地域に根づいたクラフトビールブルワリーを紹介するシリーズ。その第26回は、長野県松本市で最初のクラフトビールを立ち上げた松本ブルワリー。観光地のど真ん中に2つの直営店をもつ。代表の林幸一さんにインタビューした。
観光地の真ん中に2つの直営店
北アルプスの玄関口。安曇野、上高地へ向かう前のワンストップ。松本駅から徒歩で行ける松本城。その手前、観光客がそぞろ歩く中町通りに、松本ブルワリーのTAPルーム中町店がある。
小さな店構え。中にはこれまた小さなカウンター。フラッと入って、カウンターで近辺の情報を仕入れるにはうってつけの店だ。
中町店から歩いて5分。やはり松本城に通じる本町通りに、信濃毎日新聞社の本社が入る信毎メディアガーデンがある。まだ新しいオシャレなビル3階にも直営店、松本ブルワリーTAPルーム本町店がある。こちらはガラス張りのカフェ風だ。天気がよければ、テラスから北アルプスの峰々が見晴らせる絶好のロケーションに建っている。
松本ブルワリーは2016年に設立された。創業からわずか5年で、これほど好条件の目抜き通りに2店も直営店を持っているブルワリーはめずらしい。地域の有力会社などが親会社についているわけではない。資本金が7900万円という額も、独立系クラフトビールとしては大きい。代表の林幸一さんは言う。
「ウチは少し特殊からもしれません。ビールの7割は地元で消費されています」
だから、あまり都市部でこのラベルにお目にかからないのか。それにしても、なぜ、創業5年余で、それほど地域で消費されるクラフトビールができたのだろうか。
松本のビアフェスに松本発のビールがない!
松本ブルワリー創業のきっかけは、2013年の夏にさかのぼる。松本では1992年から、セイジ・オザワ・松本フェスティバル(旧称サイトウ・キネン・フェスティバル松本)というクラシックの音楽祭が開かれている。
その2013年の最終日。高いチケットを買って来てくれる遠方からのお客さんに、信州のおいしいお酒をふるまってコンサートを楽しんでもらおうという粋な計らいで、信州のワインやビールなどが会場で提供されることになった。そのとき、市内でバーを経営している林さんに、長年フェスティバルをボランティアで支えていた地元の老舗酒販店の福澤崇浩さんが声をかけた。松本のオリジナルカクテルを提供したい、バーテンダーの腕を貸してくれないかと。林さんは喜んで協力した。
そして最終日のその日、林さんが会場で目にしたのは、信州産のクラフトビールの前にできた長蛇の列だった。「地ビールってやっぱり人気があるんだな」。
2013年というと、地ビールからクラフトビールへ、飲む人の認識が変わり始めたころ。全国各地でビアフェスが開かれ、話題を集めるようになっていた。
松本出身の林さんは、ホテルマン時代を経て、24年前から松本でバーを経営している。街の活性化には協力を惜しまない。有志が集まり、翌2014年、松本城公園で「ビアフェス信州2014 クラフトビールフェスティバルin松本」を開催した。
参加したのは県内のブルワリー。ヤッホーブルーイング、志賀高原ビール、南信州ビール、オラホビールなどなど。4日間で7キロリットルのビールが飲まれた。大盛況の大成功だった。が、しかし。
「松本のビールはないんですか?」
多くのお客さんから何度もこう聞かれた。ビアフェスは成功したが、「心にぽっかり穴が空いたようなむなしさが残った」と林さん。
「ないなら作ろう」。有志が集まり、松本ブルワリーを設立した。「とにかく会社をつくれば前に進むしかない」と。やるからには高品質なビールが安定して製造できる設備が必要と、株主を募った。それが先述の資本金につながる。ビールで地元を盛り上げたいという趣旨への賛同、期待の高さがうかがえる。
松本ブルワリーはこのように初めから地域を盛り上げることをミッションに設立されたブルワリーだ。設立後は、地元の企業や店を巻き込んだ企画を積極的に仕掛けていった。
カレーの食べ歩きを楽しむ「松本カレーラリー」に参加し、「INDIA MASALA ALE」を共同開発。インドカレーとビールという、むずかしいペアリングに挑戦している。昨年は松本市が管理する湧き水を使ってビールを仕込んだ。目を引くのが、松本のアウトドア用品メーカーのゼインアーツと共同開発した「アウトドア ペールエール カンパイ&タキビ」だ。2021年8月にリリースした。
松本ブルワリーは2018年に松本駅から南側へ5キロほど、野溝西にあった倉庫跡地にブルワリーを竣工した。
「夏の醸造所祭りは、ゼインアーツさんからテントやタープを借り、アウトドアの雰囲気も楽しみながらビールを味わってもらいました。そうした縁もあってコラボビールが実現しました」と林さん。
コロナ禍明けを見据えアウトドアイベントを進行中
松本ブルワリーのTAPルームで出会い、結婚したカップルがいる。二十歳になった子を連れて「成人初めの一杯」を乾杯していく親子がいる。また、会社の創立記念の引き出物に松本ブルワリーを選ぶ会社もある。直営店やイベントを通して、着々と松本ブルワリーのビールは地元に根づいていった。しかしこの2年はコロナ禍で、こうしたイベントは行なうことはできないし、直営店の営業もきわめて制限されている。
2020年夏、コロナ禍の影響でビールが出荷できなくなった。このままでは廃棄せざるをえなくなるビールを例外的に、値下げして売り出したところ、「マツブルさんを助けよう」とばかりに何千本もが一気に売れた。
「おかげさまで窮地を救われました」
地元にやっと生まれたクラフトビールを支えたい。そんな地元の気持ちが伝わってくるエピソードだ。
「コロナ禍以降、私たちは受け身にならざるを得ない状況でしか仕事ができません。この間、松本のアウトドアの魅力、自然と文化都市としての魅力を発信していきたい」
雌伏とも言えるコロナ禍期間、林さんは松本のアウトドアの魅力を多くの人に発信しようと、地元の柳沢林業が2021年から運営を始めた松本市美鈴湖もりの国オートキャンプ場のイベントへの参加を決めている。
「この素晴らしいロケーションをたくさんの人に見に来てもらいたい。焚き火やキャンプをしながらビールを飲む、本当に最高の場所だと思っています。地元の人が楽しんでいる姿が、外の人へのいちばんのアピールになります。アウトドア好きの方たちにどんどんアピールして、ゆくゆくは松本に住んでもらえればうれしいです」
松本への移住を促進する。そこまで考えての取り組みだ。一瞬、市の移住促進課の人かと思うほど、林さんは熱心に説明してくれた。いつ明けるのかわからないコロナ禍が続くが、林さんはその先を見据えている。
「クラフトビールはスタイルの多様性が魅力ですが、飲む場所が増えるほど楽しみも広がります。タップルーム、アウトドア、キャンプ場、飲む場所が変わると味わいも変わりますよね。まずは今年、松本城公園に長野県中のクラフトビールを集めて乾杯したいですね!」
それはクラフトファンの願いでもある。クラフトビールのブルワリーが、アウトドアを楽しくしてくれる。アウトドアで飲むビールがローカルな魅力にあふれていたら最高だ。
松本ブルワリー 長野県松本市中央3-4-21 https://matsu-brew.com