カヤックでルーマニアとセルビア国境にある「アイアンゲート渓谷」へ。洞窟と史跡を探訪してみた
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    2022.09.22

    カヤックでルーマニアとセルビア国境にある「アイアンゲート渓谷」へ。洞窟と史跡を探訪してみた

    アイアンゲート渓谷の入口あたり

    アイアンゲート渓谷の入口。右手にゴルバツ要塞。左手の谷がアイアンゲート渓谷。

    知らなかった世界遺産候補

    大河をカヤックで旅していると、知らない間に世界遺産候補地を漕いでいることもあるみたい。ドナウ川にあるその場所の名前は「アイアンゲート渓谷」。ドナウ川を源流域のドイツから河口の黒海までカヤックで下る5か月におよぶ旅のなかで、正直一番漕いでいて楽しかった場所でもある。

    場所はセルビアとルーマニアの間にあって、渓谷の北側がルーマニア、南側がセルビアになる。

    ポツンと浮かんでいる島

    湖みたいに広いドナウ川。ここの川幅は5.5km。ポツンと浮かんでいるこの島は、ルーマニアのもの。勝手に上陸すると怒られるとカヤッカーの間で有名。

    といっても、川を挟んで二つの国が接している箇所はドナウ川にたくさんあって、アイアンゲート渓谷がユニークなのは、川幅がものすごく広くなったと思ったら、いきなりキュッと狭くなるところ。

    渓谷、という名前の通り、谷の間を川が流れているのだが、そのすぐ手前がドナウ川で一番川幅が広い箇所で、なんと川幅5.5km。そこから渓谷に入ると、もっとも狭いところで川幅が150mほどまで縮まってしまう。水量はそのままで川幅だけが細くなるので、水深はかなり深い。私とほぼ同時期に通過した別の船曰く、彼らの水深計は80mを示したらしい。このアイアンゲート渓谷を有するドナウ川は、ヨーロッパで一番深い川としても記録されている。

    しかも、およそ100km続くアイアンゲート渓谷のうち、セルビア側の広範囲がユネスコの世界遺産候補リストに載っているらしい。これはカヤック旅を終えた後に知ったことだけど、納得の見応えある渓谷美。景と知られざる歴史が詰まったアイアンゲート渓谷へ、いざ。

    ヨーロッパ最大の岩に彫られた彫刻

    ダキア族最後の王様のお顔

    ダキア族最後の王様のお顔。石に彫られた像としてはヨーロッパ最大。

    アイアンゲート渓谷を象徴する景色といえば、これ。岩に彫られた彫刻としてはヨーロッパ最大といわれている。それは、ルーマニアを中心とした古代ヨーロッパ地域ダキアを統治していた最後の王様、デケバルスを模した彫刻。ローマ帝国による度重なる侵略により最期を迎えた。

    彫られたのは意外と近代で、完成したのが2004年。12人の職人が10年かけて掘った作品らしい。これを見るために小さな観光船がたくさん出ているのだけれど、カヤックで行ったからど真ん中でタダで見られた。

    トラヤヌスの遺跡

    デケバルスを討つために掛けられた橋の記念碑

    デケバルスを討つために掛けられた橋の記念碑。

    「うーん、これは一体?」

    川下り中に唐突に現われた石柱と小さな舞台…。どことなく古代ローマ風に見えるのは気のせいでなく、確かに古代ローマにゆかりがあるものだった。

    遡ること西暦105年。ドナウ川下流で最古といわれる橋が、古代ローマの皇帝トラヤヌスによってここアイアンゲート渓谷に建造された。たくさんの石造りのアーチを連結した、当時としては世界最長の橋で、きっと工事は大変だったはず。先ほど紹介した岩の彫刻デケバルス率いるダキア軍を討つためにつくられた橋だったらしい。歴史の渦のなか、橋そのものは建設からわずか165年後に破壊され、現在はこの記念碑だけがドナウ川に残されている。

    余談だが、この記念碑、アイアンゲート渓谷の名前の由来であるアイアンゲートダムを下流に建設した際、川の水位が35mも上がってしまって、水没の危機に直面した。そのため大規模な工事を行なって、今の場所まで持ち上げたという背景がある。

    風船の形をした信号機

    崖の中腹から伸びた鉄骨の先にある風船型の信号機

    写真中央奥。崖の中腹から伸びた鉄骨の先にある球体が、風船型の信号機。

    現代のアイアンゲート渓谷は、下流にダムがつくられたおかげで水量も交通量も安定的にコントロールされているのだが、かつてはその狭さと交通量の多さから船の運行にとっては危険箇所となっていた。

    当時、船の信号機の役割をしていたものが、岸壁に突き出した風船の形をした物体。風船が上がっているときは、通行して良し。風船が下がっているときは、向こう側から船が来るので、通過待ちをせよ。という意味だったらしい。

    今はバルーン・ステーションの愛称で、アートギャラリーやレストランに改装され観光客に親しまれている。

    トンネル巡り

    アイアンゲート渓谷で一番長い洞窟の入口

    アイアンゲート渓谷で一番長い洞窟の入口。

    アンアンゲート渓谷を形作っている岸壁をよく観察すると、ところどころポコポコ穴が空いていて、洞窟がたくさんある。そのなかでももっとも大きいのがこの洞窟。全長1.6kmもあるらしい。

    洞窟の中

    この日は100mほど進んだところで地面に乗り上げてしまい、あまり奥までは漕げなかった。

    真夏の暑い日に行ったけれど、洞窟の中はひんやり。そして真っ暗。通る風のせいなのか、それとも奥にコウモリでもいるのか、聞こえるはずがないコヨーテの鳴き声みたいな、高くてザワザワした音が時折反響していた。

