私たちの生活に欠かせない「火」。食事を作る、暖を取る。生活の手段でもある火というエネルギーは、いまや電気へと移り変わりつつある。IH然り、エアコン然り。だが、火は人の営みの原点。達人たちはいま、あえて時間をかけて火に向き合い、火とともに暮らしている。達人が実践する「火」の暮らしの実例を、作家・イラストレーターの遠藤ケイさんのライフスタイルから紹介しよう。
作家・イラストレーター 遠藤ケイさん(78歳)
3mもの雪に埋もれる新潟県三条市の山間に遠藤ケイさんは暮らしている。約20年前、越後の名峰・守門岳と粟ヶ岳が見えるこの地を気に入り、土地を買い、みずからの手で家を建てた。
「それまで温暖な房総に住んでいたけど、自然の厳しいところでもう一回鍛え直そうと発起し、故郷に帰って、いちから生活を築きはじめました」
水道水は、沢水。便はコンポストトイレで堆肥にして畑へ循環。台所の熱源はプロパンガスで、電気も通っているが、生活の中心は薪を燃すことにある。
一日の始まりは自作釜でふっくら炊くムカゴご飯
時計の短針が真上に来るころ、竹カゴを持って裏山へ分け入った。ムカゴを採集して、友人が育てた新米と一緒に、取材班のために炊いてくれた。うれしい。熱源は、自作のかまどだ。野菜をサクサク切るように焚き付けを削ると、丸めた新聞紙で点火。すぐに炎が上がった。
「火をおこすことは、幼いころからの日課です。赤くなった炭をコタツや火鉢に入れるのが、子供の仕事だったから」
薪は知人からいただいた間伐材がメインで、薪のための伐採はしない。あとはたびたび豪雪が倒木を運んできてくれる。
耳を澄ませて米の声を聞く。
「静かにゆっくり薪をくべながらかまどで炊くのもいいもんです」
コシヒカリとムカゴはホクホク、ツヤツヤ。こりゃうまい。
元口を上に振り下ろす
炎で鉄を焼いて打つ。生活道具まで作る山師
必要な生活道具はなんでも手作りする。これぞ、日本津々浦々の土地に根付く手仕事を長年取材してきた遠藤ケイさんの真骨頂であろう。薪小屋、薪ストーブ、薪風呂、斧、ナタも作る。つまり、それはなんでも直せる、ということ。半永久的に“使える道具”を身の回りに置いておくことである。
「この斧は自分で鍛造したもの。柄はヒノキを使って、グネグネと曲げて衝撃を逃すデザインにしている」
遠藤さんは、刃物を鍛造する鍛冶場もレンガで自作している。モノを作るにも薪と火が必要。生きることは火を操ること。衣食住と火が密接に関わる暮らしがここにある。
「ドラム缶風呂は、これまで何個作ったことか。横にして上面をカットしたタイプがいい」
沢水を入れたドラム缶の下で杉の間伐材を燃すと、あっという間にお湯になった。冷蔵庫からビールを持ってきた遠藤さんは、車に乗るような慣れた所作で湯船に浸かる。背中越しに夕陽に染まる守門岳が聳えていた。
一日の終わりにドラム缶でひとっ風呂
熱交換率が高い、横に寝かせたドラム缶風呂
火で体を温めて、内からも「熱燗で」温める
汗を流した遠藤さん、今度は火鉢の前に座った。薪ストーブから真っ赤になった炭を灰の上に敷いて、水を入れた鉄瓶を五徳にかける。すかさずチロルに日本酒を注ぎ、鉄瓶の中へ。火おこしの如く、流れるような美しい振る舞い。それにしても遠藤家のリビングは、骨董品屋のようである。木こりが使っていた両手挽き鋸やむしろ編み機など、古き良きもの使い込むことで命を再び吹き込んでいる。ストーブの炎とお酒が、遠藤さんの顔を赤く染めはじめた。
「いま使っているストーブは、最後の作品。 死ぬまで使う」
これまで遠藤さんが手作りした歴代の薪ストーブが、納屋に眠っていた。
「はじめて薪ストーブを作ったのは、東京から房総へ移り住み、田舎暮らしをはじめた29歳のとき。このようにドラム缶を加工、溶接したモノでした」
鍋を乗せられるように上面に鉄板を溶接し、丸い組蓋を設置。ガラス窓はなくシンプルで無骨な暮らしを支えるストーブである。ドラム缶は入手しやすく加工しやすいが、鋼鉄が薄いので放熱しやすい。より蓄熱する厚いものを! とタクシーの荷台に積まれたLPGボンベの時代がやってくる。
「安全面を考慮したガスボンベだから鋼材が厚い。蓄熱するから火が消えても暖かい」
さらに鋼材が厚くて、投入口が広く、掃除などメンテナンスがしやすい鉄筋コラム時代へと進化し、いまに至る。
この薪ストーブは、厳しい自然の中で暮らす遠藤さんの知恵と技巧が集約された作品だ。温度計の数値では表わすことができない、体を包み込むおもてなしのような温かみがあった。
遠藤ケイさんの自作薪ストーブ遍歴
ドラム缶時代
タクシーLPGボンベ時代
鉄骨コラム時代
デッキで楽しむピザストーブ
※構成/森山伸也 撮影/大森千歳
(BE-PAL 2022年12月号より)