本記事は外海は適さない? 定説を覆し「奇跡の真珠」を生み出した相島のお父さんの続きです。
相島を散策中に出会った、昭和レトロな雰囲気の酒屋さん
移り変わってゆく島の歴史を見てきた酒屋さん
島を散策していたら漁港近くの「島の駅あいのしま」の裏手の小径でお店を見つけました。
そこには昔懐かしのリヤカーが置いてあり、サザエさんの三河屋サブちゃんが運んでくるような瓶ビールの箱がたくさん積まれていました。
看板はないけれど、酒屋さんかな?
お店に入ってみることにしました。
こんにちはー!声をかけながら、ガラガラガラとガラス扉を開けてみると、「あれ?タイムスリップしたのかな?!」と感じる懐かしい光景が目の前に広がっていました。
子供の頃におばあちゃんの家に遊びに行ったときのような、テレビで見た昭和レトロ博物館のような。広い土間が広がっていて、ゆったりとした間隔でお酒の棚や保冷ケースが並んでいます。
顔を上げると、壁に貼られた味わい深いポスターたちが目に飛び込んできました。年季が入ったポスターからは、時を経ても色褪せることのないスターのオーラを感じます。そしてカウンターの奥に見える「三」マークは「マルサンしょうゆ」の棚。こちらもレトロ感満載、いい味出してくれています。
調べてみると、マルサン醤油醸造元は明治43年創業、福岡県筑紫郡那珂川町で100年続く老舗醤油屋さんでした。今も昔も変わらずに、お店を訪れるお客さんにお醤油をすすめてくれているんですね。
ショッピングモールやコンビニへ行けば何でも買える時代に、ここは生粋の酒屋さんなのです。いろんな種類のお酒と定番ヤクルト、野菜ジュースと調味料が置いてあります。
昭和・平成・令和とすごい勢いで時代が流れてきたように感じるけれど、ここだけは時が止まっているような、昔から変わらない景色があるように感じ、なんだかホッとしました。
お店に入ってしばらくすると、奥から酒屋のお母さんが出てきてくれました。
相島に家族で釣りに来たこと、今晩一泊するので晩酌用のお酒を買いに来たこと、相島のことを記事に書きたいので話を伺いたいことを伝えると「いいよ!」と了承してくれました。
西野酒屋のお母さんが島にきて58年!
西野さんが相島へきて58年になるそうです。お母さんが島に来た当時、昭和39年頃の日本はどんな時代だったのでしょうか。
昭和39年9月に東京モノレールが開業。10月にはアジア地域での初となる東京オリンピックが開催されるなど、当時の日本は高度成長期の真っ只中にありました。当時の相島の様子をお母さんに伺いました。
「わたしがここにきた時は、まだ旅館やお店がいくつもあってね。ここ(西野酒屋)は「綿屋 (わたや)」という屋号で島の人たちに呼ばれていたよ。他にも「さつまや、まつや、まるみや、さかいや……」と、旅館やお店にもそれぞれ屋号があったよ。
島には沢山人が来てね、旅館に泊まるお客さんをもてなすために、綿屋にもたくさんのビールの注文をもらっていたよ。昔はこのカウンターで「角打ち」をやっていてね、外からのお客さんや、島の人たちで毎晩賑わっていたんだよ。
島にたくさん人が来てくれたことで子供達を育てることができたんだよ。
だんだん島に人が来なくなってね。島にたくさんあった旅館やお店も今ではほとんどなくなってしまったね。寂しくなったね〜」
と話してくれました。
昔、相島では魚など島の特産物を使った特別な料理が宿で振る舞われていたそうです。その担い手がいなくなってしまったことから島外から宿を訪れる人が減り、宿やお店が減っていったと聞きました。
島の課題を魅力に。「ない」からこそ「つくる」チャレンジができる
西野酒屋のお母さんと話していて感じたことがあります。当たり前だけど、人が集まるところで町が発展し逆も然りなのだなあと。
いま相島では人口減少と少子高齢化が進んでいる状況です。人口270人ほどで高齢化率が60%を超えているといいます。
昔は島にも数軒あった宿やお店も減り、船に乗って週一くらいで買い出しに出かける方も多いようです。
長く島に暮らしてきたお母さんの話は、島に移住して活性化に取り組んでいる糸永源樹さんが「島を元気にしたい!」と活動されている理由にもつながりました。(※糸永さんは、前々回の記事でご紹介させていただきました)
「担い手不足、職の選択肢不足、インフラ不足、など相島にはいろんな課題があります。でも、いろんな課題がある相島だからこそチャレンジができると考えています。島の課題を魅力に変えていく取り組みが『チャレンジできる島つくり』にもつながるのかなと。
担い手不足だからこそ少ない人数で力を合わせ、仕事がないからこそ仕事を生み出すために動くことができる、インフラがないからこそ助け合いが生まれる。誰もが課題に思えることが魅力に変わる、そんな意識転換ができたら素敵だなと思っています。
相島に移住して4年目になりますが、島で暮らす中で『本当に自分が住みたい地域なのか?』と考えることもありました。でも『自分が住みたい地域とは?』について考えていくと、こんなところに住みたい……ではなく、自分が住みたいと思える地域を自分の手で作っていきたい、相島であればそれができるのではないかと感じました。
宿泊施設がないからこそ空き家を利用して宿を作ることができたように、島の資源を活用してチャレンジができる仕組み作りをしていきたいと思っています。自分を含めた島の人たちが、誇りを持ってこの島は最高だ!と思える島づくりをしていきたいです。
そんな島に魅力を感じてもらえる人もいるだろうし、島のこどもたちにも素敵な大人の背中を見せられるんじゃないかと思っています」(糸永さん)
誰もがチャレンジできる島作りを目指して、空き家を利用した宿泊施設の増設や移住希望者向けのサイト整備、島で採れる旬の魚を使った棒寿司の開発など、そのチャレンジは多岐にわたります。島に暮らす糸永さんだからこそ、地域住民と密 にコミュニケーションを取りながら「住民が少ない」「仕事がない」の「ないない」を「ある」に変えていくことができるのではないかと思っています。
6月半ばにリニューアル再オープンした「樫」の前で、オーナーの糸永さんと。以前はなかったwifiが完備され、お風呂も新しくなっていました。空調も効くのでワーケーションも可能ですよ!
相島に出会い感じたこと
わたしたちの生活にはモノや情報が溢れているように感じています。
選択すること、消費することに疲れてしまうことはないでしょうか。
キャンプに行くことで、身の回りに溢れるモノや情報からしばし遠ざかることができます。キャンプに行くと、そこにあるモノだけで生きることを体感することができ、それを楽しいと感じます。
相島には「ない」モノがたくさんありますが、「ない」ってことはじつは「ある」ってことなんだなあと気付かせてくれました。
島を訪れるたびに人に出会い、相島がどんどん好きになりました。
ぜひみなさんも、猫や釣りだけではない島の魅力をゆっくりと体感しに訪れてみてくださいね!