富士山を背景に 秘密のチルアウトスペース
沼津市・西浦という街から離れた集落の海沿い。真っ青で美しい富士山をバックに、とても味のある古いバスが停まっている。名前は「The Old Bus」。予約制で営業しているチルアウトスペースだ。
今回は、絶景を楽しめる、古いバスを改装したこのBarを紹介したいと思う。
このバスは、もともと横浜で30年間Barとして使われていたもので、車内もそれ用に改装されている。Barも常連さんたちに長く愛されていた存在だった。
しかし2018年3月、バスを置いていた施設が閉鎖。新たな移動場所を探すも見つからず、当時のマスターは、「残念だがスクラップするしかない」と諦めていたそう。
そこで、常連客でもあった舛本夫妻(佳奈子さんと弘毅さん)が「このバスは私にとって世界遺産。皆に愛された場所を無くしてしまってはいけない!」とバスを引き継ぐことを決意。
新しい場所を探し求めて、たくさんの人たちの暖かい手助けを得ることができ、さまざまなご縁が繋がり、遠い横浜からはるばる、この地にたどり着いたのだ。
「そんなボロバス、もうやめなよ」
舛本夫妻はこのバスを引き継ぐと決めてから、いろんな人に相談した。
しかし多くの人が口を揃えて、「こんなボロバス、もうやめなよ」「どうしてもお店をやりたいなら、新しくバスを買いなよ」と答えたそう。
ご縁があり、やっとのことで沼津市・西浦にたどり着いてからも、大家さんには「こんな車通りの少ないところじゃ商売にならないよ。やめといたら」と心配された。
地元の人にも「海も近いし、潮風も直に当たるし、バスがもっとボロボロになるよ」とも言われた。
それでも舛本ご夫妻は「だからこその魅力がある」と信じ、「The Old Bus」として新たな再出発を目指した。なぜなら、2人の今までの人生経験からくる確信的な自信があったからだ。
大量生産・大量消費へのアンチテーゼを愉しく表現
佳奈子さんは、小さい頃からものづくりが好きで、あるものにちょっと手を加えてオリジナリティを出したり、自分好みのものを作ったりしていたそう。
そのうち住む家のDIYにハマるようになり、お金を使わなくても手に入るもので工夫することが、クリエイティブな遊びのようになった。それは、大量生産・大量消費へのアンチテーゼを自分なりに愉しく表現する方法でもあった。
バックパッカーの旅も好きで、いかにお金をかけずに楽しんでやりくりするか考えることも多かった。その経験から「お金に頼らない=お金に縛られない」ことを増やすと、自由度と豊かさが増すと感じるようになったそう。
また、社会人になってリノベーション会社に就職し、そこでのリノベーションの師匠との出会いが、その想いを加速させた。
反骨精神とエンターテイメントと
弘毅さんは、「まだ使えるものをもったいないと思うのは、姉が4人いて、子どもの頃はお下がりをよく使っていたからかもしれません。ランドセルはさすがに黒かったですが、絵の具入れや書道道具は赤い箱でした(笑)」と教えてくれる。
商品廃棄のニュースや、豊作の野菜を値崩れ防止のために市場に出さず捨ててしまうといった話を聞いて、もったいないな、とずっと思っていたそう。
金銭面や物質面でもったいないと思う気持ちは今でも持っているが、歳を重ねるにつれ、古いものの良さや味わい深さ、情緒なども感じるようになってきた。
「人が不要だと思うものをうまく利用したいというのは、負けず嫌いというか、ある種の反骨精神もありそうです。また、おもしろく使うのを見せて、驚かせたいというようなエンターテイメントの要素もありますね」
西浦にたどり着いたばかりの頃のバスはボロボロだったが、屋根やボディの穴埋め・防水や防錆の塗装・床と壁を剥がして新たに木材で作り直した。
地元の工務店さんから余った廃材をゆずりうけたり、みかん農家さんが使わなくなった保管用のみかんの木箱を利用して本棚を作ったり……。もちろん自分たちで、全て手作業、ひとつずつ、愛を込めて。見る見るうちに、魅力的に生まれ変わっていったのだった。
こうして「The Old Bus」は、無事2018年12月にオープンすることができた。
みんなが価値がないと思っているものに、価値を吹き込む
舛本夫妻が新たな価値を吹き込んだのは、「The Old Bus」だけではない。
ここ西浦は柑橘類の産地で、みかんが有名だが、実はレモンも山にたくさんなっている。地元の人たちは収穫して出荷する農産物としてみかんばかりを重要視するが、レモンなどのみかん以外の柑橘は「無駄なもの」として、あまり見向きもしないのだとか。
そこに注目したのが、佳奈子さん。手をかけられず自然に育ったレモンは、農薬を使わず皮まで食べることができて、とてもおいしい。
さらに「The Old Bus」の目の前には、美しい駿河湾が広がっている。富士山の湧水と駿河湾の深海が合わさって、ミネラルバランスが良くおいしい塩が出来ると聞き、さっそく自分たちで作ってみることに。
自分たちで拾ったり、みかん農家から剪定木をもらったりして薪を集め、土鍋でじっくり炊き上げ、自然のパワーが詰まったお塩が出来上がった。事前の予約が必要だが、海水を汲んで塩作り体験も可能だそうだ。
その野生のレモンと手作り塩でつくったドリンクが、「自家製塩のソルティードック風レモネード」。塩味と甘さと酸っぱさの加減が絶妙で、とてもおいしかった。
このように、地域の中では価値がないとされていたものに新たに価値を吹き込む工夫が、ドリンクメニューの中にも見受けられた。
また、「The Old Bus」には、おがくずを使用したコンポストトイレが併設されている。
このコンポストトイレで集めたものは、今後畑の肥料として活用していくそうだ。筆者は初めて使用したが、地球に良いことをしている気分になり、とてもハッピーになった!
