BE-PAL、そしてニッポンのアウトドア界に偉大な足跡を残した野田さんを、ぜひ思い出してほしい。
2022 年3月27日、野田知佑さんが旅立たれた
BE-PAL創刊から3年後の1984年に「のんびり行こうぜ」連載開始。
以降、38年にわたりこぎおろしエッセイを書き続けた。
日本の川はもちろん、ユーコンやアマゾンといった世界の川を旅し、
ダム建設に真っ向から反対し、日本の美しい川を愛し続けた。
野田さんの文章に触れ、人生が変わった人は少なくないはずだ。
2001年からは川の学校の校長として、多くの川ガキを育てることで、
日本の川を守ろうとしていた。
享年84歳。
川を愛し、子供を愛し、自然を慈しんだその眼差しは、私たちの心に焼き付いたままだ。
野田イズムを忘れないことが、BE-PALにとって一番大切なことだと実感している。
本当に、本当に、長い間ありがとうございました。
ガクやテツ、タロウにアレックス、そしてハナと一緒に、のんびりとカヌーを漕ぎつづけてください。
合掌。
小学館 BE-PAL編集部
数多くの著作の一部―。 僕らの野田さんは いつでもここにいる。
「のんびり行こうぜ」の 記念すべき第1回。 1984年12月号に掲載。
連載開始の前号、1984年11月号での巻頭特集の記事。
「My OUTDOOR Life 野田知佑 釧路川90㎞ 9泊10日のカヌー旅」 冒頭の一文を再掲。
日本で遊ぶ時、一番の問題が『混雑』。海も山も人でいっぱいだ。
唯一つ、あまり人の来ない穴場がある。川の上である。釣り師を時々見かけるが、川というのは岸からは入れない部分の方が多いのだ。カヌーでそこに行く時、川は僕だけのものになる。これは日本ではとてもぜいたくなことだ。
カヌーの面白さはツーリングにある。
フネにキャンプ道具を積みこんで、夜は川岸で寝ながら何日かかけて川を下るのだ。川下りにキャンプ生活と旅行の要素が加わってカヌーがもう一つ次元の違った面白さを持ってくる。更に釣り竿や素潜りの道具を加える。
魚のいそうなポイントで釣りをし、きれいな渕で潜り、川の底まで見ながら下る。海での潜りと違って川の潜りは子どもにでもできるのがいい。50㎝の水深の所でも、水中眼鏡をつけて潜ってみると、そこには別世界がある。
川を漕ぎ下る時はできるだけ道草をくいながらいく。川岸の花や山菜を摘み、水鳥を眺め、橋の上に女の子がいたら必ず「乗せてやろうか」と誘い(たいてい無視されるが)釣り師に話しかけて川の情報をきく。岸に上陸したら近くの民家で野菜や季節のものを買い、水を貰う。そこの人と話しこむ。こういう土地の人との交流が面白いのである。そうやって知り合い、友だちになった人たちをぼくはあちこちの川に沢山持っている。
本田 亮
焼酎のお湯割り片手に、岩のようにどっしり構えて
日本の川の素晴らしさを語り、行政には真正面から怒り、
転覆隊のバカな行動に「フォフォッ」と低音で笑う。
僕らは夜空を見上げる度に野田さんを思い出すだろう。
いまは天の川のどの辺りか?
河口堰をつくろうとする役人がいたら
星屑の中に放り込んでください。
関野吉晴
代表作「日本の川を旅する」を読んだときの衝撃は忘れられない。
野田さんの日本の川への愛情と哀しみが見てとれた。
常にユーモアを忘れずに、深くて重い問題にも切り込んでいく。
その他の著作からも、自分の身体と五感を通じて、世界を見ていくことの大切さを学んだ。
シェルパ斉藤
少年の感性と大人の知性と行動力と体力を兼ね備えた、世界に誇れるアウトドアズマンだった。
野田さんの文章には野を旅する男のダンディズムがあり、何度も読みたくなる魔力がある。
心が折れそうになったときや旅に出たくても出られないときは、野田さんの本を読み返そう。
野田さんは神様だから僕らの心に永遠に生き続ける。
かくまつとむ
バス釣りブームに沸いていた今世紀初頭、世間の風潮に反旗を翻すべく仲間と結成したのが雑魚党だ。
「一寸の雑魚にも五分の魂」で始まる宣言文に共鳴して党首を引き受けてくれたのが野田さんだった。
活動は本誌で10年以上続いた。
野田さんが「雑魚党の連中は愉快で骨があるな」といってくれたことは今も励みになっている。
※撮影/佐藤秀明、渡辺正和
(BE-PAL 2022年6月号より)