話題の映画『MERU/メルー』を監督したのが、ナショナル・ジオグラフィック⼭岳カメラマン、ジミー・チン。クライミングの聖地であるヨセミテで撮影を続ける⼀⽅で、世界のトップアスリートのブレイクスルーとなる挑戦の撮影も多く実現してきたクライマー/映像作家だ。
『MERU』は、“登頂者ゼロ” とされる標⾼約6,250mのメルー中央峰、通称 ”シャークスフィン(サメの背ビレ)”のダイレクトルート完全登攀を描いた全記録。本作の監督であり、プロデュースもこなしたジミー・チンに、過酷なメルー峰登頂の⾏程と、たった2台の⼩さなカメラで撮影した映像制作の背景を聞いた。
Q メルー登山を映画にしようと思ったのはいつ頃からですか?
ジミー 2008年にメルーに行ったときに、短めの映像用のフッテージは撮影してたんだ。でも2011年にまたメルーに戻ったとき、初めて長編映画にしたらどうなるのかな? という気になり、遠征から戻ってきた時には絶対この話を長編映画にしようと決心していた。
「キャンプ4」という自分のプロダクション会社で昔から山関係の短編はよく撮っていた。2002年に『ナショナルジオグラフィック』で1時間のテレビ番組用のドキュメンタリーを撮ったんだ。チベットのチャンタン高原で撮影したものだ。そんな風に映画用の撮影をしたり、CMの撮影もしたり、いろいろやってるよ。
メルーの山頂では、レナンが自分にとってこの山にチームの一員として登ったことがどれだけ彼にとって重要なことだったか?レナンのあのシーンを撮り終わり、僕はカメラを下ろして「これは絶対に映画にしなくちゃ」って思ったんだ。
もちろん下山から帰国までは緊張感もあるから、アメリカに帰ってくるまでは、それほど具体的に考えていたわけじゃないんだけど、2年間のメルー挑戦の話や、コンラッド・アンカーの人生のストーリーはとても深みのある話ばかりで、長編映画にするには素材は十分だったと思う。
一方でクライミングについて、人々が知らない側面を共有したいと思うようにもなったんだ。とくに登山とは無関係なメインストリームな映画の観客に、登山には、たとえば、友情や師匠との関係性がいかに人生にとって大切か? というような、人間なら誰もが経験する人生のドラマがあるということを知ってもらいたいと思ったんだよ。
山で起こるドラマは、まさに人生のドラマなんだ。困難な選択を強いられたり、特に僕は友人に対して誠実に接するようにという教育方針の家族に育てられたこともあって、クライミングで求められる「他者(チームメイト)への忠誠心と自分自身のエゴの境界線をどこに引くか?」といった決断について、映画で表現して、共有したかったんだ。普通の人は最高峰の登山って、なにかクレイジーな行為だと思っているよね? 「なんでこんなことするんだろう?」とかね。その疑問が100%解消することはないかもしれないけれど、ほんの一瞬でも、ほんとうに一瞬でいいんだけど、「その気持ち、分かる」って繋がってもらいたかったんだ。
Q あなたはなぜ、命をかけてまで難度の高い登山に挑むのでしょうか? コンラッドやレナンのように、あなたと同様に、命も生活も人生もかける登山家たちに共通する点はなんでしょうか?
ジミー 「これが好きだ」と思えるものについての抑えきれない情熱や、自分自身を理解するために人間として成長したいとか、人生の旅路を歩きたいとか、自分を取り巻く世界を深く理解することとか、そういう欲求があったら、何を差し置いても自分自身をステップアップさせようと努力するものだろう?
僕の知り合いでもそんな人が本当に多いよ。そもそも自分が愛するものを決めるのは、誰なんだい? 自分自身だよ。たまたま「山」に恋してしまったから、登山家は山を登ることで自分を成長させてる。だから「なぜ山に登るのか?」という問いは超えて、「なぜ自分を成長させるのか?」というのが本質的な問いかけなんだと思う。僕の場合は、たまたまそれが「山」だったというだけ。書くことに情熱を費やす人もいるだろうしね。だからコンラッドやレナンのような強靱な登山家が持つ共通のパーソナリティや欲求は、クライマーやアスリートに限らず、すべての人が同じものを持っているんだと思う。
Q 映画の中でも、登山が、命がけの冒険であることはよくわかります。とはいえ撮影用のカメラを持っての登山は、よりリスクを負います。これまで、登山中にカメラを捨てたこと(撮影を諦めたこと)、捨てようと思ったことはありますか?
