コトルで歩いた秘密のハイキングコース
一口にハイキングといってもいろいろなシチュエーションがあるけれど、今回紹介するのは旅の途中、予期せず発生したハイキング。
海と、山と、それから中世の街並みが楽しめる人気観光都市、モンテネグロのコトルで偶然見つけたハイキングコース。それは、山のてっぺんに建てられた要塞へと続く、秘密の抜け道でした。
これ、登れるんじゃない?
コトルで有名なもの。それは、中世の街並みを残した旧市街。しかしここは、ヨーロッパ各国から観光客が集まる場所でもあり、物価が高くて困りどころ。東欧って物価が安いイメージがあるけれど、ちょっとしたレストランに入っても、コトルでは日本よりずっとお金がかかります。
旧市街に人が集まるのは、オレンジの屋根の街並みがきれいなのもありますが、その裏山にある要塞へ登るためでもあります。しかしこの要塞、旧市街からアクセスすると登りの道がきちんと整備されているのですが、もちろん、有料。ちょっと予算オーバーだなーと、その辺を歩いていたら見つけたのです。要塞の裏手に位置する丘の中腹に、細い茶色い線がジグザクと何度も折り返しながら上に続いているのを。
かなり遠回りだけど、このトレイルを登れば要塞まで続いているんじゃない?
とりあえず、登ってみることにしました。
秘密の全貌
丘の途中にあるのは、民家が2軒だけ。やっぱりたまに観光客が登ってくるらしく、1軒は冷たい炭酸水を売っていて、もう1軒は手作りのヤギのチーズを売っています。
旧市街からは見えなかったけれど、教会らしき跡も発見。
そして、見つけちゃいました。要塞の外壁へと続く道を。ふー、ここまで登ってきて良かったー!
古そうに見えて、案外ちゃんと落っこちないように固定されている梯子。これを登ると、要塞に入れちゃいました。
ところで、どうしてモンテネグロへ?
私がモンテネグロへきた理由。それは、ドナウ川をカヤックで下る旅の途中で起きた、ある出来事がきっかけでした。
ドイツからカヤックを漕ぎ出して、オーストリア、スロバキア、ハンガリーといわゆる西ヨーロッパ地域を抜けて東欧に入ったときのこと。クロアチアとセルビアを漕いで目に留まったのは、1991年から1995年にかけて起こった、旧ユーゴスラビアの分裂に伴った戦争の傷跡でした。
クロアチアのヴコヴォルで見たのは、弾痕が残る民家の壁や廃工場。
セルビアのノビサドで見たのは、爆撃を受けたままドナウ川に残されたコンクリートの橋桁。
だけど、一番驚いたのは、そういう、目で見てみてわかるような、町の外観に残された戦争の傷跡じゃなくて。地元の人の、心と体に残された傷跡の深さ。
カヤックで旅をしていると目立つので、浜で釣りをしている人や、港の釣り船の人がよく話しかけてくれます。そして、40代、50代のおじさんたちのなかには、義足や弾痕を見せてくれる人も。「一瞬だったよ、もう痛くない」とジェスチャーを交えて教えてくれるのですが、どうも、本当の傷は、心に残っているらしいのです。
実は、今世界で問題になっているロシアによるウクライナ侵攻が始まったのは、このドナウ川下りの旅の前半、ドイツにいたころ。そこで会話した人のなかには、「まさか、第二次大戦以降平和だったヨーロッパに戦争が起こるなんて」と言う人もいて、私もそう思っていました。
だけど東欧に来て、気がついたのです。1990年代という近代にも、確かにヨーロッパで戦争は起こっていたこと。実質的にそれは、西欧諸国からは見放され、そして忘れ去られた戦争であること。そしてその傷は、今も残されたままであるということ。
ヨーロッパを旅すると決めて、ドナウ川を下ることにした私。なのに正直ヨーロッパと聞いて浮かぶ国は西ヨーロッパの国ばかりで、東ヨーロッパのことや、とくに旧ユーゴスラビアについては、恥ずかしながら何も知りませんでした。
旧ユーゴスラビアとは、現在のセルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、北マケドニア、スロベニア、モンテネグロ、コソボの7カ国が合体して形成されていた社会主義の国。
しかしドナウ川を下りながら、セルビアとクロアチアの人それぞれに当時の戦争について尋ねると、どうもお互いの主張が食い違っているのです。そして、ふと思ったのです。他の旧ユーゴスラビア5か国にも、それぞれきっと違う主張があるはずだと。そこには、現代人として知らなければいけない何かがあるはずだと。とにかくそこに行ってみれば、きっと何かわかるはずだと。漠然と、しかし強くそう思った私は、カヤック旅の途中ながら少し大胆な決断をします。
カヤックをセルビアの首都、ドナウ川沿いにあるベオグラードのカヤッククラブに預けて、夜行バスでモンテネグロへ行くことにしたのです。
ちなみに今回の夜行バスの旅では、ちょうど真夜中に国境を通るので、入国手続きのために途中で起こされることに。おかげでスッキリ眠れず、到着駅で少し眠ることに。
カヤック旅で出会う人、バス旅で出会う人
実際にモンテネグロに行ってみて、わかったこと。それは、今回のようなバス旅でコトルみたいな観光地に行っても、残念ながら正直、地元の人の生の声はなかなか聞けないということ。観光地のお店は、意外なことに、その地域にルーツを持たない人が経営している場合も多く、町を歩く人はほとんどが私と同じ観光客。ドナウ川をカヤックで旅して田舎町に寄ったときは、話しかけてくれる人みんなが地元の人だったのに。
今回のモンテネグロ旅行で唯一、旧ユーゴスラビアの時代について話をしてくれたのは、ローカルバスで近くに座ったおじさん、おばさんたち。
「あの頃は、今より良かったよ。大きな国だから、仕事もあったし安定していた。だけど今は、ただの貧乏な小さな国さ」と年配のおじさん。
私には、意外な言葉でした。社会主義の国というと、それだけですべてが悪だという先入観があったから。一体、当時の暮らしは、どんなんだったんだろう。
歴史を知るということは、もしかしたら、過去を知るというということ以上に、未来を考えるということでもあるのかもしれません。普段は不勉強ながら、海外をアウトドア旅行して得られた、最も大きな気づきです。