その土地だからできるビールがある。飲めるビールがある。ローカルを大事にするブルワリーのビールを飲みたい。2018年に東京の昭島駅近くオープンしたイサナブルーイングの代表、千田恭弘さんにインタビューした。
ハードからソフトへ。醸造長は元半導体エンジニア
東京昭島市。JR立川から青梅線で4つめの駅、昭島。モリパークアウトドアヴィレッジのある町だ。今年の夏は、映画「ゆるキャン△」の舞台でも話題になった。アウトドアショップの他、キャンプ場、クライミングウォール、さらにはテニスコートなど、アウトドア&スポーツな町にブルーパブ「イサナブルーイング」はある。オープンは2018年。場所はモリパークアウトドアヴィレッジとは駅をはさんだ向こう側だ。拝島大師につづく大師通り沿いのマンションの一階である。
代表の千田さんは、醸造の世界に入る前、半導体や精密機械の部品などの研究開発をしていた。
「最先端のテクノロジーで世の中をよくしたい」と思っていた。それが30歳を過ぎた頃、ふと、ソフトなものに目が向いた。「たとえば町の中のカフェや雑貨屋さん、花屋さん、そういう場所も人を幸せにできるよな」
大学時代、スターバックスコーヒーで4年間、アルバイトした。“コーヒーはコミュニケーションツールである”という考え方が気に入ったし、実感したという。卒業後は機械メーカーに就職したが、ゆくゆくは脱サラしてカフェ経営という将来図を描いていたそうだ。
しかし、カフェの事業計画を立てて気がついた。単価が低いので、個人経営のカフェは、けっこうハードルが高い業界なのだ。では、ビールはどうだ?
昭島市の水道水は東京一うまいって知ってた?
千田さんがビール好きになったのは、20代後半になってのこと。たまたま北海道の小樽で飲んだヴァイツェンに感激した。こんなにおいしいビールがあるのかと。その後、イギリスはロンドンまでビアバー巡りの旅に出て、クラフトビールの奥深さを知る。日本のビールとひと味もふた味も違うビール。フランクでカジュアルなバーの雰囲気。朝から開いている明るいパブ。ビールもコミュニケーションツールなんだ……。千田さんはカフェより客単価の高いブルーパブに目標をマイナーチェンジした。
国内のブルワリーを見学に回った。ベアードビール(静岡県)、リパブリュー、反射炉ビア(以上、静岡県)、ヤッホーブルーイング(長野県)、松江ビアへるん(島根県)など、名だたる醸造所を見学して回った。醸造技術は、青梅線沿線の先輩ブルワリー、奥多摩のVERTERE(バテレ)で修行した。
ブルーパブの立地に昭島を選んだのは、千田さんがアウトドア好きだから、ではなかった。たまたま会社勤め時代から住んでいて地の利があったこともあるが、何より「水がいい」ことが気に入った。
昭島市の水道水は地下70メートルから汲み上げた深層地下水のみを使用している。水道法で定められている最小限の薬品は入れているが、その他の浄化処理を行っていない、つまり、水道の蛇口をひねると、ミネラルラルウォーターが出てくる町なのだ。ビールの9割以上を占める水が「おいしい」ことは大きな魅力だったし、それをアピールすること自体が地元へのアピールにもなった。
マンション一階の店は約20坪、定員15席のこぢんまりした飲食スペースのガラス越しに、醸造タンクがそびえる。現在、290リットル仕込みのタンクが4基と、決して醸造量は多くない。缶製品も作っているが、まだECサイトの整備が追いついていない状況だ。ブルーパブの収益でなんとかなっていると話す。
飲食店、市役所、いろんなコラボ話が持ち込まれる
コロナ禍をはさみオープンから5年。ビールはコミュニケーションツールになっているだろうか?とたずねると、いろんなコラボ話が盛んに持ち込まれているようだ。
近隣のイベントに呼ばれたり、コラボビールをつくったり。地元の酒蔵と組んで日本酒の米麹を使ったビールもつくった。取材時は、お隣のあきる野市のくじら肉の店「らじっく」とのコラボビール、アラビアのお菓子クナーファをつくる青年とのコラボ企画が計画中だった。オープン前に研修に訪れた島根の松江ビアへるんとは、交互に行き来してお互いのコラボビールをつくる予定がある。
市からオリジナルビールのオファーも来た。昭島では毎年「産業まつり」が開かれているが、今年もコロナ禍でリアル開催が見送られた。代わりに企画された商店街のスタンプラリー。その景品のひとつが、イサナブルーイングの「オリジナルビール」なのだ。これは地元民でないとなかなか飲めない……などなど、イサナブルーイングは昭島で大活躍している。
ちなみに、昭島市は、200万年前のくじらの全身骨格が発掘された場所(現在の多摩川河川敷JR八高線多摩川鉄橋の近く)として、その分野ではつとに有名だ。イサナブルーイングの「いさな」は、くじらの和名「勇魚」に由来する。
映画「ゆるキャン△」の舞台になったことで、最近はアニメファンにも知られるブルワリーになった。主人公、各務原なでしこが高校を卒業後、就職先したのが昭島の駅近にできたアウトドアショップという設定。映画公開後は、キャンプ場にこれを買って持って行く人が少なくなかったらしい。
エンジニア時代の実験経験が生きている
現在、イサナブルーイングの定番ビールはひとつ。小さなタンクで次々と新作をつくるので、定番の種類を増やせないというのが目下の課題だ。その次々とつくられるビールには、醸造者千田さんのエンジニア出身のアドバンテージがあるように思う。
「新しい原料を試す、それは実験に似ていますね。実験は結果の予想を立てて行います。何をどれだけ変えたらどう変わるか、イメージできる。そこは研究実験を繰り返してきた経験が活かされているかもしれませんね」
もうひとつ、イサナブルーイングにおもしろいメニューがある。窒素100%でサーブされるビールだ。ふつう、ビールは炭酸を含んでいる。泡がシュワシュワするのはそのためだ。一方、炭酸の代わりに窒素が多いとシュワシュワしない。アイルランドの「ギネスビール」が有名だが、グラスに注がれたギネスにはクリーミーでトロトロッとした泡がのる。窒素8割、炭酸2割くらいの配合だという。では窒素10割にしたら?
千田さんはガス屋さんに相談して、ビール用の窒素を購入。10割窒素ビールをつくってみた。
注ぐやいなや茶色い濁流がうずうずと流れるように沈んでいく。見ているだけで楽しい。取材時は、炭酸入り「過ぎ夜の月弧をはじく計算式の中で」のタップもあったので、味比べをすることができた。同じレシピで造られたビールなのに、最後に注入するのが炭酸か窒素かで味がかくも変わるかと驚いた。
100%窒素で飲めるビアバーは少ない。ブルーパブならなおさらレア。「最近、100%窒素ビールを出したいという方が見学に来られます。100%窒素の輪を広げていきたいですね」と、千田さんは楽しそうに話す。
ビールはコミュニケーションツールになる。それを実践している。蓄積するネットワークと、あふれるアイデア。無限に広がるクラフトビールの可能性を感じさせてくれる。
イサナブルーイング
https://www.isana-brewing.com