ジミー YES! もちろん、いつだってこんなの捨てちゃえ!って思うよ(笑)。
ただ僕にとって山での撮影は、深い興味の対象にすでになっていて、山で起こるストーリーを語りたい、山からこのドラマを持ち帰りたい、そこに究極の楽しみと情熱を感じているんだ。
多くの人がスポーツ観戦が好きな理由は、アスリートたちが素晴らしいプレイをするから。サッカーやバスケットボールは、競技場でそれを見ることができる。でもクライミングは、一緒に行ってそばで見ることができない。登山家がどんなに素晴らしい技術を見せてくれたり、信じられない強さを発揮したり、そういったスポーツとしての見せ場は、その場では共有できないんだ。
それからあの感動的に美しい風景だって、持ち帰ることはできない。だから僕は登山家のキャラクターや、景色を持ち帰りたいと考えている。映像を介して、普段は経験できない経験を共有できるんだからね。だって山で起こってることは、すべてが強烈で、魅力的なことばかりなんだ。僕自身、いつだって山に刺激をもらってる。
Q あなたは、これまでも映像作家としても活動されてきましたが、あなたが登山と同様に、映像に惹かれる理由はなんでしょうか?
ジミー フィルムメイカーとして何か素晴らしものを切り取るという作業は、とてもエキサイティングなこと。山では、あらゆる要素がパーフェクトに重なりあって、フォトグラファーにとって最高の瞬間が訪れる時があるんだ。それは本当にスリリングな一瞬なんだ。クリエイターにとって最高に満足できる瞬間。
Q いい映像が撮れているけれど、あえて使わなかったことはありますか?
ジミー そうだな…まず前提としてなんだけど、僕はアスリートとして、特にスキーヤーとして始めたから、フォトグラファーである前にアスリートでいることが大事だと思える時もある。そんなときはカメラを置いて、スキーや登山に没頭することもあるんだ。撮影をまったくしないでスキーだけに集中することも、僕にとっては大事な時間。だからいつもいつも撮影してるわけじゃないんだよ。
もちろん、素晴らしい映像が撮れてても使わないこともあるよ。ドラマを語る上でのストーリーと無関係なものは使わない。美しくて、息を呑むようなシーンだったとしても、物語に貢献しない映像は使わないんだ。
でもそれって本当に苦渋の選択だよ。編集作業は残酷な作業だ。物語と関係ないシーンを入れ始めたら、時間ばかりを無駄にしてしまう。どんなにその美しいシーンを使いたかったとしてもね。僕は映画の中のどの瞬間も、どの息づかいも、物語を語る上での「目的」を持っていることが必要だと考えている。
Q 映画製作ではなくて、アスリートとして始めたあなたが、編集についてそこまでのこだわりを持っていることに少し驚きます。
ジミー そうだね(笑)。メルーの編集には、1年半も費やしたんだ。何回も仮編集でいろいろな人に見せた。編集スタッフは本当に素晴らしかったよ。
僕はよく映画を見るほうなんだ。映画製作のメンターもいる。僕の一番最初のメンターはリック・リッジウェイだ(冒険家、登山家、パタゴニアの環境イニシアチブ部長)。それからデヴィッド・ブシェル(映画プロデューサー)とかかな。僕はこの映画を作るにあたって、チームに恵まれたと思ってる。
Q 今回の映画製作全体を通して、なにが一番、たいへんだったのでしょうか。
ジミー 編集が一番難しかったと思う。うまくいかない部分もあって、何度もやり直さなければならなかったんだ。時間も消費するけど、なにより長引けば長引くほど予算をどんどん使ってしまうから、映画自体のファイナンスも苦しかったね。そんなプロセスの中にいて「絶対にいい映画になるって信じている」のは自分だけ、それが辛かったかな。
Q この映画では、さまざまな関係者が登場しますが、友人、仲間、顔見知りへのインタビューは、難しいものだったのでしょうか? 知り合いなだけに、内面を吐露するのが難しいこともあるのでは?
ジミー そうだね。とてもとても難しい作業だ。だから何人かのインタビューは僕の妻のエリザベスが行なった。彼女はクライマーじゃないしこの世界の外の人間だ。それが功を奏していると思う。僕自身は、エリザベスがインタビューしている間は、その部屋にも入らなかったんだ。映画の中で欲しい話はわかっていたから、質問内容を考えるのは一緒にやったんだけど、インタビューに同席するのはあえてしなかった。僕が部屋にいることで、話者になんらかの影響があると思ったからね。僕は彼らとの関係性が近すぎる。ジョン・クラカワーは僕がインタビューしたんだ。友達ではあるけど、彼の存在は映画の中でもバランス良く配置されているし、もともとそういう存在なんだ。
Q この映画を作ってよかったと思った点はなんでしょうか?
