久留米市にある専称寺に野田知佑さんが納骨されたと聞き、お墓参りに出かけた。バックパッカーの自分らしく、バックパッキングスタイルのお墓参りである。
いつものように旅の詳細は9月号のBE-PALの連載『シェルパ斉藤の旅の自由型』に記したので、そちらを読んでもらうとして、本誌では掲載できなかった写真やエピソードを紹介しておきたい。
フェリーで関西から九州へ!
関西と九州を結ぶフェリーは何便もある。大阪南港と新門司港を結ぶ名門大洋フェリーは1日に2便運航しているし(帰路はそちらを利用した)、別府港行きや志布志港行きなどの航路もある。フェリーに一晩泊まれば、翌朝にはスッキリとした状態で九州へ上陸できるのがありがたい。波が穏やかな瀬戸内海を航海するので、ほとんど揺れを感じずにぐっすりと眠れる。露天風呂もあって、Wi-Fiも接続できて、じつに快適だ。僕が乗船した日は台風4号が九州に上陸予定となっていたが、影響を受けることなく運航していた。また料金が安いこともフェリーの魅力。ネットで予約すると20%引きになり、阪九フェリーの場合はスタンダードの部屋が¥6,790だった。交通費+ホテル代として考えたら格安だ。
炭鉱の町、田川を歩く
新門司港から久留米市の専称寺までは約80km。基本は歩き旅だけど、全行程を歩き通す気はなかった。土の道ではなく路面が硬い舗装された道路を、キャンプ道具が入ったバックパックを背負って歩き続けるのはつらい。それに台風が上陸するため、テント泊を避けてあらかじめ宿を予約しておいた。新門司港からその宿までは41km。行程の半分以上は歩こうと決め、21km歩いた無人の呼野駅で2両編成の列車に乗り、田川伊田駅で下車した。
田川市は石炭産業で栄えた町だ。駅のすぐそばに田川市の石炭・歴史博物館があるので、ゆっくりと見学し(見学者は自分ひとりだけだった)、未知なる炭鉱の世界に思いを馳せた。
「みんなの学校」で心地いい酒に酔う
予約していた宿は、廃校になった旧猪位金小学校を利活用した『いいかねPalette』だ。たまたま僕が歩くルート上にあったので予約したのだが、「歩いてきた人は初めて」とスタッフに驚かれた。
ここには映像編集やレコーディングもできる本格的なスタジオもあるし、思いっきり体を動かせる体育館やライブラリーもある。教室をリノベーションしたドミトリーに泊まれるし、中庭では1日1組限定のオートキャンプやもBBQもできる。地域の子供や住民たちが集う憩いの場としてだけでなく、よそから来る人々も受け入れている『みんなの学校』である。
平日の火曜日だったこともあり、ドミトリーの宿泊は僕だけだったが、校舎の2階の部屋には臨時教諭としてこの地域にやってきた若者たちが長期滞在しているとのことだった。
毎月第1と第3火曜日は、日中に『おいとま食堂』の名で営業している給食室が臨時のバーになるそうで、タイミングよく第1火曜日に宿泊できたため、バーに足を運んで心地いい酒に酔った。
ショートヒッチハイクにチャレンジ
2日目は国道332号を10kmほど歩いたところでヒッチハイクをした。歩き疲れたわけではない。その先、嘉麻市と朝倉市の間に全長約3.8kmの八丁トンネルがあるからだ。歩道は設置されているはずだが、自動車の走行音が響き渡って出口が見えないトンネルを1時間近く歩き続けるのは精神的につらい。トンネルの区間だけ乗せてもらうショートヒッチハイクにチャレンジした。
ヒッチハイク歴30年以上、これまでに乗せてもらった車が200台以上になる僕だけど、コロナ禍以降は他人と密になるヒッチハイクはよろしくないと思って控えてきた。
コロナ禍の状況では苦戦を強いられるだろうなと覚悟していたが、予想外の展開となった。そこで起きたドラマは本誌の連載を読んでもらいたいが、おかげで僕は『還暦ヒッチハイカー』を堂々と名乗れるようになった。
野田さんにたっぷりお酒を飲んでもらおうと思い、アルコール度数の高いウイスキーを道中で買って専称寺をめざした。
夏の空が美しかった。陽射しが照りつける舗装路を歩くのはつらかったけど、野田さんが好きだった夏の空に励まされて、最後まで歩き通した。
専称寺に到着したときは達成感があったし、野田さんのお墓を見つけたときは感激した。でも野田さんがお墓で眠っている気にはならなかった。
野田さんがこんな日に川で遊ばないわけがない。1日中川に潜って、魚と戯れているはずだ。あるいはビールを飲みながら川を下っているかもしれない。
ここに野田さんはいない。野田さんは世界中のどこにでもいる。それを実感できただけでも、ここまで歩いてきた意味があると思った。