自動車ライター・金子浩久が過去の旅写真をひもときながら、クルマでしか行けないとっておきの旅へご案内します。クルマの旅は自由度が大きいので、あちこち訪れながら、さまざまな人や自然、モノなどに触れることができるのが魅力。今回の舞台は、北アフリカ・モロッコ第4の都市マラケシュとサハラ砂漠。旅の相棒は新型レンジローバー、ヒョンデ(現代自動車)のミニバン、そして砂漠で最強のあのSUVです。
マラケシュで体感したレンジローバーの卓越性
マラケシュには、二度訪れたことがある。
現行のレンジローバーのメディアイベントが北アフリカ・モロッコのマラケシュとエッサウィラをベースに行なわれ、ベルギーのブリュッセルで飛行機を乗り換えて東京から参加した。それが2012年11月のことだったから、もう10年近くも昔のことだ。
レンジローバーに限らず、ランドローバー社のメディアイベントでは、自社のクルマのオンオフを問わないオールマイティな走行性能をあらゆる状況を用意してメディアに試させる。
エッサウィラの海岸では波打ち際の重たい砂浜を、マラケシュでは町はずれを流れるテンシフト川の河原を新型レンジローバーで走った。
深い砂地や大きな岩が連続する斜面を、長い距離にわたって登り下りしたり、タイヤがすべて潜ってしまうほどの深さの瀬を渡ったりして悪路走破性の高さを試した。
併せて、オンロード性能も確かめることができた。マラケシュの南に位置しているアトラス山脈の急峻な山道をハイペースで駆け上がった。
モデルチェンジの目玉となる機能はいくつかあったが、ランドローバーが先鞭を付けた、路面に応じた電子制御システム「テレインレスポンス」が第2世代にアップデイトしたことに僕は注目した。
テレインレスポンスとは、路面に合わせた走行モードを選ぶことによって最適なスロットル特性やギア、4輪への駆動力配分、その他の電子制御などを統合してコントロールできる機能のことだ。
センターコンソールのシフトレバーの脇にあるロータリーノブで、5つの走行モードの中からひとつを選ぶ。
5つとは、オンロード、草と砂利と雪、泥と轍、砂、岩などだ。第2世代では、それらにオートモードが加わった。より使いやすく、確実に悪路を走破できるようになった。
テレインレスポンスがなかった時代のディスカバリーを運転したことがあるけれども、過酷な状況では、お手上げだった。
エキスパートの運転を見せてもらうと、千手観音のように両手両足を駆使し、最適のタイミングで最適の操作をして、難所を切り抜けていた。ひとつズレただけでスタックしてしまう。そうしたエキスパートによるオフロード走行の超絶テクニックと同等以上のものをすべて電子制御によって再現しているのがテレインレスポンスなのである。過酷であればあるほど、その魔法は効いてくる。
オンロード走行性能も一級品
悪路走破性能だけだったら、レンジローバーと変わらないクルマも他にある。だが、レンジローバーはそれに加えてオンロード、つまり舗装された一般道や高速道路などでの乗り心地や身のこなしなども素晴らしい。
猫科の動物が跳躍する時のように柔らかだったサスペンションも、舗装路でスピードを上げていくと自動的に引き締まり、フラットな姿勢を取り始める。テレインレスポンス2の効能だ。重厚でありながら繊細な乗り心地と静粛性の高さなどから、SUVとしては例外的な快適なクルマに仕上がっていた。
造形を研きに研き、装飾を削りに削ったインテリアも洗練を極め、大いに魅力的だった。個人的にSUVを必要とするようになったら第一候補にしたいし、他人にも大いに勧めた。
しかし、レンジローバーに大いに満足したこととは関係なく、マラケシュには大きな悔恨を残してきた。
レンジローバーではアトラス山脈の中腹部でUターンするかたちでマラケシュの町のホテルに戻ったのだが、その先のワルザザードの町やサハラ砂漠などにも脚を延ばしてみたかった。後ろ髪を引かれる思いだった。
