私たちの生活に欠かせない「火」。食事を作る、暖を取る。
生活の手段でもある火というエネルギーは、
いまや電気へと移り変わりつつある。IH然り、エアコン然り。
だが、火は人の営みの原点。達人たちは今、あえて時間をかけて
火に向き合い、火とともに暮らしている。
アメリカから日本に移住し、長く薪ストーブの啓もうに励む達人、ポール・キャスナーさんのライフスタイルをご覧いただこう。
ドングリを植えて木を1本いただく
火日常で実現する「循環型スタイル」
きっかけは“November Steps”。武満徹が作曲した琵琶と尺八のためのオーケストラ曲だ。
「小澤征爾指揮のもと、ボストン交響楽団が奏でているのを聴いて、何これ!? って。尺八の音色にすっかり魅せられて日本に行くことを決めたんだよね」
1976年、23歳のときに初来日。1ドル360円の時代だった。最初は観光ビザで尺八の大家を巡り、弟子入り先を探し、’78年に本格的に移住した。
「尺八のプロを目指しての貧乏暮らし。どうせ貧乏なら田舎に住もうと思って、長野県南部の豊丘村に移住しました。それから13年ぐらい、尺八と自給自足生活を続けていましたよ」
慣れない田舎暮らしを支えてくれたのは、ご近所で出会ったひとり暮らしの80代のお爺さん。
「背負子や手斧、のこぎりを持って山に入る暮らしをしていました。そのあとにくっついて行って、見様見真似で手仕事を教わりました。『このキノコは毒だからダメ』、『この木はかぶれるよ』。方言で喋るからなかなか聞き取れなくてね。でもたくさんのことを学んだ。いま思うと、きっと迷惑だったよね」
囲炉裏で暖を取り、薪で風呂を沸かす。料理も薪のかまどで作った。はじめて使った薪ストーブも、だるまストーブだった。古き良き日本の田舎暮らしをリアルに知る数少ないひとりだ。
ポールさんの田舎暮らしを拝見!
おぉなかなか頑固な木だ!
日本の山暮らしで学んだ火の在り方
自然と対峙しながらも共生する
スイッチのない不便さも、遊びと思えば面白い
火日常の生活には自由があふれている
「お爺さんは木枠を作ってそこにドングリを植えていました。落ち葉で上から覆っておくと、芽が出て苗が育つ。春になるとそれを山に植えるんです」
お爺さんの真似をして、薪を得るために木を切ったら、ドングリから育てた苗を1本植えた。コツコツ続けると、5〜7年のサイクルで同じ場所に手のこぎりで切れるくらいの木がまた育つ。森を循環させることは、先人の知恵でもあった。
最初はだるまストーブを使っていたポールさん。アメリカに帰省した際に、アメリカのストーブのほうが効率がいいとわかり、自分で輸入して替えることに。それを見て、欲しいという人が現われるようになり、薪ストーブの暮らしを広めるため、
’87年に薪ストーブの輸入販売をする「ファイヤーサイド」を設立。
それから35年。化石燃料を用いた暖房器具が当たり前になった今も、ポールさんの生活は火とともにある。
「少し冷えてきたから、薪燃やそうか。ランチはピザがいいね」
デッキに設えた焚き火台に薪を組む。麻ひもをほぐして載せたら、ファイヤースターターで火の粉を飛ばし、着火。
「スイッチひとつでできないけど、遊びと思えば楽しいよね。プロセスがあるぶん、火がついたときは感動と達成感を味わえる」
お次はピザ窯の準備だ。
「この子にもエサをあげなきゃ」
楽しそうにペレットや森で拾った小枝を入れ、火をつける。
「温まるのに時間はかかるけど、その間にピザの準備をすればいい。ハーブを摘んでこよう」
窯の温度を確認しつつ、ピザの生地を延ばし、お手製のピザソースを塗る。摘みたてのハーブから爽やかな香りが漂う。無駄なことなど何ひとつない。
「さあ、ピザを入れるよ」
大きなヘラのようなピールを使い、回転させながら2分も焼けば完成だ。生地はパリッとチーズはとろ〜り。縁の焦げ目が食欲をそそる。焚き火を囲んでコーヒーとともにいただきます! ついつい薪を追加して、時間が経つのを忘れてしまう。
「部屋の薪ストーブにも火を入れておかなきゃね」
シーズンはじめは、煙突からハチが入り込んで、ストーブ内に巣を作ることも。そんなアクシデントも何のその。
「これからの時代、自然を相手にできる技術を身につけることが大切。いつ何が起こるかわからないでしょ。薪は自分で作れる、自立したエネルギー源になる。寒い時季の災害でインフラが麻痺しても、薪ストーブならお湯が沸かせるし、料理もできて、ある程度の豊かさが守られる。カラダを動かす動力は必要だけど、その代わり火日常の生活には自由があふれています」
デッキのピザ窯でクラフトピザを味わう
キッチンストーブがあれば毎日が焚き火料理
道具は変われど、火との共同生活に変わりなし
※構成/大石裕美 撮影/花岡 凌
(BE-PAL 2022年12月号より)