「来てよかった」「ほっとする」「癒された」そんな場所に
窓から聞こえてくる波の音に耳を傾けながら、とても心地よくのんびり過ごしていたら、あっという間に取材時間は過ぎてしまった。
実はここは車で多少の距離はあるものの、筆者自身の地元の地域に含まれる。最初「The Old Bus」の存在を知ったとき、「とても素敵な場所ができている!!」と嬉しくなった反面、「やっていけているのかな?」など西浦の人たちと同じような心配ごとは頭をよぎった。
しかし舛本夫妻は、地元の人が当たり前に思っている風景が実は当たり前ではなく、とても美しいものであることと、地元の人が気付くことのできない新鮮な視点をたくさん教えてくれた。それが、とてもうれしかった。
未来の保証がない世の中だからこそ好きなことを
地元の環境に寄り添ってつくられた「The Old Bus」は、 かけがえのない憩いの場となっている。西浦にやってきた当初、大家さんや地元の人たちには「やってけないよ」と心配されていたが、今では口コミが広がり、人伝えでお客さんは増えてきているそうだ。
とはいえ、街中でお店を開くほどには集客も見込めず、売上も上がらないのも事実。しかし、地域で埋もれている資源を活用したり、補修や改装を自分たちの手で行なったりすることで、支出を減らし、心豊かに暮らしている。
ただお金を稼ぐためだけに「The Old Bus」をしているわけではなく、いつ、何が起こるかわからない、未来の保証がない世の中だからこそ、自分たちの好きなことを、好きな場所で、好きな人たちとやっていけたらいい、という想いで日々運営している。
「私たちがやっていることに共感してくれる人と出逢えたり、関わる人と精神的に豊かに暮らしていけるといいなあ、と思っています」と、佳奈子さんは教えてくれた。
そうだ、キャンプ場をつくろう!
「The Old Bus」を始めて、とても嬉しかったことがあるのだそう。それは、もともとバスを使っていたマスター南さんと常連さんたちが、横浜から来てくださったこと。「僕たちの青春を残してくれて、ありがとう!!」と、とても喜んでくださったそうだ。
しかし、遠く横浜から訪れる常連客は、車で来るので、昔のようにお酒が飲めない。……そういえば、道を挟んで向かいにあるかつての海の家の裏山は、昔はキャンプ場だったらしい。
それなら、キャンプ場をつくって宿泊できるようにすればいいじゃないか!
ということで、そこを整備。2021年に「森のキャンプベース」として新たに予約制1日1組のキャンプ場をオープンさせた。
キャンプ好きだからではなく、キャンプブームだからでもなく、そこに土地があったから作ってみた。その発想が、本当に素敵だと思った。
弘毅さんは、大学・大学院時代に「バイオレメディエーション(微生物や植物を利用して、土壌や地下水の汚染を修復する技術)」を専攻しており、キャンプ場は土壌づくりから始めている。
キャンプ場づくりのお話も、とても興味深いことばかりだった。そして、それはとても長くなりそうなので、次回にじっくりご紹介したいと思う。
The Old Bus
HP: theoldbus.net / Instagram : @theoldbus
Access :
伊豆半島の付け根に位置する沼津市西浦の、駿河湾越しに富士山を望む場所にあります。
[お車でお越しの場合]
番地がありませんので、Google Mapをご覧いただくか沼津市西浦久料の「若松海水浴場」バス停を目指してお越し下さい。伊豆縦貫自動車道「長岡IC」から約20分駐車場は敷地内に6台(予約制)です。
[公共交通機関でお越しの場合]
沼津駅南口より東海バス「江梨」行きに乗り約1時間「若松海水浴場」で下車してバス停目の前です。バスは1日12本(休日ダイヤは10本)ですのでご注意ください。