    後ろを振り返ると、洞窟にツアーの船が続々と入ってきた

    後ろを振り返ると、ツアーの船が続々と入ってきた。

    小型船で洞窟をめぐるツアーなんかもあって、ひっきりなしに船が入ってくるため、落ち着いて探検はできない。団体のボートに乗るより、一人でカヤックで探検する方がずっと自由ではあるのだが、洞窟を出てもここら辺はとにかくボートがひっきりなしに往来していて、なかなか落ち着いて漕げない。

    川の右側にも左側にも見どころがあって、ずっと片方の岸ばかり漕いでいるわけにもいかないのだけど、あんまり真ん中を漕いでいると、右側を追い抜く船がザブンと波を生み、そして間髪入れずに今度は左側をすれ違う船がまたザブンと波を生む。左右の波がぶつかって交差して、水面がグワングワンと揺れる。船酔いしそうだ。

    ラペンスキー・ビルと8000年の歴史

    ラペンスキー・ビルの博物館

    ラペンスキー・ビルの博物館。

    アイアンゲート渓谷にはすごく、おもしろい古代遺跡が眠っている。その名も「ラペンスキー・ビル」。8000年の歴史がある古代遺跡で、小さな家をたくさん建てていたこと、そして個性的な人形を作っていたことで有名らしい。

    実際に発見された家の土台部分にあたる場所を、地面ごと切り取って、この博物館で年代別に並べている。

    ラペンスキー・ビルの人たちが住んでいた家の再現模型

    ラペンスキー・ビルの人たちが住んでいた家の再現模型。

    ラペンスキー・ビルの古代文化では、石の土台の上に木で円錐状の骨組みを作り、藁のようなものを被せて家を作っていた。一棟の大きさは小さく、3人が住める程度しかなく、いくつも同様の家を並べて集落を形成していたらしい。察するに、集落の人口そのものは案外こじんまりとした規模だったようだが、掘り起こされた人骨の中には身長2m近いものもあり、栄養状態は良かったのではないかといわれている。そんな彼らがよく食べていたものは何かというと、ズバリ、ドナウ川の魚。

    ラペンスキー・ビルの岩人形

    ラペンスキー・ビルの岩人形。鱗の模様が彫られているものもあった。

    そしてラペンスキー・ビルを象徴する出土品が、この人形。岩を掘って作られたもので、その顔は人間というより、魚っぽい。特徴的なまん丸の目に、口角が下がった口。見れば見るほど魚っぽい。

    博物館の学芸員をしているお姉さん曰く、こういう顔の人形は、ラペンスキー・ビルの歴史の初期の頃に作られたもので、後期になるとめっきり作られなくなってしまったらしい。代わりに無地の比較的シンプルなデザインの食器類が作られるようになって、おそらくは、農作物や食べ物を保存する文化が開花した時期と重なるそうだ。実用的な器を作るために労働力が向けられて、魚の顔の人形を作る余裕がなくなっていったのではないか、という説だった。

    ラペンスキー・ビルの人たちは、亡くなったあと、遺体を家の下に埋めることがあったらしい。家の下に埋められるのは、あくまで家長や位の高い人だけだったそうだが、埋めるときは体の向きが決まっていたらしい。必ず、ドナウ川と並行に、頭を下流に向けて、埋葬していたという。魂が川の流れに乗って成仏するように。

    おまけ

    小さな浜にカヤックを引き上げて、博物館へ向かった

    小さな浜にカヤックを引き上げて、博物館へ向かった。

    ちなみにこのラペンスキー・ビルの博物館は、バスや車でなら簡単にアクセスできるのだけど、カヤックで行こうとすると、周辺に船着場がないのでなかなか不便だったりする。

    見逃せない観光スポットとして地元の人に強く推された場所なので、なんとしても立ち寄ろうとキョロキョロしていると、川岸にキャンピングトレーラーがたくさん停まっているのを見つけた。

    お世話になったキャンピングトレーラー

    お世話になったキャンピングトレーラー。

    もう牽引して走らせるにはボロすぎるものをここに置いて、別荘みたいにして週末の魚釣りに活用しているらしい。持ち主のご好意で、ありがたいことに私もカヤックを上陸させて一泊させてもらえることになった。

    ラペンスキー・ビルのそばの食堂で食べたスープ

    ラペンスキー・ビルのそばの食堂で食べたスープ。

    すぐ近くに地元の人が集まるレストランがあって、魚のスープをご馳走になった。魚のスープというと、ドナウ川を下るこの旅でハンガリーあたりから見かけるようになった郷土料理で、地域によって味付けがだんだん変わっていくのに気がついた。ハンガリー北部のは出汁の味が強くて唐辛子はあまり効いていなかったのが、ハンガリー南部に出るとかなり辛くなって、そしてここセルビアの終わりでは、魚の身が切り身ではなくミンチ状になった。隠し味として、食べる前に透明の液体をスプーン一杯入れていたけれど、あの液体は何だったんだろう。もし知っている人がいたら、教えて欲しい。

    私が書きました!
    剥製師
    佐藤ジョアナ玲子
    フォールディングカヤックで世界を旅する剥製師。著書『ホームレス女子大生川を下る』(報知新聞社刊)。じつは山登りも好きで、アメリカのロッキー山脈にあるフォーティナーズ全58座(標高4,367m以上)をいつか制覇したいと思っている。

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