地域に根を張るクラフトビールブルワリーを紹介するシリーズ。第30回は、栃木県奥日光のNikko Brewing(日光ブルーイング)を紹介する。運営するのは1871年創業の土産店、三本松茶屋。専務取締役の鶴巻康文さんにインタビューした。
日光ブランドにあぐらをかいていた衝撃
奥日光といえば中禅寺湖、華厳滝、戦場ヶ原、いろは坂に男体山、日光湯元温泉。四季折々の観光名所に囲まれたロケーションに建つドライブイン三本松茶屋は、1871年(明治4年)に創業した。現在、専務取締役の鶴巻康文さんは三代目社長のせがれ。東京の大学卒業後、地元に戻ったのが2003年、そのとき感じた強烈な違和感が、日光ブルーイング創設の原点になっている。
「日光ブランドの上にあぐらをかいている」
豊かな自然、世界遺産でもある日光東照宮を中心にした社寺は国内でも屈指の豪華さを誇り、今なお修学旅行の行き先ランキングに名が上がる。2000年代初め、まだそのブランド力が健在だったのだろう。観光客向けの店には価格に見合わない商品があふれていたという。自分の店だけでない。日光市内のほとんどの店がそうだった。鶴巻さんは違和感だけではなく、危機感を抱いた。
もともと鶴巻さんは日本酒が大好き。土産店で売られている日本酒の質が気になってならなかった。日光に、栃木に、うまい地酒がないわけではない。探しているうちに、きちんとした酒を造っている地元の酒蔵に出会った。
「とても丁寧に造られていて、しかも手頃な価格で販売されていました。私はそういうしっかりした地酒を売っていきたい」。その後、県内中の酒蔵に通い、頭を下げ、三本松茶屋にも卸してもらった。その経験が次のクラフトビールにつながる。
創業のきっかけは、ほかにもある。2012年、日光の地ビールとして知られていた「日光ビール」が廃業し、地元のビールがなくなってしまったのだ。鶴巻さんは当時、日光ビールの設備を買い取って引き継ごうかとも考えたが、資金面で断念。そこで鶴巻さんは、栃木県内のブルワリーに協力を求めた。宇都宮市のろまんちっく村や、栃木マイクロブルワリーという先行ブルワリーに頼んで、オリジナルビールを生産してもらった。
「栃木は日本酒の酒蔵さん同士の仲がいいんですよ。その縁でクラフトビールのブルワリーさんとも縁ができたのです」。クラフトビール業界の横連携はよく聞くが、日本酒業界の横のつながりはいまひとつ………の印象が強い。栃木はそうではないらしい。
ビール醸造未経験者さん、いらっしゃい
それでも鶴巻さんは、自前の工場をもつことを目指した。他県から入ってくる日光の名を冠したOEMビールに対する懸念もあった。オリジナルビールをつくるのにOEMはひとつの方法だが、地元の経済にはあまり寄与しない。それになにより「本物が欲しかった」と鶴巻さんは言う。本物とは?
鶴巻さんはこう説明する。
「いちばん問題だったのは地元事業者の意識だと思います。売れればいいという意識が染みついていた。観光資源も、いい素材もありながら、自分たちでオリジナルのブランドをつくるという意識が薄かったと思います」。そんな状況を変えたいという思いが強かったのだ。
三本松茶屋のクラフトビール事業部として自前のビール工場を建て、自前のスタッフを雇用することにした。スタッフ募集には「ビール醸造未経験」という条件をつけた。なぜか? 「目的はビールを造ることではなく、あくまで奥日光のブランド発信力を高めること」だからだ。
「極端な話ですが、私が“明日からビールじゃなくてオレンジジュースをつくる”と言い出すかもしれない。ビールづくりだけが目的ではないと分かってくれるスタッフと一緒に仕事がしたかったので」
鶴巻さん自身を含めて醸造未経験者が始めたNikko Brewing(日光ブルーイング)。しかし、肝心な醸造はどのように?
