミ袋の中身は、レトルトパウチの空き袋、掃除用ウェットシート、空の歯みがきチューブ、コーヒーかす、ポータブルトイレで固めた排泄物、といった具合……。
これらすべてを道の駅で捨てたりしたら……迷惑行為以外のなにものでもありません。
また、トイレで給排水したり、洗面所で食器洗いをしたり、衣類を洗ったりするのもマナー違反といえるでしょう。
たとえ自分の駐車スペース内であっても、イスやテーブルを広げるキャンプ行為も目的外使用です。中には火気厳禁の駐車場で、野外調理を始める人もいるのだとか!
本来、車中泊とマナー違反は別問題。車中泊についてはさまざまな立場がありますが、公共施設である道の駅で迷惑行為をしてはいけない、という点に異論はないかと思います。
インフラのフリーライド?
迷惑行為をしないのは当然としても、すいている道の駅だったり、利用する道の駅を毎日変えれば連日滞在してもよいのでしょうか?
これについては、もうひとつ別の視点からの批判があります。
道の駅の駐車場やトイレは無料で利用できますが、実際の維持管理には費用がかかっています。公共のインフラの恩恵を、特定の人ばかり享受してよいのか、という意見です。
本来どこでだれが何泊したか、などという事実は知りようもないことですが、だれもがインターネットで情報発信できる社会になったことで、議論が起きやすくなっている側面もあるかもしれません。
ルールというよりは心証の部分なので難しいですが、バンライファーや長期旅行者には、より厳しい視線が向けられているといっていいでしょう。
実際には施設で買い物をするなど返礼を心がけている人も多いと思いますが、インターネット上では「インフラのフリーライド」「タダ乗り」といった声も目にします。
多くの車中泊ファンは、施設から離れた第2駐車場をあえて使うことや、連泊しないこと、混雑前に立ち去ること、施設で食事や買い物をすることなど、迷惑にならない使い方を模索しています。「ホテルではない」と肝に銘じている人も多いでしょう。
しかし車中泊をしないユーザーの中には、迷惑行為のイメージから「そもそも公共駐車場での車中泊自体が非常識」と不快に思う人もいると感じます。
気持ちよく利用するために
国土交通省の見解、各所で見聞きする自動車ユーザーの意見、そして私の考えをまとめると、次のようになるかと思います。
- 仮眠、休憩目的の滞在は(夜間であっても)問題ない
- 休憩の範囲を超える長時間の滞在は望ましくない
- 車中泊問題とは別にマナー問題がある。マナーを守り、常識的な利用を心がけるべき
とはいえ「長時間とは何時間のことか」「明日は○○の道の駅に泊まろう、と旅のスケジュールに入れてはいけないのか」など未解決の疑問は山積みです。「すっきりしない」という本文最初の状態に戻ってしまいました。
「いっそのこと決めてくれ!」といいたくなってしまいますが、私はこのグレーゾーンがとても大切だと思っています。個人の想像力やモラルに期待する、不文律の部分です。
たとえば「休憩とは何時間」などのルールを決めても、人によって疲労回復の度合いは違います。いつも満車で混雑する道の駅と、広大な敷地を有する地方の道の駅でも事情が違うでしょう。
逆にどんな利用の仕方が迷惑となるのか、最後に日本RV協会が提言している「公共駐車場でのマナー厳守10ヵ条」をご紹介します。
公共駐車場でのマナー厳守10ヵ条
- 長期滞在を行わない
- キャンプ行為は行わない
- 許可なく公共の電源を使用しない
- ゴミの不当投棄はしない
- トイレ処理は控える
- グレータンクの排水は行わない
- 発電機の使用には注意を払う
- オフ会の待ち合わせは慎重に
- 車椅子マークの所に駐車しない
- 無駄なアイドリングをしない
【出典】日本RV協会「マナー・ごみ問題-マナー厳守への呼びかけ」 https://www.jrva.com/camping/manner/
どれも当たり前のように思えますが、たとえばゴミの項目では「旅行中や移動中に発生した生活ゴミは、ゴミ箱があっても投棄することはやめましょう」など、ハッとする内容も。
私を含め、とかく人は自分の行動を甘く評価して「これくらいはいいだろう」と思いがちです。そして実際に、たいした実害のない場面が多いはずです。
しかし、ひとりひとりの影響力は微々たるものでも、「全員がこれをやったらどうなるか」という想像力が求められる時代なのだと思います。