都会で見つけた私の寝床
カヤック旅で都会に出て困ることといえば、丁度良い野宿場所が見つからないこと。野宿旅では、都会は大抵、居心地が悪い。浜へ行っても、酔っ払いが割ったガラス瓶の破片だらけで、なかなか安心して寝袋を広げらなかったりする。
だけど、ドナウ川の旅の途中、セルビアで最初に通った都会=ノビサドには、とても居心地の良い野宿スポットがあった。あまりの居心地の良さに5日も滞在してしまったあの場所を、ハッキリとここで紹介してしまうのが気が引けるが、きっと誰も行かないだろうから良いだろう。
それは、ノビサドの街の中心部にほど近い、運動公園のビアガーデンなんかをやっている広い砂浜の脇。公園の敷地を示す柵の向こう側に取り残された小さなスペースに、カヤックで上陸した。柵の向こう側なので、 たまに釣り人がやってくる程度で、あまり人の出入りはない。
公園は、夜になると鍵がかかって締め出されてしまうのだが、隣接している港のカフェのおじさんにワケを話して、夜間は裏口から出入りさせてもらえることになった。
クルージングに誘われて
私がノビサドに長居してしまった理由。それは、セルビアの強ーいお酒「ラキヤ」の飲み過ぎによる二日酔い、ではない。
私の家、もといキャンプ地のお向かいさんがとても良い人だったせいである。
私のキャンプ地というのは、ノビサドの入江の入口にあった。奥へ進むと小さな港みたいになっていて、釣りに行くための小さな船に混ざって、変な船がたくさん浮かんでいた。
「変な船」というのは、この港を別荘がわりにしようという人たちが、イカダの上にキャンピントレーラーを載せていたりする。一体どうやってこんなところに置いたのか、まったくわからない。
もっと奥まで漕いでいくと、今度はセルビア軍の船が並んでいた。物珍しさから近づいてみると、軍服を着た人たちに「シッ、シッ!」と追い払われた。
そんなこんなで、まだ暑くまる前の早朝に入江を漕ぎまわって遊んだ帰り、キャンプ地の向かいに浮かんでいた大きな筏船から、「おーい」と声がする。
見ると、カヌーに乗っておじさんが一人、こちらのテントに向かってきている。持っていた携帯を渡されて、耳に当てろとジェスチャーされた。電話口の向こうには、流暢に英語を話す女性がいて、サーニャと名乗った。
曰く、お向かいさんの筏は「パーティーボート」らしく、サーニャは明日、これに乗って誕生日会のクルージングをする予定らしい。
「あなたも一緒にどうかしら?」
まったく知らない人の誕生日パーティー。っていうか、「パーティーボート」って何それ?とりあえず、参加することにした。
パーティーボートとドナウ川
パーティーボートとは、大きなイカダ船の上にバーを建てたもの。とても川の上を走りそうな見た目じゃないのに、本当に動き出しちゃってビックリ。
一体、操舵席はどこなのか。よく見てみると、バーカウンターの脇、ビールが出てきそうな位置に隠れた操縦桿が見えた。
この日の誕生日パーティーの主役は、サーニャのお母さん。セルビア人は音楽と踊りが大好きな国民性らしい。主役を囲って3人で演奏、音楽が鳴っている間、主役はずっと踊りっぱなし。もちろん周りも踊る。「もっと踊れ、もっと踊れ」と、グイグイ演奏家たちが煽っている。
どんちゃん騒ぎのパーティーボートは、ぐんぐんドナウ川を上っていく。一度カヤックで下った景色だけど、ボートに立って眺めると、まるで違って見える。カヤックからは、ほぼ水面から見上げていた景色が、今度はまるで水の上に立って見下ろしているみたい。
向かった先は、ノビサドから数km先の静かな森の中。アコーディオンの音色が、遠くまでよく響く。
アメリカで過ごした大学時代、パーティーというと、地下の閉じ切った室内でバカ騒ぎするものだったが、こうやって森の中でやる方がずっと気持ち良い。
船の揺れのせいなのか、それとも太陽の日差しが酔いを早めるのか、みんなフラフラしている。呑んで、踊って、そういうことに何ら罪悪感を感じない開放感。やっぱり外って、気持ちいい。
ノビサドの夜市
ノビサドには屋台がたくさん並んだ市場があって、普段は魚や野菜の朝市をやっているのだが、月に一回だけ夜市が開かれる。
ビールやビーフジャーキーなど、地元で生産された食料品に加え、手作りの工芸品を売る出店が立ち並ぶ。
パーティーボートのサーニャさんは、ノビサドの自宅で靴を作っていて、その夜市で販売するらしい。
サーニャさんが靴作りを始めたきっかけ。それは、持病の糖尿病。糖尿病になると、足が浮腫みやすくなる。そして靴擦れが起きると、その傷口をきっかけにひどい炎症を起こし、最悪の場合足が壊死する可能性がある。だからサーニャさんは、ゆったりしたサイズの靴しか履かないのだが、市販のものはどれもダサいサンダルばかり。自分らしく、履いていて楽しくなるようなカラフルなサンダルを履きたいと、靴づくりを始めたところ、同じく糖尿病などで靴の悩みを抱えている人の間で評判に。
「やっぱり、自分で手を動かす仕事が楽しいのよね」
普段は、会社員としてパソコンの前に座る毎日だというが、本当は、実際に手に触れられるモノを、自分で作って、そして目の前のお客さんに売ることの方が、ずっと楽しいのだという。
ノビサドとドナウ川の戦争の歴史
今でこそ、街は活気にあふれているが、セルビアという国は比較的近代に戦争を経験した国でもある。ドナウ川の真ん中に残された大きなコンクリートの柱。ここにはもともと橋がかかっていたのだが、1999年にNATOの空爆を受けて倒壊。今は柱だけが残されている。
実は、ハンガリーからセルビアに入国する前に、とある船の人からこんな噂を聞いた。ドナウ川を下ってセルビアに入国するときは、船の大きさに関係なく70ユーロだか80ユーロだか手数料を払うのだと。
実際に私が国境を越えたときはすでにこの制度が撤廃された後で請求されなかったのだが、これは数年前までは本当のことだったらしい。なぜ、手数料を払うのか。当局の説明によると、それはノビサドの橋を復旧させるため。
「その前だって、第二次大戦で橋が壊れただろう?ここら辺は、ずーっと昔からいつも戦争ばっかりで、その度に橋が壊されては新しく掛け直してるんだよ」と、橋の向こうに住むおじさんが教えてくれた。
学生時代は、世界史で習うことは、どれも遠い世界の他人事にしか感じられなくて、まったく興味が持てなかった。まさかドナウ川を下って、戦争史というものがこれだけ真実味を持って迫ってくるなんて。
セルビアには、私がもっと知らなければいけない「何か」があるのではないか。そんな気がしている。