マラケシュ再訪
思い続けていれば必ずいつか訪れることができるようで、チャンスは5年後にやってきた。パリ経由のマラケシュ行きフライトの往復チケットを2枚、ピタリと僕らの休暇に合わせて取ることができたのである。
5年ぶりに降り立ったマラケシュ・メナラ空港は建て替えられていて、純白の建物が輝いていた。マグレブスタイルのディテイルがあちこちに施されていて、エキゾチックで美しい。
予約してあるホテルのドライバーが迎えに来ているはずだから、僕らの名前が記された紙が掲げられているのを探したが、見当たらない。成田や羽田の何倍もあるような広い送迎ロビーには、100名以上の出迎えドライバーがA4サイズぐらいの紙にゲストの名前を記して立っている。万国共通の光景だ。
見落としているかもしれないので、もう一度回ってみた。いない。逆方向から回ってみても、見当たらない。その間に、無事にゲストを出迎えられたドライバーはゲストのスーツケースを引き擦りながらロビーから退出し、次々と駐車場に向かっていく。ロビーにはどんどん人がいなくなっていく。
「ムッシュは、どこのホテルに行くのか?」
ずっと探し回っているから、それを察したドライバーから話し掛けられる始末だ。
「ありがとう」
仕方がないのでホテルに電話した。
「迎えのドライバーが来ていない!? ソーリー、ソーリー。すぐに向かわせる」
ドライバーは空港のどこかにいて、予定を忘れていたらしく、すぐにやって来た。
ホテルはマラケシュの旧市街の中心にあるので、ジャマエルフナ広場の端でクルマを降り、歩いて向かった。
「リヤド」と呼ばれるホテルの形式は、庭付きの邸宅をホテルに造り換えたもので、モロッコ特有のもの。周囲を高い塀で囲われているので、広場や隣接するスークの喧騒から見事に隔絶されている。静かで、庭には緑があふれ、池や噴水など潤いに満ちている。
5年前、レンジローバーに乗りに来た時は旧市街から離れたところの大型外資系ホテル泊だったから、このリヤドは新鮮だった。
ヒョンデ(現代自動車)のミニバン「H-1」をチャーター
翌日は旧市街を歩いて探索し、3日目にサハラ砂漠に向かった。大手の国際的なレンタカー業者の予約を日本からWeb経由で取ることができず、代わりにマラケシュの旅行会社でドライバー付きのミニバンをチャーターすることにした。
レンタカーを運転して外国を旅する楽しさや味わい深さ、学びの大きさなどについて本まで書いた(『地球自動車旅行』)ことがあるのだけれども、地元のドライバーに運転してもらう旅もまた、それとは違った趣があることを知ったのは、ここ10年ぐらいのことだ。
ベトナムのホーチミンでも、スリランカのコロンボでもドライバー付きのレンタカーをチャーターして、それぞれムイネーやシギリヤ、キャンディなどの地方を巡った。
マラケシュのリヤドに迎えに来たのは白い「ヒョンデ・H-1」というミニバンと、フセインと名乗るドライバーだった。H-1はトヨタ・アルファードぐらいの大きさのミニバンで、車内は十分な広さだった。クルマも新しく、エアコンが良く効き、郊外道路を100km/hぐらいで巡航してもうるさくはなかった。
フセインは40歳代ぐらいのモロッコ男性で、背が高く、メガネを掛け、ヒゲを生やしている。イスラム圏の男性が良く着ているコットンの長いワンピースというかプルオーバーを着ていた。英語も喋る。穏やかな感じで、こちらから何か質問すれば丁寧に答えてくれるが、彼から話し掛けられることは少なかった。
ワルザザートの町に一泊
途中の町や村に止まり、休憩やランチを取りながら、ワルザザートの町のホテルに泊まった。
フセインは、ちょうどラマダン(断食月)の期間中だというので僕らがジュースや果物などを勧めても、一切、口にすることがなかった。
「日が暮れたら、飲んだり食べたりできるので、それまでの辛抱です」
と微笑んでいたが、この暑さの中で水も飲まないのは身体に良くないのではないか?