ジミー まずはこの映画のおかげで、フィルムメイカーとしてもフォトグラファーとしても、そしてクライマーとしても今後も息の長い仕事ができることが、一番のご褒美だと思ってる。自分が信じる何かを表現して発表するという行為が、他の誰か、ましてや自分のメンターの人生に貢献することは、光栄なことだ。たとえばコンラッドとかね。僕にとって、この映画にとって、一番大事なことは、コンラッドがこの映画の存在に対して、ハッピーだと思ってくれることなんだ。コンラッド自身が自分にとって意味がある映画だと思ってもらえることが一番大切だった。もしたくさん映画賞をもらったとしても、コンラッドが気に入ってくれなければ、僕も幸せだとは思わなかっただろう。コンラッドの人生や彼のクライマーとしての功績は本当に素晴らしい。そのことに僕も何か少しでも貢献したいと思ったんだ。
Q 尊敬している冒険家はいますか?
ジミー もちろんたくさん尊敬している人はいるんだけど、コンラッドほど僕の人生にインパクトを与えた人はいないよ。彼は友人でもありメンターでもある。若い世代の才能やエネルギーには、刺激をもらっているよ。僕の世代が「若い世代」だったのだって、そんなに昔のことじゃないんだけどね(笑)。
だからまだ僕は若いアスリートたちへの共感も持てる。共有できる感覚が楽しいと思うことも。彼らが見せる才能や情熱、凄まじい進歩は、とても刺激的だ。人間のポテンシャルは無限大だと僕は思ってるんだ。どの世代もみんな自分たちの限界を押し上げている。ラッキーなことにそういう素晴らしいアスリートたちと一緒に仕事をする機会に恵まれているおかげで、それぞれの世代の最前線はなにか? ということを目の当たりにできるんだ。
僕は人間がその限界点をもっともっと先へと広げているのを見るのが好きなんだ。そんな人たちをみてると、「人間のポテンシャルには終わりがないんだな」、って感じることができる。サーファーのジョン・ジョン・フローレンスや、クライマーの白石阿島も素晴らしい、アレックス・オノルドもそうだ。でもどのスポーツでも限界に挑戦している若い才能はたくさんいるね。
Q そもそも登山家になった理由は?
ジミー 山が好きなんだ。山だけじゃなくて、外にいるのが好き。海も好きだ。山からいろんなインスピレーションを受ける。なぜか? と聞かれて、これだ、という定義はないかな。例えば「なんであの人と恋に落ちたのか?」って聞かれても、きっちり説明なんてできないだろう?
山からもらう学びのプロセスも好きだし、とにかく山に行っていれば、eメールをやらなくて済む(笑)。あ、こうやって書いてよ、「僕が山に登る理由は、eメールをやりたくないからだ」って(笑)。
Q 映画中にも出てきますが、仲間を失ったときは、どのように自分を納得させ、その現実から立ち直るのでしょうか?
ジミー そうだな…(長い沈黙)とても難しいと思う。人間が自分のパッションや動機や目的に従って生きるとき、それって、うーん、とても難しい。
個人的には、僕は山や海が必要だし、生きてる実感を得るにはアウトドアが必要なんだ。平和な気持ちや、満足感をくれるもの。
それから「生きている意味」を見出せるのも、アウトドアにいるときなんだ。
There is no reason to do it。そう言った方がしっくりくるかな。好きなことをするのに理由なんかない。でも…うーん、よくわからないな。どうして友人たちを失った山に僕は行くんだろう?それはきっと、乗り越えるためだ。きっと、ね。
Q メルーの克服に成功した後、新たな目標はあるのでしょうか?
ジミー 新作の長編ドキュメンタリー映画を製作中なんだ。まだしばらくかかるけどね。
『MERU/メルー』
監督:ジミー・チン、エリザベス・チャイ・バサヒリィ
登場⼈物:コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズターク、ジョン・クラカワー、ジェニー・ロウ・アンカー、エイミー・ヒンクリー、グレース・チン、ジェレミー・ジョーンズ、ショーン・アーロン
配給:ピクチャーズデプト 2015/アメリカ/カラー/91分 /ドキュメンタリー
原題: MERU © 2015 Meru Films LLC All Rights Reserved.?
↑1,500mの断崖絶壁に吊るされたポータレッジから撮影された、前代未聞の恐怖映像!
(c) pictures dept. 2016 all rights reserved.