「操業前後の1年ほどは、知り合いのベテラン醸造家に先生として来ていただいて設備や醸造に関する指導を受けました。その後はスタッフのがんばりが大きい。何より大きいのは、県内のブルワリーのみなさんの協力です」
先述したが、クラフトビール業界は比較的、横のつながりが強い。栃木県にはすでに県内のブルワリーによるクラフトビール協議会があり、ろまんちっく村や栃木マイクロブルワリーなどとの情報交換が盛んだった。技術的なことも先輩ブルワーがいろいろと教えてくれたそうだ。
「ホント、腹立たしいのですが、私に内緒でちょいちょいレシピを変えたりしてるんですよ」と笑いながら話す鶴巻さんだった。
裏方に徹したことがコロナ禍で吉
2018年にビール工場を操業。2019年の暮れに、鶴巻さんは事業方針を大きく変えた。それまでは他県で開かれるビアフェスやイベントに参加し、日光ブルーイングの認知度を高めることを重視していた。飲食店やホテルなど事業者への営業も積極的に行っていた。それらをやめた。
「地元志向に切り替えました」
地元のイベントには参加するが、他所へはあえて行かない。ビールは主に地元の酒販店や卸問屋に出荷し、その先は酒販店、問屋におまかせし、自分たちはそのサポートに回る。つまりメーカーとして裏方に徹したということだ。
日光ブルーイングは都内などに直営のレストランを出すようなことはせず、地元にこだわる。
「うちのバトルフィールドはあくまで観光業。そこで勝負しないと。私たちの事業は競争ではなく補完を目指しています。地元の事業者が出来ないことを私たちが補って、日光全体のブランド価値を高めていくという考え方です。むしろ、同業者さんから応援してもらえるような事業を目指しています」
2020年から始まったコロナ禍において、この事業方針は吉と出た。
元来が奥日光ブランド発信が目的の観光業としてのブルワリーである。しかし最近は、地元のスーパーに日光ブルーイングのビールが並ぶようになって来た。営業の成果というより、酒販店や問屋のおかげだという。地元の既存の事業と共存しながら、地元ブランドをつくり、それを地元の人にも知ってもらう。そして地元の人からも応援してもらう。この好循環が実現すれば、クラフトビールはサステナブルな地域ブランドになれる。
外国人、留学生さんもウエルカム!
鶴巻さんは本業のかたわら、留学生の受け入れや就職支援にも力を入れている。インターンシップや高度外国人材の誘致にも積極的だ。
すでに日光ブルーイングは他の事業部も含めて外国人スタッフを6名採用し、国内外の観光客向けの製品やサービスの企画、海外への輸出業務、海外での展示会や商談会での仕事などを任せている。昨年11月にはインドネシア籍のデザイナーを現地採用した。過去には、現地スタッフを通じて直談判を行なって、台湾の臺虎精醸(Taihu Brewing)とコラボレーションして日本茶のビールをつくった実績もある。
外国人を積極的に採用する意図は?とたずねると、ひとつは「日本の若い人への刺激になることを期待している。いい意味でもっと競争意識が生まれると思います」。もうひとつは、奥日光の将来を考えてのことだ。具体的には産業を増やし、定住人口を増やしていくこと。
「観光地としては名高いですが、フタをあければ高齢化の進む過疎地域です。特定技能実習生などの力がまだ当面は必要です。でも彼らは定められた期間しか日本に滞在できません。弊社が採用しているのは高度外国人材と言われる外国人スタッフです。地元地域の発展に貢献してくれる外国人スタッフを雇用することで、高齢者が働きやすい環境をつくり、異文化が交流を結び共存できる社会をつくっていきたいと考えています。国内外からインターンシップや留学生も積極的に受け入れています。ここで仕事してもらわないまでも、母国で日光の情報発信をしてくれたらうれしいですね。将来的に、外国人観光客の誘致や産業の創出につながればいいなと思っています。何より重要なのは子供たちの未来です。将来、地元に戻ってくる子供たちの選択肢を増やすために新しい産業が必要です」と、奥日光の将来の青写真を語る。
日光ブルーイングの代表は、150年前からつづく土産店の取締役であり、どこまでもサステナブルな奥日光を考えている。鶴巻さんは大学時代、陸上選手として箱根駅伝を目指した経験がある。いい意味で、競争のもつ力を信じている。次世代にたすきを渡そうと奮闘している。
「うちのビール工場も、小さな産業ですけれど、地域のモデルケースになれるようにがんばっています。小さな会社でも、ほかの人が真似てくれれば、また、他の事業者と連携するきっかになれば」
日光ブルーイングは地域の仕事のハブになろうとしている。ビール工場が新たな産業が生まれるゆりかごになれるとしたら、それはクラフトビールにとってもすばらしいことだと思う。
Nikko Brewing(日光ブルーイング)
所在地:栃木県日光市木和田島1564-4
https://nikko-monkeys.beer