第26回植村直己冒険賞受賞! 未踏の「しらせルート」から単独徒歩で南極点を目指す阿部雅龍さんが語る「冒険の原動力」
探検家・関野吉晴さんが、時代に風穴を開けるような「現代の冒険者たち」に会いに行き、徹底的に話を訊き、現代における冒険の存在意義を問い直す──BE-PAL6月号掲載の連載第11回目は、110年前の白瀬矗(しらせのぶ)の想いを継ぎ、南極点を目指している阿部雅龍さんです。
今年4月22日、2021年度植村直己冒険賞(主催・兵庫県豊岡市)を受賞した阿部さんは、「もともとアウトドアの経験もまったくなかった」のに、冒険家を目指したそうです。その原動力とは何か? 関野さんとの対談の一部をご紹介します。
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
阿部雅龍/あべ・まさたつ
1982年秋田県生まれ。冒険家大場満郎氏に影響を受け、秋田大学在学中から冒険活動を開始。浅草を拠点に人力車夫をしながら世界各地を人力で巡る。2019年、メスナールートで南極点単独徒歩到達(日本人初踏破)。現在は同郷の探検家白瀬矗の目指したルートからの南極点徒歩到達に挑戦している。今年、植村直己冒険賞を受賞。著書に『次の夢への一歩』(角川書店)がある。
子供のころ、探検家の本を読んでワクワクした
関野 冒険を始めたきっかけは何だったのですか?
阿部 子供のころ、アムンゼン、スコット、ヘディンといった探検家の本を読んで、どんなに厳しい状況でも自分の夢を実現していく彼らの生き方にすごく憧れました。とくに印象に残ったのは僕と同じ秋田県出身の探検家、白瀬矗さんでした。それを就活の際に思い出しました。やりたいことがなくて、「自分は何をしたいんだろう? 何になりたいんだろう?」と考えたとき、探検家・冒険家への憧れが蘇ったんです。人生1回しかないのだから、白瀬さんのように生きたいと思いました。とはいえ、山岳部や探検部に入っていたわけではありませんし、アウトドアの経験もまったくありませんでした。そこで、冒険家の大場満郎さんを訪ねました。弟子入りみたいな形で大場満郎冒険学校に住まわせてもらったところから冒険人生が始まりました。
関野 最初の冒険は?
阿部 南米大陸を自転車で縦断したのが最初の冒険的な活動です。エクアドルの赤道記念碑からパタゴニアの南端の道路の終点まで走りました。その後、ロングトレイルに傾倒して、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(アメリカンロッキー山脈)を4200㎞、グレート・ディバイド・トレイル(カナディアンロッキー山脈)を1200㎞歩き、次は川もやってみたいと思ってアラスカのユーコン川をカヌーで、アマゾン川を筏で下り、そして極地に向かいました。まず、カナダ北極圏のバフィン島を500㎞歩きました。
関野 極地の冒険としては、カナダやグリーンランドなど北極圏の単独徒歩からスタートしていますが、その後南極を目指すのは白瀬さんの存在があったからですか?
阿部 そうです。白瀬さんと大場さんですね。僕の場合、人への憧れ、冒険家という生き方への憧れが原動力になっています。アマゾン川筏下りを29歳でやったのも、じつは大場さんが29歳でアマゾン川を筏で下っているからなんです。憧れの人になるには、同じ年齢で同じことをやればいいという発想です。
この続きは、発売中のBE-PAL6月号に掲載!
公式YouTubeで対談の一部を配信中!
以下の動画で、誌面に掲載しきれなかったこぼれ話をお楽しみください。