今年(2022年)は、伊能忠敬が作った日本地図「大日本沿海輿地全図」が完成してからちょうど200年。忠敬をテーマにした映画『大河への道』も公開され、忠敬は何度目かの注目を浴びている。
忠敬の古地図はロングトレイルマップだ
忠敬というと、50歳を過ぎて日本全国を測量したことから、「第二の人生をいかに生きるべきか」のお手本として語られることが多いが、そういう教訓めいた話はちょっと脇に置いておいて、忠敬を「ロングトレイルハイカー」、忠敬の残した測量線と地図を「ロングトレイル」のコースマップととらえてみたい。
もちろん、忠敬はハイキングのために日本中を歩いたわけではなく、当初の目的は、地球の正確な大きさを知ることであり、作成した地図を幕府に評価されてからは、国防のためという期待もあって、日本列島の正確な形を明らかにすることがおもな目的となった。
しかし、ハイカーの視点でその地図を眺めてみると、まさに宝の地図に見える。今は寂れてしまったマイナーな街道を歩いていたり、道がいまも未舗装だったり、道そのものが廃道になっていたりして、おおいに旅心をくすぐられる。
西行や松尾芭蕉、山下清などもロングトレイルハイカーといえるかもしれないが、彼らは文章(と絵)しか残していないので、正確な足どりをたどるのはむずかしい。忠敬の測量は精度が高いので、200年前の道すじをたどることができる。
「伊能トレイル」の探し方
では、実際にどうやって歩くトレイルを探すかというと、「Web版デジタル伊能図」を見るのがいちばん手っ取り早い。忠敬の地図と現在の地理院地図を重ね合わせて見ることができるので、測量線がいまのどの道に当たるか一目瞭然なのである。1か月3,000円という料金がかかってしまうが(12か月契約は5,000円)、1か月の間にたくさん歩きたいトレイルを探せば、十分もとはとれると思う。
ちなみにDVD版の「デジタル伊能図」は12万円+税。これがあれば一生遊べる。
(念のため、「お金を使わずにトレイルを探す方法(地図を重ね合わせる方法)」も、【付録】として、この記事のいちばん下に書いておきます)
さて、その「デジタル伊能図」を見ながら、東京近郊でマイナーな街道を探してみた。見つけたのが埼玉県の騎西(加須市騎西=きさい)から行田(行田市行田=ぎょうだ)まで。日光御成道の岩槻から中山道の熊谷をつなぐ道の一区間なのだが、道がそのまま国道に引き継がれたわけではなく、県道や市道をつないで二点間が結ばれている。
忠敬ら測量隊は、文化6(1809)年9月6日(旧暦)にここを測量した。当時の単位でいうと3里(約12km)。忠敬らは長いときで1日に8里(約32km)くらい歩くので、このルートは短いほうといえる(実際には加須駅から行田市駅まで歩いたので約20kmとなった)。
重ね合わせ地図だけで歩くのはむずかしいので、事前にグーグルマップの「マイマップ」にルートを保存しておいた。歩くときは、スマホのGPSをオンにして、「マイマップ」を開けば、迷わずに歩くことができる。
騎西から行田へ、忘れられた街道を歩く
騎西の最寄り駅は、東武伊勢崎線の加須駅。忠敬らが泊まった騎西のメインストリートへは田んぼのなか道を歩く。富士山、赤城山、日光白根山、男体山などの山々を見ながら進むと、次第に人家が増えてきて、騎西城跡に到着する。
騎西という地名は、古代の皇后領を意味する私市・私部(きさいち・きさべ)に由来するという。戦国時代に騎西城が築かれたが、江戸初期の頃に廃された。江戸期の騎西は城下町ではなく、六斎市(月6回の定期市)が開かれる商業地として賑わった。
騎西城跡を過ぎて、ファミリーマート角屋騎西店を右折すると、騎西のメインストリートとなり、ここが忠敬が歩いた旧道である。ガードレールと歩道がなく、狭い道のきわギリギリに建物が立っている感じがいかにも旧街道っぽい。両側にところどころ古い木造商家も残っている。
神社の巨木を堪能する
しばらく進むと、左側に、忠敬も立ち寄った玉敷神社が現れる。神社の社叢林は、長年手つかずの極相林(樹木の遷移が最終段階を迎えた林)なので、シラカシなどの常緑樹の巨木がそびえたつ。
落合橋で見沼代用水(忠敬の地図にも描かれている)を渡ってしばらくいくと、鴻巣市赤城の赤城神社につく。ここも広い社叢林があり、野鳥愛好家が猛禽類を狙ってカメラを構えていた。町のなかで予想もしていない自然にぶつかるのが旧道歩きの楽しみだ。
江戸時代の道標や石仏も
道は田んぼの中の細道となり、ここが本当に旧街道なのかどうか不安になるが、道が県道に合流する手前に、文政10年銘の道標(西 行田熊谷道)道標が現れてホッとする。旧街道を歩いていると、こうした石塔、石仏を目にするのが何よりもうれしい。それが忠敬が歩いた年より前のものだともっとうれしい(残念ながら、文政10年は忠敬が歩いた18年後)。
古墳でトレーニングした藩士を思う
この先、道はさきたま古墳群へと続く。行田の忍(おし)藩士たちは、鉄砲山古墳で鉄砲を撃つ訓練をしたそうだ。忍の城下町へはここから30、40分歩く。けっこう遠くまで訓練に来たんだな……などと感慨にふけることができるのも、街道歩きの楽しみだ。
忠敬らは翌日は熊谷まで歩いた。そうやって延々と跡をたどっていけば、鹿児島まで行ってまた東京まで戻ってくることができる(1年10か月かかる)。
忠敬らの測量隊は、17年間、10回にわけて4万3000kmを測量した。体力のある人はぜひスルーハイクに挑戦してほしい。2万5000部の1地形図にも記されていない廃道があるからヤブ漕ぎのスキルが必要となるだろう。
御蔵島のような断崖絶壁の島では船から測量しているので、シーカヤックの能力も必要になろう。ダム湖で道が分断されているところがあるので、パックラフトを担がねばならないかもしれない。この200年で、日本がどう変わったか見えてくるにちがいない。
伊能ハイキングの参考図書
「伊能トレイル」を歩くための参考図書を以下に上げておきます。
『図説 伊能忠敬の地図を読む 改訂増補版』:忠敬の測量と地図作りがどのように行なわれたかをコンパクトに解説。
『伊能図大全』全7巻:忠敬の地図をすべて収録。紙で忠敬の地図を見る場合の決定版。
『伊能忠敬の古地図を歩く 江戸東京編』;忠敬ゆかりの地3コースと忠敬の測量線をたどる16コースを収録したハイキングガイドブック。
『伊能図探検 伝説の古地図を200倍楽しむ』:全国25か所、忠敬の地図と現代地図を見比べる本。廃道になったところ、ダムで道が分断されたところ、川の流路が変わったところなど、昔と今の変化が大きい土地を収録している。