第20回を数える石垣島マラソンが2023年1月15日 に開催されます。石垣島は沖縄県の八重山諸島に属し、沖縄本島よりもむしろ台湾の方が距離的に近いという南の島。このレースのキャッチフレーズも「日本最南端の市民マラソン」です。
大会に先立つこと約5週間前の12月7日、私はこのレースと同じマラソンコースをひとりで走ってみました。正確には走ろうとしました。
公道を自分でいわば勝手に走っただけですので、もちろんレースの参加費は払っていません。従って、完走賞も公式タイムも何もありません。道路沿いの自動販売機やコンビニが私にとってのエイドステーションでした。それ以外は石垣島の経済には何の貢献もしていないわけで、島の皆さんには申し訳ないのですが。
走ってもよし、走らなくてもよし
私はこうしたことをよくやります。どこかに旅行をするときには、必ずランニングシューズを持っていきます。あるいは初めからランニングシューズを履いていきます。つまり観光とランをセットにするわけです。
景色を眺めながら走り、所々で立ち止まって写真を撮ったりしますし、ときには食事をすることも、気持ちの良い場所では昼寝をすることすらあります。
このように距離やタイムを気にすることなく、自由に楽しみながら走ることを「マラニック」と呼ぶ人もいます。マラソンとピクニックを合わせた造語です。なかなか上手い表現だとは思いますが、どうやらこの言葉自体は和製英語のようです。少なくとも、私は英語の文章や会話で見聞きしたことはありません。意味が近い英単語を探すと「Sightrunning」になると思います。
それはともかく、「マラニック」の最大の利点は自由であることだと思います。好きなときに好きな場所から走り出すことができます。走ることに疲れたら、いつでも止めることもできます。とくに私のようにひとりでやる人はなおさらです。
今回、石垣島を走った12月7日という日付にも大きな意味はありません。その前日にFIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦で日本代表チームがクロアチアに敗れてしまった悔しさを晴らすために、というのは嘘です。ただ天気予報がその日は雨が降らないだろうと言っていたからです。石垣島といえども、冬の間は雨の日が多いのです。
この日は曇りがちでしたが、気温は約20~24°C。さすがに南の島です。12月というのに、走るにはやや暑すぎるほどの気温です。
スマートウォッチとスマホに残る旅の思い出
石垣島を訪れるのは生まれて初めてでした。ですから右も左も分かりません。石垣島マラソン大会公式ウェブサイトのコース地図を見ると、島の南端近くから時計回りで海岸近くを北上し、途中で東向きに島を横断して、また海岸沿いに南下して、スタート地点に戻ってくることになっています。ほぼ島の南側半分を一周するようなコースです。
所々で寄り道をしながら、基本的にはそのコース通りに走るつもりでした。とは言っても、コース地図を確認しながら走ったわけではありません。島には大きな道路の数もさほど多くはないので、大体の方向さえ合っていれば、道を間違えることはないだろうと高を括っていたのです。それが甘すぎる考えであったことは後で分かります。
走り始めてすぐ、石垣港フェリーターミナルには島の英雄、具志堅用高さんの銅像があります。コースからはやや外れますが、昭和育ちのニッポン男子には素通りし難いスポットです。「カンムリワシ」に敬意を表して、また走り始めます。
あまりにも感動が大きすぎたせいでしょうか、どうやら私はそのすぐ後にコースから外れてしまったようです。島の西側にあたる海岸に出るはずの距離になっても、海はまったく見えてきません。それどころか、どんどん山の中へ入っていく気配がしてきました。
私は手首にApple Watchを装着し、iPhoneも携行していました。おかしいなと思った時点で、GPS地図で所在場所を確認して、コースを修正すればよかったはずです。それをしないのが私の馬鹿なところです。走り終えた後の地図を見ると、私は大きくコースをショートカットして、島の中央部に入り込んでいました。
それでも、あちこちで寄り道をしたせいでしょうか。その日に私が走った距離は合計で42.2キロ。ちょうどフルマラソンと同じ距離です。
私にとってのハイライトはさすがに疲れてきた30キロあたりでやってきました。サンゴ礁で有名な白保海岸です。この日は曇りがちでした。快晴の日に比べると、海の色は鮮明ではなかったかもしれません。それでも私にとっては、思わず叫びだしたくなるくらいに美しい風景でした。
ビーチに寝転んだり、自撮りで写真を撮ったり、いい大人がキャッキャとはしゃいでいましたが、時間にするとほんの10分から15分くらいだったと思います。それでも、また走り始めたときには心身ともに疲れが吹き飛んでいました。自然の力は偉大です。
そこから約10キロを走り、スタート地点に戻ってきて、つまりはゴールしたわけですが、達成感よりもむしろ、まだまだ走り続けていたいとさえ感じていました。それがつまり「マラニック」が持つ魔力なのでしょう。
米国在住ライター
角谷剛
日本生まれ米国在住。米国で高校、日本で大学を卒業し、日米両国でIT系会社員生活を25年過ごしたのちに、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。日本のメディア多数で執筆。
世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員