「もちろん、そうなのですが……」
車窓には、絶景が続く。山々や渓谷など、荒々しい岩と土と砂が地平線まで広がり、刻々と姿を変えていく。光の角度によって、岩肌は赤にも黄色にも褐色にも見えていく。
由緒のある史跡や高級店でもないところの建物でも、ふと見ると細かな造作が施されていたり、美しいモザイクで装飾されていて見惚れてしまうことが少なくない。イスラム圏を旅する楽しみのひとつだ。
ワルザザートから南下し、サハラ砂漠に近付いていくと道路の様子が一変した。人家や畑などの人工物がなくなり、樹木も低いものばかりになっていく。そして、路面には砂が覆いかぶさっていく。
フセインはH-1の速度を緩め、道路の中央寄りを走るようになった。
「路面と路肩の境目が砂によって覆い隠されてしまうから、慎重に進んでいるのです」
砂の下には溝や穴、大きな石などが隠れているかもしれないから、フセインも慎重になるはずだ。
メルズーガという村が近付いてくると、道路と砂の境目が一切なくなってしまった。クルマの通行のために、等間隔で杭が打たれ、それを目標に進んでいく。
伝統のSUVで音のないサハラ世界へ
遠くに見えた平屋の建物が、ビシターセンターのようなものになっていた。フセインは僕らのスーツケースを中に運び、僕らは1泊2日のサハラ砂漠キャメルライドツアーに参加した。
いろいろな国から参加した10数人が約2時間ラクダに乗って、砂漠を進み、オアシスに設けられたテントで一泊して戻ってくるツアーだ。
人懐こい笑顔のラクダ曳きの青年たちに従いながら、砂漠を奥へと進んでいく。ビジターセンターが背後でだんだんと小さくなっていき、やがては丘に隠れて見えなくなると、他に何もなくなる。
360度見渡す限り、砂しか見えない。ワダチも標識もないのに、ラクダ曳きたちはどにように進路を見極めているのだろうか?
彼らの視力も驚異的で、砂と同色のトカゲを遠くから見付け、走っていって捕まえたりして僕らを驚かせたりする。
音もない。かすかな風の音と、ラクダの4本の脚が砂にめり込む乾いた音がサッサッサッと聞こえてくるだけだ。
地平線まで続く砂の丘の凹凸の中を進んでいくと、音の無いことの神々しさに自分たちが圧倒されていることに気付いたのか、先ほどまで騒いでいた参加者たちも言葉を発する者など誰もいない。
砂漠のグランピング
日没前に、キャンプサイトに到着した。大きな砂丘の脇に高い木々が茂っているところに宿泊用テントと、レストラン用テント、トイレ小屋などが建っていた。テントといっても大きくて、宿泊用は砂の上に30平米ぐらいの広さのリビングがあり、ベッドもある。レストランは半分オープンテラスになっているが、バーカウンターまであった。
食事の前には、食前酒を飲みながら焚き火を囲み、さっきまでラクダを曳いていた青年たちが巧みにパーカッションを弾きながら曲を奏でていた。
食事はマリネした肉を串に刺して焼いたものとタジン鍋。どちらも、モロッコ名物だ。グランピングというのは、こうしたキャンプのことを言うのだろう。
翌朝は砂丘に登って日の出を拝み、またラクダで戻った。
青年たちはラクダが歩きやすいように曳いているはずだが、全体の進路をどのように測りながら進んでいるのだろう。
夢のような砂漠から日常世界へ帰還する
ビジターセンターでは、すでにフセインが待っていた。僕らはシャワーを浴びて汗と砂を流し、再びH-1に乗って、マラケシュに戻った。
帰りはどこにも寄らない予定だったが、アトラス山脈の尾根の見晴らしの良いところで休憩を取った。ラマダンは開けていないようで、彼はまだ何も飲み食いしない。
山から降りて、マラケシュに近付いたところで、フセインは別のドライバーと運転を変わった。二人目のドライバーは英語を喋らないようで、黙々と運転してくれた。
毎日、朝が早かったり、慣れないラクダに乗ったりしたので、心地良い疲労でウトウトしてきた。こういう時に、ドライバー付きのクルマを頼んで良かったと痛感する。
初めてマラケシュを訪れて10年、二度目に行ってから5年も経過してしまった。コロナ禍によって海外旅行から遠ざかってしまい、どちらもはるか昔のことのように思えてしまう。
地図を広げてみると、僕らがラクダに乗った辺りは、広大なサハラ砂漠の、ホンの北の端の端に過ぎない。砂漠はモロッコから国境を越え、アルジェリアやモーリタニア、リビアやマリ、ニジェールチャド、スーダンなど中央アフリカまで広がっている。クルマでサハラ砂漠を再び訪れる日はいつのことになるのだろうか?
レンジローバーは新型が発表され、2022年1月に東京でも披露された。
※掲載の写真は2012年、2017年、2022年に撮影したものです。