メスティンは英語で、日本語に訳すと「食事・缶」→「飯盒(メシ・はこ)」とは知りませんでした。
ゆがんだ楕円形で、縦長の取っ手と蓋(外蓋と中蓋)のついたバケツ型の調理具兼食器。(実際、軍隊ではバケツとして使われた事もあるようです) ホームセンターのアウトドアコーナーや専門店で、様々な調理器具の隅に必ずある「兵式飯盒」といわれるものです。
元々「飯盒(メスティン)」は19世紀後半にアルミ製品が工業製品として流通するようになると、軽くて壊れにくい「運んで食べるための食器」として、軍隊用に作られたとのこと。その為「兵式飯盒」の名前があります。
発祥地のヨーロッパでは、食器的な扱いがメイン。調理具としてはお湯を沸かしたり、スープを温める程度。「ご飯を炊く」、「何かを煮込む」といった利用法は日本独自として発展したようです。物資不足の日本陸軍の「現地調達・現地調理」ならではの話ですが(軍隊的にはあまりよくないようです)。
そんな飯盒ですが、小学校の林間学校等で「飯盒炊飯」の経験がある人もいるはずです。私自身は小学校の飯盒炊飯の記憶はなく、父親と行った登山キャンプが「飯盒」の一番古い記憶です。
ガソリンバーナーの上で炊いたご飯に「さんまの蒲焼の缶詰」をのせた朝ご飯。残ったご飯をおにぎりにして、そのまま飯盒に入れてザックに括り付けお弁当に。そんなメニューだったと思います。まさに太平洋戦争中の日本陸軍の食事。
その後、少し飯盒とは離れていましたが・・・。
社会人になりバイクツーリング(原付)をするようになると、テント泊の夕飯はレトルトのホワイトシチュー(今はあまり見かけませんが)を飯盒で温め、クラッカーと一緒に。これはまさに世界大戦時のヨーロッパの軍隊の食事? 当時、レトルトのシチューは無かったと思いますが。
最近の日帰り(前夜出発)釣行やドライブでは、カップ麺やインスタント味噌汁のお湯をわかしたり、ラップ代わりに耐熱ビニール袋で包んだ「おにぎり」を湯煎して温めるくらい。本来の使い方?の炊飯に関しては、電気炊飯器が壊れた時に数回やっただけという状況。
20数年使っているにしては、あまりにも悲しいほど少ないレパートリーです。しかし、ふと考えてみたら、自宅で普通に「調理器具」として使っていました。主に麺類を茹でる「小さな寸胴鍋」として。吹きこぼれしずらく、長い麺も茹でやすく便利だったので。
飯盒で麺を茹で、麺が茹で上がる3分ほど前にレトルトのソースをパウチごと麺の中に。茹で上がったら、湯切りをしてソースを和えれば出来上がり。一応食べれるのですが・・・。これではカップ麺を食べるのと同じですね。ちょっと寂しい。
ということで、今回は「鶏肉と玉ねぎのナポリタン」を今回は飯盒一つだけで作れるか挑戦です。普段は、飯盒は麺を茹でるのにつかうだけですが、具材や麺を炒め合わせるのもフライパンでなく飯盒を使って。
用意したのは、スパゲティ(乾麺)、ナポリタンのレトルト(具を入れるので、なるべく具が少ない物→つまり、安い)、鳥の胸肉、タマネギ、オリーブオイル。
麺は飯盒本体で普通に茹でます。それと同時に(もしくは茹でた後に)外蓋で鳥の胸肉をオリーブオイルで「揚げ焼き」にします。麺は茹で上がって湯切りをした後は、軽くオリーブオイルを和えておくと、硬くならず麺同士もくっつかずに済みます。
具材は炒めればいいのですが、アルミの飯盒蓋で少ない油だと焦げ付いてしまいます。油を多めに入れて「揚げ焼き」に。一旦揚げ焼きにした胸肉は、内蓋に移しておきます。そして次はタマネギを揚げ焼きににします。
具材が用意出来たら麺の中に入れ、レトルトのソースと炒め合わせれば出来上がりです。
なんとかガスバーナーひとつで「すぱげてぃ」を作ることは出来ました。具材やソースを変えれば、まだまだ色々なメニューを作ることができそうです。具材の調理法も今回のような「揚げ焼き」だけでなく、麺と一緒に「茹でる」という方法も。
また今回はカセットガスバーナーでしたが、最近増えてた「焚き火台」でもできるかも。
まずは野外で実践。その後色々な調理法やメニューを楽しんでみたいと思います。
BE-PAL10月号付録の「肉専用トング」も使ってみました。
保冷剤を載せて蓋をすれば、夏場の移動先でも大丈夫そうです。
肉に火が通った確認するのに、トングのナイフ部分は便利でした。
※こちらの記事は過去の読者投稿によるものです。
青山ジュンさん
貧乏暇なしの勤め人です。暇を見つけてはあちこち出掛け、釣りや散策、キャンプを楽しんでます。