——ただ、それだけ土地の信仰との結びつきが強いがゆえに、ラプラックの人々は今、難しい問題に直面しているそうですね。
石川:そう、実は今回の地震で地盤が緩んでしまって、村に住み続けるのが危険な状態になってしまったんです。あの一帯はもともと、モンスーンの時期になると地滑りが起こりやすくて、17年前にも大きな地滑りで死者が出ているそうです。その上、地震でさらに脆くなってしまったので、今は政府からレッドゾーンに指定されています。人々は村を出て、歩いて1時間半ほどの高台にある、避難キャンプのあったグプシ・パカに移り住むかどうかの選択を迫られています。でも、神様は移せない。畑もさらに遠くなるので、グプシ・パカから通うのはとても難しい。村の人たちは、たとえ高台に移り住むにしても、地滑りの危険のあるモンスーンの時期以外は村に住みたいと言っていて。
——何か打開策はあるんでしょうか?
石川:グプシ・パカには、ネパール政府が耐震性のある家を建てることが決まっています。でも、完全に移住することは信仰の問題もあって難しい。今、村の人たちは、村からグプシ・パカまでをつなぐ道路を作っています。僕はできれば、その道にバスを走らせたいと考えていて。朝と夕方に1便ずつでもバスが走れば、村の人たちの負担もだいぶ軽減されますから。具体的なプランもあるので、そういう部分で援助できないかなと思っています。
——石川さんはずっと、村への支援をいろんな形で手がけられているんですね。
石川:子供たちの学業支援もしているんですよ。特に女の子たちの。現地の古い考え方によって女の子たちの勉強するチャンスが失われているので、そこを支援するために、学業支援の里親制度というものを作りました。初めにね、プナムの学業の里親を募集したんです。1年で3万円くらいなので、5年間で15万円を募集して。そうしたら、5分で集まって(笑)。
——5分で! さすがプナムですね(笑)。
石川:それは僕の作戦だったんですが(笑)、これを「プナム基金」という形にして、同じような境遇にある女の子を助けようとしています。今のところ、5人の女の子の学業を支援できるようになりました。プナム基金に集まるお金が増えていけば、もっと大勢の子供たちを助けられるようになるし、いつかは、みんなが一緒に勉強できる学校も建てられるかもしれないですね。ほかにも、これから映画が公開されて、ラプラックの存在がより知られるようになって、旅行者がもっと村を訪れるようになれば、本来の目的である、映画による村への支援にもなるかなと思っています。
——これからも、石川さんとラプラックの人たちの関わりはずっと続いていきそうですね。『世界でいちばん美しい村』の上映会を、ラプラックでも開催されたとか?
石川:今までずっと、しつこいくらい何度も村に行って撮影していたので、みんな「いつになったら映画ができるんだ?」と思っていたそうなんです。あるとき、村のおばあさんに「この映画、いつできるの?」と聞かれて、「今度上映会やります」「いつ?」「10月に」「それまでに私が死んだらどうするんだい?」「いやいや、がんばって生きててください!」と(笑)。みんな、すごく楽しみにしていてくれたんですね。それで、村の人全員が出ているのを見てもらえるように、2時間半の特別編集バージョンを作って、村で上映会をやったんです。
——それは絶対盛り上がりますよね(笑)。いかがでした?
石川:ベッドシーツをスクリーンにして、屋外で上映したんですが、雨の降る中、1000人もの人々が集まって、びしょぬれになりながら見てくれて。悲しいシーンでもわいわい笑いながら見てるんですよね。終わったあと、この映画のエンドロールの曲を歌ってくれた「はなおと」の2人が会場で歌ってくれたんですけど、もうね、ここはウッドストックか?というくらい盛り上がって(笑)。僕はこれまで写真ばかり撮っていたから、そういう経験はしたことがなかったんですけど、これは映画の原点だな、映画ってすごいな、と思いました。
——本当に、震災が起こってから、いろんなことが次々につながっていって……映画という一つの形に結実したんですね。
石川:あまりにもできすぎていて、自分でもびっくりしているんです。最初は、震源地近くの村が壊滅したという、たった1行の情報しかなかった。それを手がかりにして、ラプラックに行ったら、あんなに素敵な村で、アシュバドルやプナムがいて……。制作費用のクラウドファンディングに協力してくださったたくさんの方々、貴重なアドバイスをしてくださった山田洋次監督、ナレーションをしてくださった倍賞千恵子さん、オーケストラにも勝る音楽を1本の笛だけで生み出してくれたビノード・カトゥワルさん、エンドロールの曲を提供してくれたはなおとの2人、銀座の東劇での公開を実現してくださった松竹の関係者の方々……。制作段階から劇場公開まで、いろんな偶然が重なっていって、本当にたくさんの方々が協力してくださって……何なんでしょうね。
——この映画、3月25日(土)からの東京・銀座の東劇での公開を皮切りに、国内各地での上映会や、海外の映画祭への出品なども控えているそうですね。
石川:この映画は、静かに長く、自主上映とかの形で、何年も続く形で見ていただければと思っています。僕は「いい映画は旅をする」という言葉が好きなんです。一つの映画祭で評判がいいと、「何だ何だ」と別のところから話が来る。そうしていろんな映画祭や上映会を渡り歩いていくと、やがて、思いもよらないようなところにまで行くかもしれない。そういう風に、静かに長く愛され続ける映画になってほしいなと思っています。
——最後に、この映画を『世界でいちばん美しい村』と名付けた理由は何だったんでしょう?
石川:映画のポスターにもなっているんですが、最初にアシュバドルと出会った、避難キャンプがありますよね。あそこは、普通にキャンプをしたくなるような場所じゃないですか。避難キャンプなんだけど、世界一きれいな場所だね、という話を現地でしていて。その時、『世界でいちばん美しい村』という言葉が浮かんだんです。実際、美しい景色ですし。でも、それは景色のことだけを言っているんじゃないんですね。ラプラックに住んでいる人たちの心も、世界一美しい。この題にはその両方の意味があります。
——この映画を通じて、ラプラックとそこで暮らす人々のことが、一人でも多くの人に伝わることを願っています。どうもありがとうございました。
石川梵 Bon Ishikawa
写真家・映画監督。AFP通信のカメラマンを経て、1990年よりフリーの写真家となる。1984年から伊勢神宮の神事をはじめとして「祈り」をテーマに世界各地で撮影を行う。また、近年ではヒマラヤなど世界各地で空撮映像を世界の主要な新聞・雑誌で発表。2015年に起きたネパール大震災の際に取材でラプラックを訪れたのを機に、自身初のドキュメンタリー映画を製作。
『世界でいちばん美しい村』
監督・撮影/石川梵 ナレーション/倍賞千恵子
エクゼクティブ・プロデューサー/広井王子
プロデューサー/石川梵
協力/松竹 Canon Cinema Sound Works
後援/ネパール大使館
配給/太秦
公式サイト/http://himalaya-laprak.com/
●3/25〜4/7 東劇にて公開
(C)Bon Ishikawa
◎聞き手=山本高樹 Takaki Yamamoto
著述家・編集者・写真家。インド北部のラダック地方の取材がライフワーク。著書『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』(雷鳥社)ほか多数。
http://ymtk.jp/ladakh/