みんなグリッチに辿り着いた。
「渋谷や新宿ではなく、神保町という街で日本のスタイルを発信したかった」という「GLITCH COFFEE&ROASTERS」のキヨさんこと、鈴木清和さん。b*pでもたびたびお世話になっているコーヒーショップだ。
オーナーであるキヨさんは、かつては「ポール・バセット」というカフェで働いていた。さらにさかのぼると一般的なサラリーマンだった。
「サラリーマン1年目から、毎日毎日、同じ場所に通っていると将来に不安を感じてしまいました。ここに定年まで通うのかと考えたみたところ、自分のなかで出た答えはNO。それらならば、そこに勤めていても時間がもったいないし、やりたいことを探そうといろいろな趣味を始めてみたんです。そのひとつがコーヒーでした」
「ポール・バセット」には11年ほど勤めた。入社当時は、まだスターバックスに代表されるシアトル系コーヒーが日本に入ってきたばかりで、エスプレッソやラテアートが注目され始めた頃。カフェラテとカプチーノの違いもまだまだ認識されていなかった。
キヨさんは、自由なワークスタイルやライフスタイルという今では当たり前に語られるキーワードを、当時から自然と追いかけていたようだ。
「自分の好きなスタイルのお店をつくれると思ったんですね。中華料理店でヒップホップが流れていたらおかしいけど、コーヒーショップなら構わないし、好きな服で働いてもいいわけです」
そして「ポール・バセット」から独立するときに選んだのは、冒頭の通り“若者の繁華街とはいえない”神保町だった。
「渋谷や新宿だと、ブームに流されやすいですよね。神保町には古本、喫茶店など、長く続いている店がたくさんあります。腰を据えるとしたら、そういう街がいいと思ったんです」
「世界を旅しながら珈琲を淹れた」
2014年、キヨさんはエアロプレスを使って淹れるコーヒーの国内大会で優勝した(ポール・バセット時代)。時を同じく開催された世界大会予選で準優勝したのが、当時「ポール・バセット」で、現在はGLITCH COFFEE&ROASTERSに合流している塚田健太さんだ。かつてはスターバックスや大手カフェなどで働きながら、自らエスプレッソマシンを購入し、自宅でラテアートを勉強していた。しかし独学では限界があると、ポール・バセットで働き始める。その後、放浪の旅に出た。
「世界中にはいろいろな人がいますね。たとえばインドのゲストハウスでは、アーティストも泊まっていれば、金持ちも貧乏なやつもいる。そうかと思えばインド人もそこに絡んでくる。そのゴチャゴチャな環境を体感してからは、無理して成功とかお金とかを人生の目標にするのは浅はかなことだと感じてしまったんです。だから日本に帰国して、まずは自分が一番パフォーマンスを発揮できることをやろうと、当時立ち上がったばかりだったGLITCH COFFEE&ROASTERSに入れてもらいました」
健太さんに「コーヒーの何が好きですか?」と問えば、「愚問ですね。女の子を好きなことに理由なんてありますか?(笑)」と答える。女性とコーヒーは同じ階層。DNAレベルのコーヒー愛が健太さんには満ちている。
ジンセイを変えてくれた一杯のコーヒーとバリスタ
入社したばかりの小島朋則さんは、バリスタ経験がなかった。
「コーヒーとバリスタというものに、人の人生を変えることができるくらいの大いなる可能性を感じています。実は前職もカフェに務めていたのですが、マネージメント業で、ほとんどコーヒーを淹れたことがありませんでした。しかしコーヒーの概念をぶっ壊されたのがGLITCH COFFEE&ROASTERSなんです。実際にそういう体験があり、素晴らしい仕事であると感じています」
小島さんは、これまでのふたりと違って、少し変化を持った角度からコーヒーやGLITCH COFFEE&ROASTERSを見つめている。
「僕はダブルワークしています。GLITCH COFFEE&ROASTERSでバリスタの修業をしながら、コーヒーの職人的でクラフトマンシップの側面を勉強。もうひとつの仕事ではホスピタリティを学んでいます。いつかこのふたつを合体させたいと思っています」
≫◎【インタビュー】「GLITCH COFFEE&ROASTERS」(後編)に続く
GLITCH COFFEE&ROASTERS